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2006年07月02日

教師が疲れきっていること

一学期は、江戸川区、大阪、岐阜、栃木…、と行ってきましたが、どこに行っても教師がとても疲れているのがわかりました。まだ一学期なのですが……。

しかもその「疲れ方」は尋常ではなくて、体力的にも精神的にもかなりまいっている、という感じでした。

これはいったいどうしてしまったのでしょうか。

一つは、学校教育はサービスを提供するものだというとらえ方が一般的になり、その「サービス」の質を向上させるために教師が日々追われているということです。

しかもその「サービス」は、説明責任の準備、報告書の作成という形で展開されるので、「教師の仕事ってなに?」と疑問を口にしながら消耗していく…という感じなのです。

サービス向上の要求は、「ここまでできたら次は…」と高くなっていくのが普通ですので、きりがないわけで、学校はそれらの要求にどう答えるのかばかりに力を入れなければならなくなります。

教師はそういったことばかりに追われ、子どもとの距離がどんどん離れていってしまう自分に気がつくのです。

二つ目は、やはり年々子どもたちの指導が難しくなってきている、ということがあげられます。

小学校では、私立中受験が広がり、その「層」での学力競争が激しくなる一方で、小学校中学年からすでに学習に対して「あきらめ」てしまっている子どもたちも増えてきています。

その格差はひろがる一方で、そういった子どもたち同士に関係をつくる指導がむずかしくなってきています。

また、両方の「層」それぞれで子どもの課題が大きく、その指導が難しくなってきています。

三つ目は、職員室に多様な職種の職員が多くなってきたり、若い教師がどんどん採用されてくるといった状況の中で、職員同士の共同がむずかしくなり、一人で悩む教師が増えてきているということです。

さらには、人事考課制度をはじめとした教師評価制度の導入で、教師間に溝が深くなっているといった報告もあります。

簡単にザッと書きましたが、実は状況はもっと複雑であることは言うまでもありません。

しかしいずれにしても、教師が疲れているということは、子どもたちにとってけっしていいことではないということです。

私たちは楽をしたいと言っているわけではありません。もっと教師本来の仕事を全うしたい、子どもたちのためならどんな汗でもかく……、多くの教師はそういう思いで、毎日がんばっているはずです。

wrote by しおちゃんマン

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コメント

学校現場の感じが分かりますね。

サービス過剰のことに一言

やはり文科省とその指示系統の中で、整理されていないアイディアが闊歩しているのだろうな

生徒の変化に対応する大変さと共に、もう一つの苦しさの要素になっているかも

投稿者 高橋りう司 [TypeKey Profile Page] : 2006年07月02日 15:40

三男の友人、知らない人はトロイ子、ですが障害の認定を受けています。中学の時、教師間の確執に巻き込まれました。誰にも話せない話と、お母さんから聞きました。巻き込んだ教師、今でも許せません。校長、担任、両親、教師、話し合って、両親が教師に頭を下げる形で収まったそうです。担任の先生は、「彼は僕に不満があるのです」と、涙を滲まされていたそうです。友人の甥が、小学校の先生に。指導教師は定時で帰宅。ご本人は体の心配をする勤務ぶりだそうです。ここのURL友人に知らせました。繋がりますように!

投稿者 てんこ : 2006年07月03日 17:34

結局は、現場の教師が「どこを見て」仕事をしているのかが問われているのだと思いました。

投稿者 しおちゃんマン [TypeKey Profile Page] : 2006年07月11日 21:55

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