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2006年12月31日

新年に向けてのメッセージ

 今年、父が他界しましたので、明日の新年のご挨拶はひかえさせていただきます。

 その代わり、2006年最後の日に、今年の日本の教育の動向を振り返りつつ、来年(2007年)へのメッセージを書かせていただきました。

教師としてどう生きるかが問われる年に

[教室からのエッセイ一覧より]

 来年もよろしくお願いいたします。

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2006年12月30日

勝田台

 勝田台…、と言われてもなんのことだかわからない人がほとんどだとは思うのですが、千葉県八千代市勝田台…、わが母校「千葉県立八千代高等学校」がある場所です。ちなみに、全国高校サッカー選手権で明日、国見高校と対戦するので応援してください。

 さて、来年50年目を迎える我が人生において、この八千代高校の3年間はとても濃い3年間でした。今の自分の基礎ができた3年間だったと思います。教育実習もここでやらせてもらいました。

 その勝田台で、高校の同級生二人…、つまり私を入れて3人で忘年会をしました。本当は4人組なのですが、一人…、勝手に先に死んでしまった奴がいるので(うっすら涙)、今は3人です。

 待ち合わせ時間よりも30分早く着いてしまったので、一人で母校の校門まで歩いてみました。駅から徒歩3分のところにあります。

 校門のすぐ横に、テニスコートがあります。そのコートで、3年間ボールを追いました。インターハイや国体に二度も出してくれたコートでもあります。夕日に照らされていたので、少しセンチになってしまいました。

 テニスコートを見ていて、教育実習の精錬授業(まとめの授業のこと)のことを思い出しました。私は高校の免許は国語なので、現代国語の「杜子春」の授業を女子生徒ばかりの家政科の教室で行いました。

 形ばかりの「事後指導」が終わった後、私が勝手に「恩師」と思い込んでいるS先生が私の所に来ていった言葉が今でも忘れられません。その言葉は、私が教師になることを決心させてくれた言葉でもあるし、教師としての今の自分を支えてくれている言葉でもあります。さて、なんと言ったのか……。

「おまえは、授業が下手だ。これからもうまくならない」

うっ、これはかなり傷つきました。そして、

「でも、おまえは、いい教師になるぞ」

えっ?どうして?

「どんな下手くそな授業をしても、生徒が助けてくれる。生徒にそんな気持ちを持たせる教師は少ない」

 そう言った後、私のお尻を思いっきりキックしてくれました。

 この言葉は、当時は誉められているのか。けなされているのかよくわからなかったのですが、今振り返ると、最高の誉め言葉だったと感謝しています。

 そんなS先生が、私が勤務している同じ市内の私立高校の校長をしていることを昨日知りました。たぶん、私などは覚えていないとは思うのですが、さっそく年明けに電話して、お会いしたいと思っています。

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2006年12月29日

クリスマスの約束06

 今年はテレビではやらないのではないかと思っていたら、やってくれました。はい、小田和正の「クリスマスの約束」。

 毎年このブログで、何が一番良かったかを書いていたのですが、今年は、いきものがかりとの「SAKURA」に感動しました。斉藤哲夫の「悩み多きものよ」も良かったなあ。もう30年前かあ。詞も曲も今でもすごく新しく感じる。小田さんの曲では「伝えたいことがあるんだ」がよかった。この曲は以前から好きな曲でした。

 小田さんはもう60歳なんですね。それでも自分と親子ほどの年が離れた若いアーチストたちと見事にハーモニーをつくりだしていく。スキマスイッチとの曲作りのビデオでは三枚目の位置なんだけど、それでいてしっかりと存在感を示している。スキマスイッチの二人も、そんな小田さんを尊敬している。若い人たちとのそんな関係がすてきだと思いました。見習わなければ。

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屋形船

 先日の職場の忘年会で、生まれて初めて「屋形船」に乗った。浦安にこんなに長く勤務していて今まで屋形船に乗っていなかったことが、ある意味不思議。

 旧江戸川沿いを下って、葛西臨海公園沿岸で観覧車のイルミネーションを見ながら停泊。最後にディズニーランドの花火を船上から見て、帰ってくるというコース。2時間半くらい乗っていたのだろうか。

 ビンゴゲームでは、一番最初にビンゴになって一等賞の賞品をもらった。リーチになったら立ってくださいと言われていたのに、面倒くさいから立たなかったので、ビンゴになったらみんなから「ズルした」と言われた(笑)。今年は、こういったくじ引き系に強い。小さいときからこういったくじ引き系にはまったく縁がなかったのだが、今年は不思議と当たる。もしかしたら年末ジャンボもあたるかもと、かすかに期待している。

 その宴会で、かつて私が若いときに同じ学校に勤務していたベテランの先生に言われたこと。

「どうしてこの学校ではおとなしいの?」
「若い時は、すごかったんだから。職員会議で机を叩いて怒ってたのよ」
と、若い職員に余計な紹介をしてくれる。

「校長にも殴りかかりそうになって、みんなで止めたんだから」

 若気のいたりである。なぜあんなにトゲトゲしていたのか……。当時は、何から何まで納得がいかないことばかり。納得がいかないから自分の意見を言うと、さらに納得のいかないことで返される。そんなことの繰り返しだった。しかしそんな繰り返しの中で、今の自分をつくってきたはず。

 しかし考えてみると、当時よりも今の方が納得できないことが断然多い。なぜ若い人たちは自分の意見を言わないのだろうか。そしてなぜ自分はあきらめてしまっているのだろうか。

