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さあ、学期末に突入だ!
今週から7月がスタート。学期末に突入します。子どもたちにとっては、テストが多くなり、教師はこの4ヶ月の評価の整理に追われます。
今年から教育委員会のサーバー内で成績処理をしなければなりません。その一年目ということです。
出席簿はすでにそうなっているのですが、毎月の出席簿作成の時期に市内の全職員がサーバーを同時に使用するので、重くて利用できなくなりました。
成績処理(通知表作成)もそうなったらマズイということで、本校ではソフトそのものは使用しないことになりましたが、教育委員会のサーバー内で仕事をすることには変わりがありません。
さてさて、大きなトラブルにならなければいいのですが…。そうなった時のためにも、早目に仕事を進めておこうと思っています。
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携帯メールの文字を大きく
昨日は、東京都羽村市で講座でした。
こんなふうに毎週いろいろな所に行って講座をしていると、自分が何かすごい実践家みたいな錯覚をおこすので注意したいです。
自分はすごい実践家ではないこと。子どもたちと一緒に地べたを這いずり回りながらがんばれる教師になりたいです。そしてそのことに誇りを持ちたいと思っています。
さて、最近、一気に老眼が進んだようです。
単行本や携帯メールの文字も見にくくてしかたがありません。
老眼鏡は夏休みに購入する予定。
その前に、携帯メールの設定文字を大きくしてみました。
読みやすくはなりましたが、メールそのものがなんだかすごくかっこ悪くなってしまったようで、ショックです。
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携帯サイト模索中
地元の浦安の生活指導サークルのサイトとして、携帯サイトを模索中です。
今までは、PCで閲覧するブログを利用していたのですが、今ひとつ機能していません。
教師はみんな忙しくて、帰宅後パソコンを起動させる人は少ないのが原因です。
そこで、携帯を利用して情報交換をしていくのがいいのではないかと考えました。
そのサイトから、実践通信を携帯に配信したり、学習会の案内を知らせたり……。
一学期中にはまとめていきたいです。
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本日、浦安生活指導サークル学習会
本日(6月27日[金])、浦安生活指導サークルの学習会を下記の内容で開催します。お近くの方、お近くでない方でも、興味にある方はどうぞお気軽にご参加ください。
【場所】 浦安市中央公民館
【時間】 18:00〜20:45
【テーマ】 学級崩壊再び
5年生の時に学級崩壊してしまったクラスを6年生で担任。どのような指導方針と実践の展開をしていったのかの報告。
他にも、「こんな教師は学級崩壊を起こさない」の教師用チェックリスト等、話題が豊富です。
【参加費】300円
※年間パスポート1000円で、年間6回の学習会(あと5回)にすべて参加できます。
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【本】12歳たちの伝説
朝の読み聞かせが続いています。これだと思ったら続けていくのが私の信条でして、日刊通信もそうですし、昨年度からスタートした読み聞かせも同様です。
「今自分にできること、頑張ればできそうなこと、そういうことを積み重ねていかないと、遠くの目標は近づいてこない」by イチロー
ということで、この読み聞かせは、卒業するまで続けていくつもりです。
さて、今読んでいるのは、「12歳たちの伝説」(後藤竜二)です。
5年生の時に学級崩壊を起こし、何人もの先生に見放された6年1組。その中で揺れ動く12歳たちの切ない気持ちがリアルに描かれています。
それにしても後藤竜二さん。作家なので現場を見ているわけではないと思うのですが、描写がとてもリアルです。よほど丁寧な取材を重ねられたのだと思います。子どもたちの心理分析もすばらしいです。若い先生たちにも読んでほしいと思ったくらいです。
ただ、本当の現場は、もっと厳しいというのが現実です……。最近の子どもたちの、恐ろしさ・不安定さは、あんなものではありません。そしてそれらを生み出しているのは、私たち大人であることも忘れてはならないと思いました。
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子どもたちの描くしおちゃんマン
私のクラス出身者は、しおちゃんマンが描けます。先日、30歳をすぎた教え子から「まだ描けます」と言ってもらった時には、すごくうれしかったです。
昨日の、漢字テスト全員合格を祝う風船ボール大会の時に、子どもたちが描いた黒板の絵です。ここではしおちゃんマンが、3人描かれていますね。
しおちゃんマンについての情報は以下の通りです。
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土曜日は羽村市で講座
今週の土曜日(28日)は、東京都羽村市で教育実践講座をする予定です。西多摩教職員組合教育研究会・総会の記念講演だということです。
会場は、羽村市生涯教育センター「ゆとろぎ」。
時間は、13:45〜15:30。
テーマは、教師と子どもたち、子どもたち同士の「つながり」をどうつくっていくかについてです。
振り返ってみると、ここ数年の教育行政は、教師同士、子どもたち同士、教師と子どもたち、教師と保護者、保護者同士、さらには親子関係までも、バラバラにさせていく方向にあるような気がします。
そんなバラバラにある関係をどのようにしてつないでいけばいいのかを、現場の教師の目線で語ってみたいと思っています。
ただし、いつも通り失敗談ばかり。私の失敗から、たくさんの教訓をつかんでいただけたらと思っています。
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体力が戻りつつある
今月は、ジムのランラングマシンで走っても、3kmをこえると苦しくなってしまって、まったくトレーニングになりません。
そこで思いきって、夜はサラダだけの食事に変えてみたところ、金・日曜日は、久しぶりに5kmを気持ちよく走れるようになりました。
9月頃に再びハーフマラソンに出てみたいと考えています。
あっ、その前に人間ドックがあるなあ。メタボ検診にひっかかりそうなので、できることだけはしておかないと。
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子どもたちとリアルに出会う
教師と子どもたちとの関係の崩れが広がっています。
再び「学級崩壊の時代」とも言われています。なぜなのでしょう?
