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体験入学生との出会い
クラスに(3年生)、ニュージーランドから一ヶ月間体験入学をしていた女の子が今日でお別れになります。
日本語がまったくわからず、最初はとても不安な顔をして席にすわっていたのですが、後半は子どもたちと簡単な会話ができるくらい日本語が上手になりました。
あらためて子どもの適応能力のすごさ、可能性の大きさを感じて感心しています。
その子にとってはもちろん貴重な体験だったと思うのですが、実はクラスの子どもたちにとってもとてもいい出会いと体験ができたのだと思います。
これは単に、英語を覚えたとか、そういった技術的なことではなくて、一人で言葉がわからない場所で生活することの不安にたいして共感し、自分に何ができるのだろうかと子どもたちなりに考えるとか、そのためにコミュニケーションをどうとったらいいのだろうかと悩むとか、一人の友だちとの出会いから実に様々なことが学べたのだと思うのです。
今回の子どもたちの出会いを、お互いに、未来に生きる「力」としてほしいと思っています。
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スポーツテスト
今日はスポーツテストです。最近では、「新体力テスト」と呼んでいます。
3年生は、握力、上体起こし、長座体前屈、反復横とび、20mシャトルラン、50m走、立ち幅跳び、ソフトボール投げ、といった種目のテストをします。
全国的に行われているのでしょうか?
最近の子どもたちは、個人差が大きいことが特徴だと思います。
個人差が大きいということは、逆にすごい記録を出す子もいるということなので、「平均」の記録で判断すると、体力が落ちている子が増えていることに気がつかないことがあるので、注意したいです。
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校庭から消えていくもの
体育で、マット運動の指導をしています。
最近の子どもたちは、たとえば授業でマット運動の前転を教えても、日常的に「転がる経験」が少ないので、昔のようにすぐに身につきません。1,2年生の時に上手にできていても、3年生になるとできなくなってしまっていることが普通です。また、指導中に前転の練習をしていると、よってしまう子もいます。
私自身が子どもの時は、たとえば校庭の砂場に跳び箱が日常的に置いてあって、休み時間に自由に練習することができました。もちろん教師などはついていませんでした。
今では、怪我が心配で、そんなことは考えられません。実はこれは、子どもの怪我が心配なこともありますが、責任問題もあるのです。教師が見ていないところで大きな怪我があると学校に責任が問われてしまうわけです。
ちなみに、ぶらんこが校庭にある学校が少なくなってきているようです。本校にもありません。そう言えば、ジャングルジムもないし、吊り輪もないなあ。あと、ぶらさがつてグルグル回るやつ…、名前はわすれちゃったけど…。他にも以前あったけど、校庭からなくなってしまった遊具があると思います。
このままだと、今に、鉄棒も校庭から姿を消してしまうのではないかと心配しています。とりはずせるしくみになっていて、体育のときだけセットするといったことになるかも……。
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書き込みツールを考える
個人的な「慣れ」の問題もあると思うのですが、どうもblogは一つのテーマについて論議をするツールとしては、今ひとつ向いていないような気がするのです。
コメントはサイドバーに表示されますが、もともとの記事からのつながりがわかりにくいからです。
blogへの書き込みは、どちらかというとゲストブックに近いのではないでしょうか。一つの記事について「訪問の足跡を残す」イメージです。
さて、しおちゃんマン的には、一つのテーマについて論議するのは、ツリー形式の掲示板がベストなような気がします。このサイトでは、下記の場所に用意しています。
同じ掲示板でも、いろいろ種類がありますが、論議するのには上記のツリー形式がいいようです。
一つのテーマについて、さらに深く論議するのには、スレッド式掲示板がいいようです。私が管理しているスレッド式の掲示板は下記にあります。
▼あめあがりの会掲示板
このページの「我が子の悩みを語り合う広場(2)」の掲示板です。
一方、談話・雑談は、YY-BOARDと呼ばれている「アイコン式返信ボード」が楽しいですね。このサイトには、以下の場所に用意しています。
書き込みができるツールはいろいろありますが、それぞれのツールのメリットを生かしていきたいと思いつつ、まだまだ上手に運営できなくて、申し訳なく思ってます。
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携帯用Web
「非行」と向き合う親たちの会のWeb担当もしています。
このところ、携帯対応の掲示板もにぎやかになってきたので、携帯用Webをしっかり作らなければいけないと考えて、魔法のiランドのサイトを利用して作ってみました。
↓↓↓
あめあがりの会(携帯対応掲示板)
携帯用Webは、キャリアによって表示方法を考えなければならないのが面倒でしばらく遠ざかっていました。特に端末によって使える画像の形式が違うのが困ります。もう統一されたのだろうか。とりあえず今回は、gif画像を使いました。ボーダフォンでは無理かも……。
ちなみに私は、エアエッジフォンユーザーなので、ドコモ携帯と同じようにC-HTMLに準拠したケータイ向けWEBサイトを見ることができます。
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小学生の対教師暴力増加?