 そうか。若い人たちが意見を言わないのは、我々の世代があきらめてしまっているからだ。私自身も先輩たちの、教師としての生き方から学び、その背中を見て育ったきたのだと思う。

 今の自分は、背中も見せず、白い腹を見せてプカプカ浮かんでいるだけだと反省した。もう一度、初心を思い出して来年はがんばってみようと思う。

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2006年12月28日

文章デザインのこだわり

 ここ数日、Web画面における「文章デザイン」について考えています。つまり、みなさんはパソコン画面で読んでくれているわけで…、その条件にあった文章のデザインはどうあるべきか…、なんてことを考えているわけです。

 特にこだわっているのは、

(1) 各段落の行頭をインデントするかどうか。

(2) 段落が変わるごとに一行あけるべきかどうか。

 とりあえずこの二つにこだわってみました。

 そこで、いろいろなページを調べてみました。すると、報道機関のページは、すべて「段落の行頭はインデント」「段落が変わるたびに一行分あける」ということになっていました。

 ということで、このブログも、本日から(実は昨日分もなおしてあります)、それにならっていきたいと思います。

 ところが、メールの場合はまた別なようです。

 段落が変わるたびに一行分あけるのは同じですが、行頭をインデントしないことが一般的だとか。なぜなのでしょうね。私もメールの場合は、段落の行頭はあけていませんが、それはみんながやっているから自分も…、という感じです。その理由を知っている方…、教えてください。

[たぶん…]
 メールは、英語圏で生まれたからかな?

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2006年12月27日

復活「しおちゃんマンのインターネット活用法」

 「しおちゃんマンのインターネット活用法」のページを復活させました。

しおちゃんマンのインターネット活用法

 このページを作り始めたのが、2003年1月でした。それから4年がたとうとしています。この間、このページは放置され、サーバーからは削除してありました。したがって、それぞれの記事を読んでみても、すでに古くなったり、今では「間違い」であったりする箇所がたくさんみつかりました。

 そこで、細かい箇所を修正していきながら、もう一度インターネットの活用法について考えてみたいと思ったのが、このページを復活させた一つ目の理由です。

 もう一つは、インターネット人口が増えて、利用することが当たり前の時代になったにしては、そのルールやマナーがかなり乱れているような気がしたからです。

 インターネットは、実はみんなで利用する場。みんなが気持ちよく利用するためには、どうしたらいいのかを、この進化した「今」であるからこそ考えてみたいと思っています。

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教師の名札

 本校でも教師が名札をつけています。首からぶら下げるカードみたいなやつです。そこに名前が書かれた紙がはさまっているだけです。ただ、前任校でそのカードの角が子どもの目に入ったことがあって、それ以来なかなかつける気がしません。

 本校は大規模校なので教師の名前を他の学年の子にもわかるためと、保護者や業者との見分けをつけるために特に必要だということでした。

 ただ、私のような「子ども接近・チョッカイ出し型教師」は、気になって(邪魔に感じて)しかたがないのです。それに今では、低学年の子も「あっ、しおちゃんマンだ!」と言ってくれるので、本名は知らなくても存在は知られているようなので、もういらないのではないかと思ってしまいます。

 ただ、子どもたちにも名札をつけるようにと言っている手前、気がついたらつける(ぶら下げる)ようにはしています。

 今に、子どもたちだけでなくて、教師の名札調べ(ちゃんとつけているかどうか)も始まるでしょうね。名札じゃなくても、細かな仕事ぶりのチェックが厳しくなります。いや、すでにそういった学校が増えてきていることも事実です。

 ・通勤時の服装、髪型
 ・職員室に入ったときのあいさつ
 ・出勤簿の押印
 ・机の上(中)の整理状況
 ・提出物の提出状況
 ・クラスの子の遅刻の人数
 ・クラスの子の名札忘れの人数
 ・職員会議での発言内容
 ・板書の文字
 エトセトラ……。

 これらがすべて教員評定の資料にされるでしょう。教室にカメラがつけられる日も近いかもしれません。

 そんなことは民間では当たり前、という方が多いと思います。しかし学校ではこれをやってはいけないのです。学校はこういった形での教師評価はなじまないのです。

 なぜなのでしょうか。

 その理由については、このブログでもずっと書き続けてきたのであらためて書きませんが、あえて一言で書くとすると、

「教師が管理されると、教師は子どもを管理するしかなくなるから」

 その管理の中で、子どもたちの事情や、本当の思いや願いが見えなくなってくるということです。

 なお、誤解のないように付け加えますが、一人ひとりの教師を放任し、勝手にやらせるのがいいと言っているわけではありません。教育は集団的な営みですから、教師間の共同と、そのための話し合いが大切だということです。それは今回のこととは別な話題になりますので、機会がありましたら詳しく書いてみます。

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2006年12月26日

千葉の研究会の合宿

昨日から、千葉市で「千葉県生活指導研究協議会」の合宿学習会に来ています。

来年の夏に向けて、研究成果を一冊の本にする予定なので、それぞれの原稿について検討しました。

本のタイトルは「だれでもできる学級集団づくり」(仮題)。

初めて学級集団づくりをする人、もう一度学級集団づくりとは何かを確認したい人を対象に、わかりやすく、実践のイメージが持てるようなに本にしていきたいと考えています。

教育基本法の改正で「学級」が、教師の管理手段(教師評価)として利用される可能性があります。

そもそも「学級」というのは、子どもたちのもの。それが子どもたちのものになっていなかったとしたら、子どもたちが主人公の集団を、子どもの側からつくっていけるように指導していく必要があります。(子ども集団づくり)

