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高知で(終)
2日間の高知での講座が終わりました。この2日間を通して、私自身が学んだことをまとめておきたいと思います。
1)高知の先生方もまた、「説明責任」(私は「言い訳」「アリバイづくり」と言っています)という名目で、子どもたちの指導とは直接関わらないところでの忙しさに追われて悩んでいる。「忙しくて授業をする暇もない」といった笑えない状況まで生まれてきている。私たちは「忙しさ」からは逃げてはいけない。ただ、その「忙しさ」の中身を検討していかないと、子どもたちや保護者の皆さんとのスレチガイを大きくするだけである。
2)子どもたちの指導や保護者のみなさんとの関係での悩みを一人で抱え込んでいる先生方が多い。職員室での協同や保護者のみなさんとの連携も切り裂かれ、自分を責めてしまう教師が多い。これは「教師評価制度」がそれにおいうちをかけているようだ。
私は基本的に、教師の仕事を「数値」で評価することには反対。教師の仕事は数値にはなじまないし、その年だけの仕事で評価されるものではないからである。さらには、子どもたちの「心」を無視した「成果主義」になってしまう危険があるばかりでなく、職員間の協力体制を壊してしまう危険性があるし、現にそういった声があちらこちらから上がってきている。
しかし、どうしても評価したいというならば、数値ではない評価、さらには職員による管理職評価等の相互評価制度が必要であろう。
3)小規模校が全国的に増えてきていて、一クラス一桁の人数のクラスも地方では少なくない。組合は30人学級云々の運動を展開しているが、もっとその中身を検討したほうがいい。つまり、ひとクラスの子ども数を減らすことばかりでなく(減らしていくことはもちろん大切であるが)、同時に日本の学校において、「学級」とはなんだったのか、子どもがそこで生活するとはどういった意味があるのか、そしてそのために教員がどのように配置されるべきなのかを研究していく必要がある。数字ばかり追った「運動」は形骸化する。
4)教師の工夫とアイデアにとんだ授業がどんどん生み出していける職員室を目指したいものである。特に若い教員が全国的に増えていく中、彼らの感性から私たちベテランは学ぶ姿勢が大切である。「学習指導要領」をタテにして創造的な実践を止めてしまったり、「思いつき実践」だと切ってしまうような職場では、ますます子どもたちが離れていくのではないだろうか。
5)日本の教師がどんどん元気がなくなってきている。私たちは子どもたちから元気をもらってきたのだと思う。子どもたちの笑顔、そして子どもたちとの関わりの中で、私たち自身もまた「新しい自分」が発見でき、それが私たちの「元気」につながってきたのである。
教師と子どもとの関係が、評価する・評価されるだけの関係だけではますますお互いに「元気」がなくなっていくのではないだろうか。
高知のみなさん、ありがとうございました。
wrote by しおちゃんマン
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