文部科学省の調査によると、公立小学生が04年度に学校内で起こした暴力行為は1890件で前年度比で18%増になっていることがわかったそうです。
何をもって「暴力行為」としているのかな?と、まず疑問に思いました。
少なくとも、「これは暴力である」と決めているのは学校であることに注意しなければなりません。つまり、こういった調査は学校の子どもたちの見方や関係性によって変わるものだということです。
さて、こういった調査結果が出るたびに思うのですが、いったいこの調査はどこでやっているのでしょうね。少なくとも私の教師人生の中でこういった調査に関わった事は一度もありません。
また、件数は数字で出るわけですが、何をもって「一件」と数えるのかもよくわかりません。
たとえば、A君が暴れて机を投げたとします。教師が止めて、10分後に今度はイスを蹴飛ばしたとします。これは一件なの?それとも二件なの?
B君が興奮して教師の胸ぐらをつかんだけれど、落ち着かせたらすぐにあやまった…、これは「一件」として報告するの?ということです。
もし私が調査に答える側だとしたら悩むと思います。
ということで、私は子どもたちの状況をこういった数字で「増えた・減った」と騒ぐのはナンセンスだと思っています。
ただ、注目しなければならない項目はあると思っています。
それは、「対教師暴力」といった調査項目について反応した学校が増えているということです。
実際に「件数」が増えているのかどうかは上記の理由により確かではありません。また、何をもって「暴力」であると決めて報告したのかもよくわかりません。
しかし少なくともこの調査項目に反応した人が小学校に多かったということに注目しています。つまり、この学校と子どもたちとの「関係性」が気になるのです。
また、校内暴力で警察に補導された小学生の数は04年度が24人。02年度の2人、03年度の11人から急ピッチで伸びていたということです。
これは、警察に通報した数が増えたということだと思うのですが、これは子どもの暴力が激しくなってきたからなのか、それとも学校がすぐに警察に通報するようになったのか、あるいは両方なのか…、まさか「胸ぐらをつかまれた」だけで警察に通報するとは思えませんが……。
どういったケースで学校は警察に通報しているのか、また、そのことについてその学校のスタンスをどのように決めて、保護者に理解を得ているのかも気になるところです。
今の子どもたちの指導は確かに以前に比べて困難が多いです。これは私も現場にいますから、痛いほどよくわかります。しかし、誤解を恐れずに書くと、現場はもう少し踏ん張っても(警察以外の他の機関に相談し協同して指導することも含めて)いいのではないかと思っています。
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【書籍】信長の棺
話題になっているのは知っていたのですが、分厚いことと、時代小説はあまり興味がないので敬遠していました。
しかしミステリー色が強そうだということと、小泉首相が強く影響を受けた本だということで購入してみました。
まだ読み始めたばかりですが、謎解きにどんどん引き込まれていってけっこうおもしろいです。この連休で読みきれそうです。
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じゃんけんの不思議
校内の授業研究で、2年生が生活科で「じゃんけん」についての学習をするというのを聞いて、私も急に「じゃんけん」について興味をもってしまいました。というのは、「じゃんけん」というのは、いろいろ不思議なことが多いからです。
○じゃんけんのルーツはどこなのか。
○国によってやり方が違ったり、同じだったりするのはなぜか。
○三すくみのルーツは?