そのための考え方や方法論があるわけで、それを研究しています。

子どもたちが主人公の「学級・子ども集団づくり」を、今後露骨に出てくるであろう教育政策としての「担任学級責任主義」に対置していける中身にしていきたいと考えています。

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2006年12月25日

(続)好き・嫌い…無理

ちょっと前までは、子どもたちに、

「何でも相談できる友達をつくりなさい」
「大人になってもつきあえるような親友をつくりなさい」

と、メッセージを送ってきたように思います。ところが今は、

「自分と合わない人とでも一緒に生活できる関係が大切」
「自分と違ったものを持っている人こそ大切に」

と、メッセージを発信することが増えてきていることに気がつきました。

最近の子どもたちの「無理」は、「できない」ではなくて、
「しない/したくない」の意味。

最初から拒否する関係をなんとか変えていける子どもたちになってほしいと思っています。

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2006年12月24日

好き・嫌い…無理

最近の高学年以上の子どもたちは、私のクラスに限らず、人間を「好きか・嫌いか」で判断し、「嫌い」と決めてしまった子に対しては、「無理」と言って、絶対につき合おうとしません。話もしないほど、距離を置きます。場合によってはいじめたりすることもあります。

一方、自分が「嫌い」と決め付けられないように、ものすごく気をつかっています。

先日、「みんなちがってみんないい」の詩の一部をつかって、自分とは違った仲間…、もっと言えば「嫌い」と感じている仲間とどのように一緒に生活していくかを考えてみたらどうかという話をしました。

これからは、自分とは違ったトーンや考え方をもっている人こそ大切にしなければならないことがわかってくることも話しました。

そして、好きになれとは言わないけど、コミュニケーションをとってみたら、今まで気がつかなかったその人の良さがわかってくるかもしれないことも。

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2006年12月23日

「荒れ」と「学級崩壊」

一昨日、また別の雑誌の取材を受けました。やはり「いじめ」についての取材でした。本を出したりテレビを出たりは嫌ですが、こういった取材は受けることにしています。現場からの声をメッセージとして送りたいからです。

「いじめ」についての取材が最近多いのは、やはりこの問題が大きく取り上げられているからだと思います。しかしどの雑誌もいじめについてはあまり理解していないというのが私の印象です。他の報道機関もきっと同じような理解レベルなのだと思います。

申し訳ないのですがこういった理解レベルでどんどん報道されてしまうところに問題があるのではないでしょうか。(どんなことが理解されていないのかについては今回は触れません)

であるからなおさら現場の声をしっかりと届ける必要があると思いました。

さて今回はいじめについてではありません。今回は、「荒れ」と「学級崩壊」についてです。今回の取材でそのことも少し話題になりました。

結論から書くと、「荒れ」と「学級崩壊」は意味が違います。

生きづらさを抱えている多くの子どもは、やはり教室で「荒れ」という形で私たち大人にメッセージを発信してきます。その原因が家庭の事情であったり、受験に対する不安であったり、友達関係であったり様々です。

そして日本のどのクラスにも「荒れ」ている子どもはいるわけで、今の生きづらさの中でそういった子がどんどん増えてきていることも事実です。

授業中に席を立ったり、教室を抜け出したり、室内でボールを強く蹴ったり、飛行機を飛ばしたり、友だちに暴力を振るったり、校舎を施設をわざと壊したり、これもまた色々。

しかし、そういった「荒れ」た子がいても、そして「荒れ」た行動を毎日とったとしても、学級崩壊にはならないこともあります。逆に、「荒れ」た子がいなくても、または「荒れ」の現象がなくても、学級崩壊状態(授業不成立)になることもあります。

つまり「学級崩壊」というのは、子どもたちと教師の関係性の崩壊なのです。

たとえば子どもが「荒れ」た行動をとったとします。しかし教師はそれをしっかりと受けとめて、事情を聞きながらその子の苦しさに共感しつつ指導すればいいわけです。

ところがこれからは、「教師評価の時代」になっていきますので、「荒れ」の行動があるだけでその教師の評価が下がることになります。ゆえに教師は「荒れ」の行動を、その事情を考えずにいきなり否定することになるでしょう。

そうなってくると、教師と子どもの関係性が崩壊し、やがて学級崩壊につながっていくケースが増えてくることを心配しています。

ここ数年、私の予想と、悪い方へのシナリオがことごとく当たってしまっているので、この件もまた嫌な予感がしています。

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2006年12月22日

今日が2学期終業式

今日、2学期の終業式です。

2学期は、市内音楽会や修学旅行(ドリームスクール)…、ふれあい祭りや卒業アルバム文集作りと、いろいろな行事に取り組む中で、子どもたち(小6)一人ひとりが、少しずつ成長してくれました。

また、学級集団としても、まとまりを見せてくれた2学期だったと思います。

この4ヶ月…、個人的には、父が他界したり、猫に噛まれて松葉杖状態になったりで、つらいこと、痛いことの連続でした。またそのことによって子どもたちや学年の職員には迷惑をかけてしまいました。同時に、自分もまたみんなに支えられていることが実感できた4ヶ月でもありました。

しかし明日から全生研の合宿や、千葉の研究会の合宿、年明けにはすぐに宮城や新潟にも行かなければなりません。

忙しいけど、いい意味で前向きにリフレッシュできればいいと思っています。

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2006年12月21日

見えてしまったがゆえの落ち込み

全生研の仲間であり、ブログ仲間でもある、子安潤さんの最新本を一気に読みました。

先日も紹介した「反・教育入門」です。結論から言うと、久々の「超おすすめ本」です。

セブンアンドワイでもようやく入荷準備が整ったようです。

反・教育入門 教育課程のアンラーン
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アマゾンで購入されたい方はこちらです。

