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2005年08月02日

全生研大会「一般分科会(2)」

学校づくり(小学校)分科会では、2本の実践レポートを分析しました。

レポートの内容とその分析については、全生研として検討中なのでまだオープンにできません。

ということで、レポートと少し離れたところで私が学んだことについて書いておこうと思います。

それは、学校がいつのまにか「評価する・される」の関係だけで成り立ってしまう時代になりつつある…、ということを実感したということです。そして多くの教師がそれをどうとらえていこうかと頭を悩ませているということです。

教師は子どもを評価し、子どもや保護者が教師を評価し、管理職は職員を評価し、教育委員会は学校・管理職を評価し…、それがすべて数値化されて評価されていく時代になりつつあるようです。

これって…、なんか寂しいというか、人間同士の関係ってそんなことだけじゃないと思うし、数値化された評価は、数値化できない関係を崩してしまう感じがするのです。

逆に言えば、教師が数値で評価される時代になってやっと子どもたちの気持ちがわかったということかもしれません。だとしたら教師は、数値評価を超えた関係を子どもたちと結んでいくことを考えていく必要があると思いました。

これは子どもたちに媚びることではないと思います。教師として子どもと信頼関係を結んでいくということの意味を、あらためて考え直していく必要があるということだと思います。

教師と子ども、教師と保護者、子ども同士、保護者同士、職員同士が、人間として大切なことでつながっていく(それが何かはうまく言葉では表現できないのですが)ような学校にしていくためにはどうしたらいいのか…、これからさらに考えていこうと思っています。

wrote by しおちゃんマン

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土日に全生研大会のために埼玉へ行ってきたことを書きました。実践レポートをもとに、昨日まで活発な討論が続いたようです。   民間教育団体ですが、参加... [続きを読む]

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コメント

同感です。
おっしゃるとおりに、「学校評価」って言葉が流行っていますが、これが、=「教師評価」に陥っているように思います。学校評議員制度が以前に提案されましたが、これも含めて、PTAも、職員も、いっしょになって学校教育を作っていく立場だと思うのです。私たち教師はある意味サービス業だと思って、一生懸命に期待に応えるようにしますが、一方で、親の立場から見ると、学校にサービスを要求するだけというのはおかしいと思います。いっしょに学校を作っていくのだから、「学校評価」の中には、「教師の活動の評価」も「親の活動の評価」も「支える行政や支援する立場の人の活動評価」も必要ではないでしょうか。そして、評価する立場の人は責任を持って評価するような、評価システムが必要ではないでしょうか。単なる無責任な評論家の評価は必要ありません。評価することによって、自分もいっしょに学校を作っていこうという気持ちになるのが「学校評価」だと思うのですが、みなさんいかがでしょう。

投稿者 tanapon : 2005年08月04日 23:37

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