○「最初はグー」は、ドリフターズのコントが最初だったとは…。
○では、「出さなきゃ負けよ」は誰が広めたのか。
○最近の「多いもん勝ち」というのは、いったい?
○地方によってかけ声が違うようだが、私が子どものころは(千葉)「ちっけった」という掛け声だったが、これはいったいどういう意味?
昔、「謎学の旅」というテレビ番組がありましたが(日テレかな?)、こういった傾向の番組が好きでした。
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48歳になりました
今日で48歳になりました。
いつまでも若いつもりでいたのですが、体の中身は不摂生のためにボロボロ。ふと気がつくと髪の毛にも白いものも目立ってきてしまいました。
にもかかわらず、まわりからは、
「いいかげん、大人になりな」
と言われ続け……、子どもたちからも
「先生は、大人でしょ」
と叱られてしまう毎日です。
さて、教師生活も、最後までつとめたとしても、あと12年。秒読みが近づいてきた感じがします。
教師になるのが夢だったので、その夢がかなって今日まで全力でがんばってきましたが、この歳になっても、まだまだ自分の生き方に自信が持てないことに、我ながらあきれています。
最近は、『甲子園への遺言』の高畠さんにも影響されて、新しい『夢』も持ってみたいと思い始めています。
今日から50代にかけて、その夢のための準備を始めたいです。まだその『夢』がなんなのかは言えないけど……。
夢が実現できなくても、いや、その準備さえも始められなくても、『夢』を「みている・持っている」ことを大切にして、生きていきたいと思っています。
子どもたちから、紙で作ったバースデーケーキをもらいました。中にメッセージが入っていました。うれしかったです。
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メーリングリストの行方
今、どこのメーリングリスト(以下、ML)も衰退傾向のようです。
MLポータルサイトの老舗、ML World も閉鎖されてしまいました。
私もMLを主催していますが、私以外のメール投稿が少なくて、寂しい思いをしています。
MLの管理人が集うメーリングリストに参加しているのですが、そこでの分析によると、
・MLは、インターネット中級者レベルの人でないと手が出しにくい面がある。
・掲示板があるからいいという人が多く、手軽さもあってわざわざ難しい方を選ばなくなっている。
・ネットで自分の言動を責任を持ってきちんとした表現で伝える人が減少している。
・Mixiやblogのような、新たなコミュニケーションスタイルが広がってきている。
そして、各MLの管理人のみなさんの結論としては、今後、メーリングリストは連絡手段のためのツールになっていき、コミュニケーションの手段としては、残念ながら衰退していくだろう…、ということでした。
ただし、私は以下の分野でコミュニケーションとしてのMLの活用を見通してもいいのではないかと考えています。つまり、
・少ない人数での、顔見知り(定期的に顔を合わせている)の中でのコミュニケーション。
・具体的なテーマを持った、活動期間限定の短期のメーリングリスト。
ML、掲示板、blog…、それぞれの特徴をうまく生かしつつ、インターネットコミュニケーションを広げていきたいものです。
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不審者侵入対応訓練
本日、「不審者侵入対応訓練」を行いました。
校内に不審者が侵入した時に、学校全体としてどのように対応し、行動するのかの訓練です。
本校は職員数が少ないので、一人ひとりの職員の行動について他校以上に具体的な「決め事」をしておかなければなりません。