舞来夫(まいらいふ)堂

久しぶりに一気に読めた教育論の本なのですが、なぜ一気に読めたかと言うと、一つは文体の読みやすさ。そしてもう一つが、今の時代と、自分の関心事とにピッタリとあった内容であったからです。

●教育基本法と学習指導要領の問題

●学力低下の問題とそれを利用した教師管理の問題

●生きること死ぬことの教育

そしてその内容も普段私が感じていたことをきちんと検証・整理してくれています。

ところが、読み終わったとたん、フーッとため息をついて、落ち込んでしまいました。なぜだろうかといろいろ考えていてわかったことは……。

おそらく、この本のおかげで色々なことが見えて整理されたのですが、そのことによって、その課題の大きさと現実とのギャップに苦しんでしまったということなのかもしれません。一言で言うと、情勢負けしている自分に気がついたということかもしれません。

たとえば「生きること・死ぬことの教育」の章で、大瀬敏昭校長先生の授業と、金森俊朗先生の授業を検討しています。

両方ともすばらしい実践です。その授業を分析しつつ、生きること・死ぬことをどういった視点で授業したらいいのかもこの本は示してくれています。

内容はナルホドと、納得することばかりなのですが、今目の前にいる子どもたちのことを考えると「自分にはできない」と思ってしまうわけです。つまり、ギャップを感じるということですね。

課題が納得できるものであればあるほど、それら向かうことのできない自分が見えてきてしまったということかもしれません。

しかしいずれにしろ、最近の教育書の中では、抜きん出ている本だと思います。ぜひご購入ください。

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2006年12月20日

教育基本法改正は憲法改正への大きな一歩

今年のお正月、私は次のように書きました。

こうした教師個人の意見表明権の規制や教育の自由の規制は、単なる「学校責任」という問題だけではなく、今年が憲法改正を進めるのに重要な年になると考えられていることとリンクさせて考えなければなりません。

先日の教育基本法の改正問題は、私の予想通りであれば、憲法改正への大きな一歩です。

教育基本法は憲法の理念によってつくられたものですから、本来ならばそれを改正するためには、まず憲法を先に改正しなければならないはずです。

しかし、教育基本法を先に改正したということは、既成事実を先に作っておいて後から憲法を変えていく……、「現実的にはこうなんだから、変えるしかないじゃないか」という方向に持っていこうとする意思が感じられます。

いずれにしても、今回の教育基本法の改正で、国が現場の教育内容にまでどんどん入り込み、そして教師の管理統制を厳しくし、そのための関連法案が立て続けに出されてくる……、それが来年の動きなのだと思います。

しかし逆に言えば、いよいよ私たちのブログが、本当の意味での現場からの「声」になる年でもあります。

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2006年12月19日

「死」を教えること

今年を表す漢字が「命」であったように、命の大切さを、子どもにどう教えていくのかが問われる年であったように思います。

私たち大人は、生きることのすばらしさや大切さを、子どもたちの心に滲みるように教えてあげなければなりません。

また、大人自身が自分の生きざまを、もっと子どもたちに示していかなければならないのかもしれません。

一方、こうした生きることの指導とともに、「死ぬ」ことの意味を教えなければならないのではないかと、最近思うようになりました。

一度死んでも生き返るとか、前世があったとか、「今生きている『命』」を軽視する文化が広がっています。

ということで、「死」の意味について私たち大人は、生きることの大切さと合わせて教えていく必要があると思いました。

しかしこれは難しいですねえ。

少し勉強してみたいと思います。

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2006年12月18日

「いじめ」電話相談

【無料(4日間のみ)電話相談】
◆◇子ども・親・教師のための「いじめ」なんでも相談◇◆

いじめによる自殺などの事件が続きました。さらには、子ども間の問題だけでなく、学校のいじめ体質、教師による子どもいじめ、教師間のいじめ、役職者による学校内での「いじめ」など、さまざまな問題があることが、具体的に浮かび上がっています。

●今、いじめにあって苦しんでいる君・あなた。

●友達のこと、クラスのことで悩んでいる君・あなた。

●わが子が「いじめられている」「いじめに加担している」、あるいは「教師や学校の理解が得られない」など、戸惑い・不安な思いを抱えているお父さん、お母さん。

●いじめの対応や指導、教師間の問題などに悩む教師の皆さん。

●その他、いじめに関わっているすべての人たち。

皆さんの相談に親身になって応じます。いっしょに考えましょう。

相談員は、元司法関係者・臨床心理士・カウンセラー・元教師などです。プライバシー尊重、秘密厳守で行います。どうぞ、安心してお電話ください。

◆とき:2006年12月23日、24日、25日、26日
◆時間:午後1時~午後5時まで

◆電話番号◆
03-5348-6996

主催:NPO法人非行克服支援センターと日本子どもを守る会
http://ojd.npgo.jp/

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2006年12月17日

第10条にこだわってみると

今までの教育基本法の、第10条にこだわってみましょう。

(教育行政) [1]教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 [2]教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するために必要な諸条件の整備確立を目標として行わなければならない。

これを、子どもたちにわかりやすく書き換えた絵本があります。


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11の約束 えほん教育基本法
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この絵本によると、