たとえば、私が不審者への対応をするために教室を離れたときに、子どもたちを誰がどこに誘導するのか…、といったことですね。そういったことを具体的に確認しました。
また、訓練でも、想定外のことがおこった時に、どのように判断するのかもいろいろ考えさせられました。
子どもたちを誘導した後、体育館に全校で集まって、県の生活安全課の方たちから、「連れ去り防止」について、お話を聞きました。
自分の身は、自分たちで守らなければならない時代になってしまいました。しかし同時に、地域レベルで、どのようにして子どもたちを守っていくのかの取り組みをさらに強めなければならないと感じました。
本市では「こども110番」の取り組みをしています。
児童・生徒等が「声かけ」や「つきまとい」などの身の危険や不安を感じたときに、直ちに駆け込み、救助を求められる緊急の避難所(協力してくれる家庭やお店等)を設置しています。
こういった「ハード面」の取り組みをさらに強化しつつ、一方で、「近所づきあいを広げて、誰もが知り合いになること」といった「ソフト面」の呼びかけをしていくことで、さらに地域の安全が守られるのだと思いました。
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先生を選ぶこと
ヨミウリウィークリー(9.25)で「102人の親に聞いた『学力低下』の真犯人」という特集が組まれていたので、読んでみました。
「学校への不満」「学校教育に望むこと」など、首都圏と関西圏で学研の「科学」「学習」を定期購読している小学4~6年生の両親102人にアンケートをとってその結果が集計されています。
首都圏・関西圏であることと、「科学」「学習」を定期購読しているという限定された「層」なので、これらが一般的な「声」だとは思えませんが、中身はいろいろ考えさせられるものがありました。
特に注目したのが、「先生を選べるように」という章です。
この特集のコメンテーターの教育アナリスト戸田忠雄氏の主張は、
教師を聖職視していてはダメです。学校を改革していくためには、保護者による教員評価が必要です。
さらに、記事によると、
戸田さんの構想は、校長が、保護者の評価を50%以上入れて教員の勤務評定を行うことで、給与や昇進にリンクさせる。さらに、学級担任や教科担任は、子ども側が毎年度、選べるようにする-というものだ
ということでした。
ところが、戸田氏の主張とは違って、アンケートでは「教師に望むこと」の第一位は「教師は人格者であってほしい」が95.1%で圧倒的に高く、「保護者が教師を評価する」は、42.2%という低い数字にとどまっています。
つまり、教師個人に対しては「人格者であってほしい」と願いつつ、それを自ら評価し、場合によっては「先生を選ぶ」ことについては非現実的であり、それがそのまま「学校改革」につながるとは多くの人は考えていないということです。(小学校の教科担任制を望む声も、42.2%と低い数字でした)
小学生が自ら「先生を選ぶ」ことは、その判断基準の問題も含めて、うまくいくとは思えません。「子ども側が選ぶ」と言いながら、結局は「親」が選ぶことになるのではないでしょうか。そしてその親の判断と子どもの思いが一致するかどうかも、また大きな問題があると思います。
また、保護者による教師評価や、管理職による一元的・一方的な教師評価は、教師をサラリーマン化・営業化させ、ますます子どもたちから目が離れていくでしょう。
むしろ学校は、教師一人ひとりの個性が発揮できる方向で自由化し、「名物先生」をたくさん生み出すようにした方がいい、というのが私がずっと言い続けてきたことです。
そのことが学校を活性化させ、結果的に学校に集団的な教育力を高めることができるのだと考えています。
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どうして「先生」になったの?
子ども(小3)に、
「先生は、どうして『先生』になったの?」
と聞かれたので、少し考えて、
「子どもたちに教えることが好きだからかなあ…」
と答えました。
でも何か足りないような気がして、
「先生は、『先生』になるのが夢だったから、その夢がかなって幸せだよ」
と言いました。
すると、
「わたしは、モデルになるか、歌手になるか、幼稚園の先生になりたいの」
と自分の夢を話してくれたので、
「うん、きっとなれるよ」
と言いました。
その時の、その子の顔がすてきだったので、私もこの年になって、さらなる『夢』をもってみたくなりました。子どもからエネルギーをもらうって、こういうことだと思いました。
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【書籍】甲子園への遺言
高畠コーチという方は、漫画「あぶさん」の脇役でちょこちょこ出てきてお名前だけは知っていたのですが、落合や田口、イチローといった数多くの一流選手を育ててきたすごいコーチだとは知りませんでした。
しかも、教員免許を通信制で取得して、多くのオファーを断って、五十歳台で高校教員になり、甲子園を目指そうという、ものすごい生き方をされています。
しかし志なかばで病に倒れ、亡くなりました。
まだ読み始めたばかりですが、なぜこのような生き方ができたのか、今日、一気に読んでみたいと思っています。
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ボール投げ
今月末にスポーツテストがありますが、その中の種目で「ソフトボール投げ」があります。
さて、今の子どもたちは、ボールを投げることが苦手です。
ということで、ここ数年、体育の授業でボールを投げる指導をしなければなりません。昔はそのような指導はほとんど必要なかったのですが……。
ボールを投げられなくなってきている原因は、投げる動作をしなくなってきたからですね。
海や川、山に向かって石を投げた経験などもちろんなくて、野球チームに入っている子は別として、キャッチボールをしたり、壁にボールをあてて遊ぶこともなくなりつつあります。
いやむしろ、「物を投げてはいけない」「壁にボールをぶつけてはいけない」と、地域で禁止されている所がほとんどです。
逆に、ボールを蹴る動作は、今の子どもたちは得意のようです。足でボールを操る動作は、私よりも上手な子がほとんどです。
子どもの運動能力というのは、その時代の環境や文化に左右されるものだという典型的な例だと思いました。
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かわいた雑巾は使えない
倉本聰さんが「富良野塾」で塾生に言い聞かせていることは「かわいた雑巾は使えない」ということだそうです。
つまり、たくさんの「水」を得るからこそ、しぼれば「水」が出るし、雑巾としての役割が果たせるということ……、つまり日頃からいかにして「受信」するのかこそが大切だということでした。
脚本家や俳優さんは、表現することが仕事です。ゆえに、いかにして「表現」するのかを考えるのだと思っていたら、実はそのためにいかにして「受信」するかこそが大切だということでした。
教育では、子どもたちに表現力を育てようとしてその技術ばかり追ってしまう傾向があります。表現力を育てるためには、子どもたちの生活基盤に注目しつつ、いかにして「受信」するのかこそを大切にするべきなのかもしれません。
そして、実は「受信」というのは受け身ではなくて、人や物に働きかけながら、新しい自分を発見していくことだと思っています。
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【学習会】第3回浦安教育実践学習会
浦安生活指導サークルと浦安市教職員組合共催の「第3回浦安教育実践学習会」が下記の通りに開かれます。お近くの方はぜひご参加ください。
■日時
9月30日(金) 5:30~8:45
■場所
浦安市中央公民館
■時程
5:30~ 受付け・ゲームの紹介
6:00~ 鈴木啓司先生の講座
「これだけは身につけたい国語の授業技術」
・漢字遊び、ことば遊び
・作文ワークショップ
・聞くこと、話すことのワークショップ
他
■講師紹介
鈴木啓二先生
・市内小学校教諭
・授業づくりネットワークの活動で全国で活躍中。
・子どもたちが生き生きと学ぶ国語の実践を多数紹介。
・著書「ワークショップ型授業で国語が変わる 小学校」他
■書籍販売
「教室の裏ワザ100連発 遊び心でクラスいきいき!」
「職員室の裏ワザ100連発 教師がつながり、学校が元気になる」
「教室がなごむお笑いのネタ&コツ101」
「ワークショップ型授業で国語が変わる 小学校」
他、多数用意しています。
■参加費
500円(会場費等)
※500円で6回の学習会に参加できますので、過去3回の学習会ですでに参加費を払っている方は今回以降は無料で参加できます。
■問い合わせ
しおちゃんマン宛メールで
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自民圧勝
総選挙は、自民圧勝という結果に終わりました。