第10条
 政府や官僚や政治家などが、教育を支配してはなりません。

 教育とは、国ではなく、わたしたち 全てに対する直接の責任を持ってなされるもの、教える人と学ぶ人の関わりあいのうちにあるものだからです。

 国や自治体は、そのことをわきまえ、施設や設備をととのえたり、予算をつけたりして、人々のもとめる学びを支えます 。

なるほど、よくわかりますね。

しかし今回の改正で、上記の

◎教育とは、国ではなく、わたしたち 全てに対する直接の責任を持ってなされるもの、

ということが、

●教育とは、国が決めた法律によってなされるもの、

に変わってしまったということです。

<参考>
上記の日記は、下記のページから引用させていただきました。
温泉大好き

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この国は、なんてことを……

教育基本法の改正……。

この国は、なんということをしてしまったのでしょうか……。

明らかに間違った方向に一歩を踏み出してしまったと感じています。

今回のことについては、多くの国民が目隠しをされてきたような気がしてなりません。いったい何が問題なのかがわからずに、あれよあれよと思う間に通されてしまった感じがします。

・反対するのはせいぜい左に偏向した教師だろ。
・改正したら戦争が起こる?そんなことはないだろ。

せいぜいこの程度の情報しか与えられていませんでした。ゆえに、もっと私たちの現場に引きつけてこの問題を提起していく必要があったのです。

個人的に「これは大変だ」と感じているのは、以下の箇所です。

第16条 教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない。

それに対して、今までの教育基本法は、

第10条 教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。 2 教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。

違いがわかりますか?

今までは、学校現場が「これは子どもや保護者のためにならない」と判断したら、教育基本法の規定を理由に拒否したり、よりよいものへの改善を求めたりすることができたのです。

つまり、このブログでいつも書いているように、現場から声を出せたわけです。

しかし今回の改悪によって、それは違法になり「行政の思惑を忠実に遂行するのが『正しい』教育だ」ということにもなるわけです。

「国民全体に対し直接に責任を負って」という文言が取り去られ、「この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきもの」という文言が代わりに挿入されるのは、教育の自主性を侵害し、教育にとってはきわめて危険なことなのです。

どうやら今回の改正は、行政による教育介入をやりやすくするのが目的で、教育は子どもや国民の要求から出発したものではないという宣言であると考えてもよいでしょう。

さて、新教育基本法をもとにして、今後どんどん法律が作られていきます。

その法律の下、地方が国の意向をくむ形で、現場への監視体制が強まるでしょう。

教員の免許更新法もすぐに作られてきそうです。「国の意向に従わない教師は免許が更新できないぞ」という「縛り」も生まれてくるでしょう。

教師はますます子どもから目をそむけ、国の意向に従うことばかりを考える者が増えてしまうかもしれません。

子どもの側に立った、学級づくりや授業の工夫やアイデア、そして自主的な研究運動は、今後、攻撃の対象になることも考えられます。

しかし…、しかしです。残念ながら教育というのは、子どもや保護者の声を無視しては成立しないのです。従って、子どもや保護者の声を無視して国の意向に沿うようにしようとすればするほど矛盾が生まれてくるのです。

学力低下や格差の問題はますます大きくなるでしょう。

いじめや不登校、進路問題等…、問題が現場に大きくのしかかってくることも予想されます。

そして学校と保護者との信頼関係がますます崩れ、教育争議が多くなってくるかもしれません。

つまり結局は、子どもや保護者の声を大切にして、共同して教育を進めようとすることを無視できなくなるのではないでしょうか。

私たち現場の教師は、そのことに確信を持って腰をすえて実践を進める必要があります。

これからが本当の闘いです。負けるつもりはありません。

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2006年12月16日

子どもたちの不安と苛立ち

昨日は、ある雑誌の取材を受けました。

ただ……、2時間も取材を受けたのですが、学期末ボケで、何をしゃっべったのか覚えていません。

小学生の荒れをストレスという視点で取材をしたいようでしたが、自分としては、ストレスというよりも、「不安・いらだち」というキーワードで考えたほうがいいということを話したような気がします。

居場所が無いというか、「自分の置き場所が無い」ことへの不安…と言い換えてもいいと思います。

そして、その延長線上に「いじめ」があるとしたら、いじめの構造が見えてくるのではないでしょうか。

だんだん思い出してきました。

自分の子がいじめられたらどうしたらいいのかという質問には、いじめられる側になるよりも、いじめる側になってしまう可能性の方が高いこと。いじめる側になってしまったらどうしたらいいのかを考えたときに、いじめられたらどうしたらいいのかも見えてくるのではないかということも話したような気がします。

他にも、学校の教師とどんな関係を持ったらいいのかとか、最近の荒れと以前の荒れの違いだとか、いろいろ取材を受けました。

いずれの話題も、教師と子どもと親の三者がしっかりと向き合って共同していくことこそ今の教育の問題を乗り越えていくキーワードであることを話してきました。今は、それぞれが悩みながら背を向けてしまっている状態ですので。

ただ、昨日の教育基本法改悪によって、教育の自由が奪われ、保護者との共同がますます難しくなっていくでしょう。しかし、真の教育改革は現場から生まれることを信じて、これからもがんばっていきたいと思っています。

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2006年12月15日

動物病院初体験

しおちゃんマンの足を噛んだ……、というより、しおちゃんマンが踏んでしまった黒猫のヨシムネ。

ここ数日、食事をもどしてしまうことが続いていたので、初めて動物病院に連れて行きました。

お尻から体温計を入れられ、お腹をギュっと握られ、注射を打たれて散々でした。 かなり暴れて、お医者さんにはとても迷惑をかけてしまいました。…で、原因は食べ過ぎによる胃炎ということになりました。