今回は、何人かの党首の演説を実際に駅前で聴いてみました。内容や話の組み立て方はもちろん、発声方法や目線等々、いろいろ勉強になることをみつけました。
今回発見したのは、弁士を紹介する「司会」の大切さと、聴衆の反応の生かし方です。
司会は、出すぎず…、かといって盛り下げず、上手に次に話をする人を紹介しなければなりません。だいたいが出すぎていて、弁士よりも目立っていて、聴衆がひいてしまう場面もありました。
また、聴衆の反応(おそらく運動員のサクラのみなさん)に対しての「間」のとりかたが、話をいっそう盛り上げるのに大切な要素になっていました。
そんなことばかり見ていたのですが(苦笑)、この自民党の圧勝が、教育をどのような方向に導いていくのかを注意深く見ていかなければならないと考えています。
国を動かすことができるのは、国会議員さんだけではありません。そして私たちが政治に参加できるのは、選挙のときだけではありません。
おかしいと思ったら、「おかしい」という声を出し、その声を広げていくことが今後大切になってくるのだと思っています。
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親のトラブル・親とのトラブル
右サイドバーでも紹介している、雑誌「生活指導」10月号の特集テーマは「親のトラブル・親とのトラブル」です。
この中で、全生研常任委員の今関和子さんは、親と教師のトラブルも親同士のトラブルも、子どもの問題をめぐって起きてくるものだとし、その背景を以下のように分析しています。
とりわけ親と教師のトラブルは、わが子が担任に、確かに受け止められているのか、大切にされているのか、という心配や不安から起きる場合がかなり多いです。
繰り返しになりますが、それは子育てが個人の責任にされていることが大きく影響しています。地域が崩れ、親たちの横につながりもつくれない中、多くの親は、親だけで孤独な不安な子育てを強いられているのです。
さらには、
また、わが子がどう見られているのかは、親自身がどう見られているのか、認められているのかという問題としても受け止められる傾向があります。
今、社会は、子どもたちの生き辛さだけでなく、大人の生きがいや、自己実現も奪っています。親自身も、一人の大人としての自信をもち、自己実現をしているとは言えないのです。親として評価されないことは、その人自身が評価されないことにつながってしまうのです。
実は、こうした孤独と不安の中で生きているのは教師も同様なので、
「こんなに(教師が)がんばっているのに何で親は文句を言うのか」
という愚痴がが出て、実はその愚痴は、
「こんなにがんばっているのだから認めてほしい」
という教師の叫びでもあるとしています。
そして、この章では以下のように結んでいます。
親たちも私たち教師も、同様な思いの中で生きているのです。そうだとすれば、同じ生き辛さを生きているもの同士が、頭をぶつけ合いいがみあうことなく、逆に手をつないで生きていく道こそが必要です。
トラブルこそが共同の必然を生み出すものである……、いやむしろトラブルを積極的に受け止めていくべきである、といった視点が、とても学べる論文でした。
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その前に窓をあけなさい
千葉はまだまだ残暑が厳しいです。
先日の始業前、子どもたち(小3)が職員室に来て、
「先生、教室が暑いので、扇風機をつけていいですか?」
と聞きにきました。
教室の四隅には、小さな扇風機が設置されています。
「いいよ」
と答えて、私もしばらくしてから教室に行ってみると、なんと窓が全て閉められていました。(苦笑)
そこで、
「扇風機をつける前に窓をあけなさい」
と言いました。
窓をあけてみると、少し風が入ってきて、いくらかは涼しくなりました。
今の子どもたちは、教室が暑かったら「窓をあける」と考える前に、「扇風機のスイッチを入れる」ことを先に考えるのだと、あらためて思いました。
エアコン生活に慣れてしまっているのか、生活環境は大人がすべてレールをしいてしまうので、そういった力が育っていないのか……、いろいろ考えさせられました。
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教育実習生との打ち合わせ
昨日、26日から私の教室で実習を行う教育実習生との打ち合わせがありました。
しおちゃんマンは、なんと初めて教育実習生を担当します。なぜか今まで縁がなかったのです。
私自身は大学のときに、母校の千葉県立八千代高校で実習。免許は国語なので国語の授業を実習したのですが、ほとんどテニス部の指導をしていたような記憶があります。
また、大学卒業後、千葉県立教員養成所(当時)に入学しましたが、その時は小学校で教育実習をしました。まとめの授業で、3年生の体育の授業をしました。跳び箱の指導だったのですが、跳べなかった子がその時間に跳べた時の感動は今でも覚えています。
いずれも私にとっては一生忘れられない思い出です。担当の先生方のおかげだと思っています。
そのように考えると責任重大で、気分的には重く感じてしまうのですが、とにかく子どもたちとたくさんたくさん接してほしいと思っています。その中で、教師という仕事のやりがいとすばらしさを感じとってほしいと思っています。