そういえば、最近太ってきたので、体重をはかったら、6キロでした。お医者さんによると、1キロほどオーバーだそうです。とりあえず、食事療法でダイエットです。

さて、この動物病院の先生。若い先生でしたが、とても対話が上手で逆に勉強になりました。

あたりまえですが動物は話ができないわけで、その飼い主さんからその動物の様子を詳しく聞きださなければなりません。そのための対話技術がうまくないと、診察ができないのだと思いました。なにしろ診察時間の9割は、私との話でしたから。

○まず、話しやすい雰囲気作り。
○できるだけ相手に話をしてもらう。そのためには、聞き出し方が大切。
○そして専門的なことは、ビシッと短く説明する。
エトセトラ…

ナルホドナルホド。勉強になりました。

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2006年12月14日

宣伝:コミュ「教師でブログ」

mixiに、学校の教師でブログを続けている方を対象にしたコミュニティを作ってみました。
http://mixi.jp/view_community.pl?id=1638468

mixiに参加されている方で、興味のある方はぜひご参加ください。

教育基本法の改悪がこのまま通ってしまうと、教師の意見表明権(教育の自由含む)はますます認められなくなるでしょう。

しかし、教師が個としての意見が言えなくなる学校教育は、現場の声(教師、子どもや保護者の声)が無視されるということですので、教育行政と現場がさらに距離のあるものになってしまうということです。

今こそ教師が個としての意見表明権(教育の自由含む)を守らなければなりません。

そのための一つの手段として私の場合ブログを続けてきたわけですが、そういった仲間の横のつながりを広げていきたいと思っています。

よろしかったらご参加ください。

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2006年12月13日

今年の漢字は「命」

財団法人・日本漢字能力検定協会(本部・京都市)が公募で選ぶ「今年の漢字」が「命」と発表されました。

私自身も、父を亡くしたり、いじめ事件を注視していましたので、久しぶりに納得の漢字です。

父の死は、初めて身近な身内の死でしたが、命というのはこんなにも簡単に失われてしまうのかと唖然とした思いでした。

命は大切にしなければいけない……。今年何度も口にし、耳にしてきた言葉です。

しかし、子どもからお年寄りまで、生きることがこんなにもつらい時代はないのかもしれません。

何がいったい私たちをこんなにも苦しめているのでしょうか。生きることのすばらしさを子どもたちから奪っているものはいったいなんなのでしょうか。

その正体が、もしかしたら来年あたりに明らかになるかもしれないという予感がしています。

詳しくは、年末のご挨拶のブログで。

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2006年12月12日

出席停止と個別指導

教育再生委員会は、いじめ問題にかかわって、いじめる側の子を「出席停止」扱いにすることを継続して提言することになりました。

そのことを主張している、ヤンキー先生こと、義家さんは、

「いじめる子を、排除するということではない。個別に呼んで指導するという意味」

と説明しています。

この説明を先日ラジオで聴いていて、

「彼の言っていることは、『個別指導』であって、『出席停止』ではないんだな」

と思いました。

悪いことをしてしまった子を個別に呼んで、「個別指導」することは、私たちは日常的に普通にやっているわけで、そのことと、学籍に残す、処分としての「出席停止」にすることとはまったく意味が違います。

いったいどっちなのでしょうね。

今後、注目していきたいと思います。

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2006年12月11日

学期末独り言

足はだいぶ痛みが小さくなってきたけど、まだ少し腫れている。松葉杖なしでも歩けるようになったが、足首がコチコチに固まっているような感じがする。今週はジムに行って、ランニングマシンでゆっくり歩いてリハビリをしていきたい。

さて学期末。いつからこんなに仕事が遅くなったのか。まあ、早けりゃいいというわけではないし、仕事が早ければ優秀な教師、というわけでもないのだけれど、若い時は誰よりも仕事を早く進めることにこだわってきた気がして、今振り返るとちょっとだけ恥ずかしい。

不適格教員云々の話が出ているけど、教師という仕事は、何を一番大切にしなければいけないのかをそろそろ、お偉いさん方にも気がついてほしい……。

「不適格教員排除問題」は、必ず拡大解釈されて多くの名物先生が消えていくでしょう。わかりきっていることをあえて進めようとする行政は、恐れる必要はないけれど、ナメテはいけない。

「いじめ出席停止問題」は、学校と保護者の間に(保護者同士の間でも)、様々な形でトラブルを生み出すでしょう。裁判もたくさん起こるでしょう。教育委員会や学校はその覚悟と資金の準備を進めたほうがいい。そんな「大人のトラブル」の中で、子どもたちはますます傷つき、すさんでいくのかもしれない。

いじめ問題は、学校(教師)と保護者、保護者同士が連絡体制を密にすることで、当面は防止でき、解決できると考えている。一方で子どもたちに、いじめを許さない集団と、それをのりこえる力を育てていくことは言うまでもない

にもかかわらず、学校と保護者、保護者同士の関係を崩していく方向で論議が進められていることがとても残念。

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2006年12月10日

【お薦め本】反・教育入門-教育課程のアンラーン


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反・教育入門-教育課程のアンラーン
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今の教育動向へのアンチという意味のタイトル。目次は以下です。

はじめにーー教育基本法改訂と学習指導要領の問題
目次
第1章 教育内容の決め方
1 制度としての学習指導要領
2 学習指導要領と教育内容の政治
3 国民的教養から市民的教養へ

第2章 反学力論
1 虚構の学力
2 学力は低下したのか
3 全国学力テストと教師管理
4 PDCAのサイクルと学力テストの廃棄を

第3章 学校の教育課程づくり
1 教育課程と単元構想づくり
2 教育実践から創るーー生きること・死ぬことの教育
3 内容研究から創るーー無力感から希望を育てる平和の学習

第4章 教育方法の再創造
1 階層化される教育方法
2 反統制主義と反癒しの授業
3 授業のアンラーン

あとがき

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時間外交流

金曜日はなんと、10時すぎまで職員室に残って仕事をしました。父の葬儀等々で休んだり、また、怪我をしたりしてなかなか仕事が進まなかったことが原因かも。

気がついたら、6年生担任4人だけ残っていました。

やっぱり、高学年は授業時数が多いだけ放課後の仕事がなかなか進まないという事情があるようです。

そして昨日は、病院に行きついでに学校で仕事をしてしまいました。やはり昨日も6年生の担任が来校していました。

時間外は仕事をするべきではないというこだわりがあったしおちゃんマン。めったに遅くまで仕事はしなかったのですが現実的にはなかなかそうはいきません。

しかし、他の職員と仕事をしながら、いろいろな話ができたことも良かったです。また、一緒になってワイワイやると、不思議と仕事が進むのです。

本音の対話は5時過ぎから…。実はそれが現実なのかもしれません。

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2006年12月09日

紙飛行機大会06-1

教室で紙飛行機を飛ばしている子がいたので、注意したあと、紙飛行機大会をしてみることを提案しました。

第一回目は、滞空時間を競いました。

写真の飛行機が、7秒40で優勝した飛行機です。

大会が終わった後、図書室から紙飛行機の本を借りてきて、いろいろ調べている子どもたちもいました。

けっこう奥が深いことがわかったようです。

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2006年12月08日

いじめゼロキャンペーンで

うっ…、またこんな時間(夜中の3時)に目が覚めてしまった。足の痛みは点滴のおかげでかなりよくなりましたが、まだかなり腫れています。

さて、県内一斉に各学校で「いじめゼロキャンペーン」が進められています。

本校でも、それぞれのクラスで、いじめについて話し合い、その結果をお昼の放送で発表する取り組みが進められています。

6年1組では、作文の学習もかねて、いじめについて全校によびかける形で文章を書いてみました。今回は、次の定型文を示して、それに合わせて書いてみました。

定型文

「M小からいじめをなくそう」

私たち6年1組は、M小からいじめをなくすために次の三つのことを呼びかけます。

一つ目は、~
理由は、~

二つ目は、~
理由は、~

三つ目は、~
理由は、~

私たちは今年で卒業ですが、M小学校がいじめのない学校になるように、これからもがんばりましょう。

一人ひとりがこの定型文にそって作文を書きました。
その中から、Oさん(女子)の作文を紹介します。

「M小からいじめをなくそう」

私たち6年1組は、M小からいじめをなくすために次の三つのことを呼びかけます。

一つ目は、自分一人でかかえこまないでほしいということです。

理由は、最近ニュースで『自殺』などいじめで亡くなっている人が多く、その人たちは自分一人でかかえこみ、親にも先生にも相談せずにいたと思うからです。自分は一人じゃない。そう思って誰かに相談する勇気も必要だと思ったからです。

二つ目は、いじめは弱い人がやるということを考えてほしいということです。

理由は、いじめって、見ていると集団でやっていることが多いのですが、いやなことがあったら本人に直接言えばいいことじゃないかと思います。直接言う勇気がないから集団でいじめるのではないでしょうか。一人ひとりが、自分に勇気を持てるようにみんなで協力することも大切です。

三つ目は、保護者の方々と先生方へ。

保護者の方は、子どもと日ごろよく話をして、「どんなことでも相談できる相手」になること。先生方は、児童からの厚い信頼関係ができるといいと思います。このように、保護者の方々、先生方が進んで動くことで、いじめゼロへの第一歩となると思います。

私たちは今年で卒業ですが、M小学校がいじめのない学校になるように、これからもがんばりましょう。

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2006年12月07日

注射と点滴

やっぱり眠れない。眠れないのに仕事もできない……。

松葉杖に慣れることができなくて、昨日は二度転びました。

転ばないように踏ん張ったりすると、よけいに足を痛めるので、ころぶ!と思ったら、思い切って仰向けに転ぶことにしました。ただ、蛙がお腹をみせてもがいているみたいになってしまって、特に子どもたちの前では恥ずかしかったです。