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なぜ最近の学校は手紙が多いのか
最近の学校は子どもに持たせる手紙がとても多いです。先日は、合計8枚もあって、子どもたちも私も混乱してしまいました。
どうして学校からのお便りが増えてきたのでしょうか。
一つは、学校外行事等の宣伝ビラに近いものが増えてきたことです。教育委員会を通してたくさんのプリントがまわってきます。
そしてもう一つは、
「学校に『説明責任』が課せられるということで、あらゆる取り組みの『連絡・説明・報告』を保護者のみなさんにしなければならなくなってきている」
ということのようです。
ちなみに、先日文房具屋さんから(これは別の理由からだと思いますが)、インターネット時代になって「紙」の売り上げが減ると覚悟していたら、逆に伸びてきている、という話も聞きました。
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自由研究発表会
6日(火)は「自由研究発表会」でした。子どもたちが夏休みにがんばった「自由研究」の、展示・発表会です。
本校の特徴は、
(1)保護者のみなさんも子どもたちと一緒に参観すること。
(2)展示だけではなくて自分の作品について「発表」する形をとっていること。
(3)縦割り異年齢グループで、全学年の作品・発表を見て回ること。
です。
保護者の方に負担がかかること(意図しなくても、どうしても作品の出来栄えの競争になりがち)や、高学年の発表が低学年にはむずかしい等々の課題はありますが、この取り組みの良さを生かしつつ継続していくためにはどうしたらいいのかを毎年職員間で話し合いながら続けています。
子どもたちにとってより良い方向が見つかるといいな、と考えています。
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「武勇伝」作文
作文の学習で、「武勇伝」作文というのを思いついたので。試しにやってみました。
ご存知の方はご存知だとは思うのですが…、「武勇伝」というのは、エンタの神様によく出てくる、オリエンタルラジオのネタです。
以下のようなパターンで指導してみました。
○こうしようとおもったら、こうなっちゃった(笑い)
○こうしたかったのに、こうなっちゃった(笑い)
これをヒップホップ的なリズムに合わせて読めるように作文します。「笑い」のセンスと、リズム感が必要なので、むずかしい作文です。
…で、やってみたら、やっぱり小学校3年生にはむずかしかったです。高学年以上でやつてみてください。
それでも、以下のような作品ができました。
○バーレーボールの練習で よそみをしてたら顔面ブロック
○ダンスの練習がんばって グルグルまわって目が回る
○宝くじで一万ゲット 使ったお金は2万円
○何を買うのか悩んでいたら、知らないうちに閉店だ
○虫とりあみで昆虫ゲット 穴があいてて逃げちゃった
○魚釣りに行ったけど えさをわすれてつれないよ
○知らない子に「あそぼ」と言われ はずかしがってSOS
○UFO見つけて大さわぎ 写真をとったらお皿がとんでた
ネタができたら、『武勇伝、武勇伝 デンデンデデンデン~、』とグループごとに発表してみるといいかもしれません。
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【書籍】妖怪大戦争
映画で観られなかったので、文庫本で読んでみる事にしました。
帝都物語でも出てきた加藤保憲との戦いがストーリーになっていますが、もう一方で、少年が成長していくストーリー…、特に母親との関係といった視点で読んでみるといろいろ考えさせられる内容になっています。
男の子と母親の関係は最近特にむずかしくなってきているようです。母親からなかなか自立できない男の子、逆に子どもからなかなか子離れできない母親の問題です。
なぜ「男の子」が難しいのかは、今後考えてみたいと思っています。
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居住マンションの防災対策
今年は住んでいるマンションの理事なので(輪番制です)、今日の午前中は理事会に参加してきました。
そこで出たのが、このマンションの防災対策についてでした。特に地震に対しての防災対策ができていないので、関連した設備・グッズを購入するかどうかを話し合いました。
その話し合いの中で、
「ここは避難場所はどこになっているのですか?」
と聞いてみました。
私自身の息子はもう自立して別の所に住んでいるということもあって、恥ずかしながら私自身がわかっていなかったからです。すると参加していたみなさんも知らなかったことがわかりました。男性は知らないことが多いのかもしれないと思いました。
住んでいるマンションが使えない状態になり連絡がつかなくなった時に、家族はどこで待ち合わせをすればいいのかがわからないと困るわけでして、働きに出ている人は避難場所の確認をしておいた方がいいと思いました。
また、そういった時は、交通網もマヒしていると考えられるので、あらゆるケースを想定して、家族で話し合いをしておいた方がいいかもしれません。
みなさんの所はどうでしょうか?