昨日は、子どもたちを帰宅させてから病院に行かせてもらいました。

抗生物質の点滴を30分間やってきました。

その前に、その抗生物質が体に合うかどうかを確かめる注射を二本打たれました。

一昨日の破傷風の注射と点滴を合わせると、これで四本目。 しかも明日もう一度点滴を受けないと効果がないそうです。 合計五本になる予定。

あっ、年明けに破傷風の注射を二本打たなければならないから、合計七本だ。

あんなに小さな傷が、こんなに体にプスプス針を刺さなければならない結果になるとは思いもしませんでした。

でも、そもそも私がヨシムネの足を踏んでしまったことが原因。 ヨシムネを恨んではいけませんね。

足が痛いと、何もする気になれなくて、山のようにたまったテストの丸つけがそのままの状態。

このままではマズイ。体にはばい菌だけでなく、そのストレスもどんどんたまっています。

さあ今日は保護者会。なんの準備もできていない……。

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2006年12月06日

い、痛みがひどく……

現在夜中の2時……。

右足の痛みは、ひくどころかますますひどくなってきて、眠れずに起きてしまいました。足を見てみると、パンパンに腫れています。

猫に噛まれた件について、いろいろな方から情報をいただきました。ありがとうございました。

ただその中には、歩けなくなって入院された方もいらっしゃいました。これは…、軽く考えてはいけないことなんだと、あらためて思いました。

あまりにもこの痛みがひかなければ、今日もう一度病院に行ってみるつもりです。

それにしても、今年はつらいことばかりでした。父も亡くしたし……。

いや…、きっといいこともたくさんあったんだろうけど、最後が「猫に噛まれて…」では、つらいことばかりの一年間だったように感じてしまいます。

来年こそはいい年にしたいです。ちょっと早いけど……。

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2006年12月05日

猫、ふんじゃって…

 昨日の早朝、ヨシムネ@一歳の足をうっかりギュッと踏んでしまいました。

 ギャウンと、すごい声を出したので、「あっ、ゴメン」と言おうとしたら、そのとたん右足のくるぶしを思いっきり噛まれました。

 その時は少し血が出ただけだったのでバンドエイドを貼っておいただけだったのですが、お昼前になって、右足が信じられないくらい腫れてきて、ひどい捻挫をした時の痛さだったので、お昼休みに病院に行かせてもらいました。

病院では、消毒してもらって、破傷風の注射をしてもらいました。破傷風の注射は、合計3回やらないと効果がないそうです。帰りは、松葉杖を貸してもらいました。

職員室では、どうしたんですか?一人ひとり聞かれるので、「猫をふんじゃいまして…」と何度も答えなければならなくて恥ずかしかったです。

ヨシムネは、自分の足を踏まれた直後は、こちらをにらんで、フーッと怒っていたのですが、帰宅したら機嫌がなおっていてよかったです。

それにしても、こっちの足はどのくらいでなおるんだろう……。

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2006年12月04日

事故死の子どもの写真をHPに無断転載

事故死の子どもの写真をHPに無断転載
[asahi.com 2006年12月03日22時49分]

許せない事件です。いったい何を考えているんだろう……。

また、こういった事件が起きると、すぐに教育委員会から、個人でホームページやblogをやっている教師がいるかどうかのチェックが入ります。もしかしたら、今日くるかもしれません。

場合によっては、「教師の個人的HPやblogは禁止」という地域も出てくるでしょう。

昨年から今年にかけて私が書いたきたことが現実味をおびてきそうで、嫌な感じです。

教師ブログの規制は近い?
教師の意見表明件を守る年に
トリノ出場選手はブログ禁止?

この事件が、教師の意見表明権の剥奪につながらないように注意深く、しかも、強い気持ちをもって見守りたいと思っています。

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2006年12月03日

しおちゃんマン、来年は宮城から

あっという間に12月で、まばたきしているうちに大晦日。そんな時期になりました。

来年といっても、一ヵ月後ですが、再度宮城で講座をすることになりました。

お近くの方はご参加ください。

とき:2007年1月5日(金) 9:30-12:00

場所:仙台「茂庭荘」(022-245-5141)

参加費:500円

主催:宮城生活指導研究協議会

問い合わせ:佐々原(茂庭台中)、飯田(沖野東小)

内容
・学年のまとめをどうする?
・子ども集団づくりをどうすすめる?
・若い人たちへのメッセージ。

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2006年12月02日

義家発言をめぐって

教育再生会議には期待はしていませんでしたが、期待どころか、とても危険な方向に日本の教育を向かわせてしまうことがわかりました。

さて、いじめにかかわっての、義家氏の発言が、「非行」と向き合う親たちの会の掲示板「我が子の悩みを語り合う広場(1)」でもりあがっています。

「勝手にショック受けました」のツリーです。

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絵が動く工作

図工で、パラパラ漫画の原理で、絵が動く工作を造りました。

原理は、竹ひごを抜いていくと、次々に絵が落ちてくるしくみです。

実際には以下のようになります。


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2006年12月01日

こりゃダメだ「教育再生会議第1分科会」

この日記者会見した第1分科会の白石真澄主査は、再生会議として「基礎学力をつけるには授業時間が足りないのではないか、という方向性は一致している」と述べた。素案には、1日7時間授業や夏休みの短縮などで授業時間を増やすことや、主要教科の授業を重点的に増やすことなどが検討事項として挙げられた。

授業時間を増やせば学力があがるということはありません。逆に、集中力が切れたり、ストレスがたまったりすることが多いです。最近の子どもたちを見ていても、1日5校時が限界ではないでしょうか。むやみに授業時間を増やすと、さらに荒れる教室が増えるでしょう。

学力の問題は、あくまでも、中身の問題だと考えています

教員の評価については「校長や教委だけの目で行う現状を改め、保護者、学校評議員、児童・生徒などが参画した第三者評価を実施する」と明記。

このblogでは、こういった教員評価のおかしさを繰り返し書いてきましたので、あらためて書くことはしません。

2006年07月02日 教師が疲れきっていること
2005年07月22日 教師の仕事を数値で評価できるか
2005年08月02日 全生研大会「一般分科会(2)」
2005年08月25日 高知で(終)
2005年09月19日 先生を選ぶこと
2005年12月20日 保護者による学校評価

「不適格教員」対策であると言うのですが、これをやると、その苦しさから、逆に「不適格教員」が増えてしまうことに早く気がついてほしいです。

教師の不適格性については、あくまでも子ども、保護者、学校との話し合いで進めるべきだと考えます。評価によって決定づける問題ではないと思っています。

小学校では、複数担任制や、各学年ごとに事務職員を置くなど、何から何まで一人の担任に仕事を集中するシステムを変えていかなければなりません。(責任問題も含む)

いずれにしても、これらの問題は、教員評価によって解決できるものではありません。

※引用[asahi.com 2006年11月30日12時28分]

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