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ドラム練習開始
10月22日(土)に音楽会があります。本校では運動会と並んで力を入れている学校行事です。
各学年の発表(合唱・合奏)の他にも、PTA有志による合唱や教師の合奏もあります。
その教師の合奏で、しおちゃんマンは昨年度からドラムを担当しています。ドラムなど生まれてこのかたやったことがないので、昨年度は一から勉強し、練習しました。
今年もドラムをやることになったのですが、一年間スティックを握っていなかったことと、今年度の曲は昨年の曲とは違ったリズムなので、またまた練習しなければならないようです。
子どもたちに負けないようにガンバラねば……。
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親の言葉の重み
先月、「坂本九物語」というドラマを観ました。
その中で九ちゃんの母親が、
「自分が寂しくなったら、もっと寂しい人のために、自分が苦しくなったらもっと苦しい人のために働きなさい」(せりふは正確ではありませんが、確かこういった意味だったと思います)
と九ちゃんに言って、彼は母親の「教え」にそって生きていくことになります。な
すてきな言葉だと思いました。くじけそうになる我が子を励まし、かつ、世の中にはもっと苦しんでいる人がいることをさりげなく伝え、さらには、自分は人としてどう生きたらいいのかを伝えています。
また一方で、こういった親の「言葉」というのは、意図する・しないに関わらず、子どもの生き方を決めてしまうほど重いものになる場合があるのだと、あらためて感じました。
ちなみに私自身の親は、「人を待たせるな」としつこいくらいに言い続けていたので、いまだにしおちゃんマンは、待ち合わせでは必ず「待つ側」になっています。
ただ最近では、あまり早く着くと、逆に気を使わせてしまうのではないかと気にはしています。
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始業式の日
2学期のスタートの日。まず体育館に全校で集まって始業式をしました。3年生が並んでいるのを他の先生方が見ていて、
「女の子が極端に少なくなっちゃったねえ」
と言っていました。
Iさんが転出し、さらにこの日は女の子が2人欠席だったので女子は7名しか並んでいませんでした。18名の男子に比べて、列がとても短く感じました。
教室では夏休みにがんばった自由研究の作品を見せてもらいました。どの作品も、とてもよく工夫されていて感心してしまいました。
(左:わらぞうり作り/右:公園マップ)
それが終わったら、夏休みの様子を話してもらいました。ただ話をするのはつまらないので、たとえば…、
「自分こそ一番遠くに出かけたと思っている人は?」
と聞いて、何人か立ってもらってそれぞれ話をしてもらいました。
外国にも出かけた人がいて、すごいなあ…、いいなあ…、と思いました。他にもいくつかこういった形でテーマを投げかけて、全員に簡単なスピーチをしてもらいました。
10:45から、避難・引渡し訓練を行いました。
災害がおこった時に、私たち大人がどのような順序で行動し、子どもたちを守っていくのかを再度確認していきたいと思いました。
コメント (0) /トラックバック (2) /wrote by しおちゃんマン