いくつか原因はあると思うのですが、ここであげておきたいのは、
「教師と子どもたちがリアルに出会っていない(出会えない)」
ということです。
子どもたちから見れば「きれいごと」としか見えない、見せかけの価値観を押し付ける(押し付けなければならない)教師たち。
表面上のいい子でいることの息苦しさ……。にもかかわらずそれを高く評価する(評価しなければならない)教師たち。
とても関心が持てそうにない教科や授業の内容。しかし、興味・関心があるように見せなければならない現在の評価制度。……エトセトラ。
教師と子どもたちは、見せかけの……、きれいごとの……、形だけの出会いしかしていないのではないかという疑いを持っています。
私たちは「子どもたちとリアルに出会う」という視点をもって、実践を構築していくべきだと考えているわけです。
さて、よく「あなたのクラスだけ勝手なことしないで!」とクギをさすベテランの先生がいますが、このことと「リアルに出会う」ということについて書いてみましょう。
リアルに出会うということは、その実践が子どもの「事実」からスタートするということです。
そこでは当然、学級によって子どもたちは違うのですから、学級によって実践の違いが出てくるのは当然です。というか、どうしても違いが出てこざるを得ない……、と言った方が正確かと思います。
したがって、「勝手なことをしないで!」と言っている人が、実は勝手なことをしてしまっている(せざるを得ない)というのが本当のところなのです。
実践は学級ごとに大いに工夫してよろしいのではないでしょうか?いや、子どもとリアルに出会うためには、それぞれの学級で、それぞれの工夫をせざるを得ないのではないでしょうか?
それでも、形だけ統一させようとしているところに、子どもたちとのすれ違いが始まっていることに気づいてほしいのです。
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うんうん、いい感じ
子どもたちが保護してきた子猫の名前は「ねね」。猫風邪、目やにも順調に回復し、食欲も旺盛。
心配された、黒猫ヨシムネとの相性は、ヨシムネが異常に警戒し、こわがって、逃げ回っている。ねねがヨシムネを一生懸命追いかけるのだが、そばまでくるとヨシムネは悲鳴をあげて逃げてしまう。(ダラシナイ)
早くお互いに慣れて、仲良くなってほしいです。
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教育をサービスの質として評価する傾向はその要求に歯止めが利かない
本来「共同」な営みであるはずの教育が、いつの頃からか、サービスとして位置づくようになってしまいました。
そして、保護者の「理不尽」と思える要求は、実はこの教育のサービス化政策と無関係ではありません。サービスに求める要求は多様で、しかもきりがないからです。
それにしても最近の学校へのクレームは「殺すぞ」といった言葉が飛び交うほど過激です。
その過激さと理不尽さには到底共感・賛同はできませんが、過激にならざるを得ない保護者の生活背景には共感しなければならないのではないでしょうか。
また、そういった親からの「要求・苦情」もまた、すべて教師が個人として受け止め、一人で抱え、悩まなければならないところにも、現在の学校の問題があるのです。
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しおちゃんマンの家に新しいメンバー
一昨日から、しおちゃんマンの家に新しいメンバーが加わりました。
2008年6月初旬生まれ。現在、生後約3週間。メス。
今のクラスの子どもたちが公園で保護しました。飼い主がみつからず、このままでは保健所に連れていかれてしまうということで、しおちゃんマンが飼うことにしました。
猫風邪と、目やにがひどいので、現在通院中。
一方、ヨシムネは、かなりご機嫌斜め。縄張りに新入りが入り込んできたのですから、無理もないのかも。今後は、この二匹が仲良く暮らせるためにはどうしたらいいのかが課題です。
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エッシャーの作品から物語を書いてみる
2008年6月12日(木)、校内研の研究授業(小6国語)の内容をホームページにしました。
1枚の絵から、子どもたち自身がどのようなコミュニケーションをつくっていけるのかに挑戦してみたいと考えました。
絵をスタート地点においてみようと考えたのは、一つは、子どもたちの作文指導が絵日記からスタートすることからもわかるように、子どもたちにとって、絵を媒介にすることで、書くこと・話すこと、そしてコミュニケーションをとることに抵抗がなくなり、より意欲的に学習できると考えたからです。
二つ目は、これからの時代、画像と言葉の統一的な表現力・コミョニケーション能力が求められるのではないかと考えたからです。
さて、そのための絵は、子どもたちの目が思わず吸い寄せられるインパクトのあるものでなければならないと考えました。
そこで、私自身が小さいころから気になっていた、M・C・エッシャーの絵をとりあげてみることにしました。
詳しくは、こちらのページでご覧ください。
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教師管理はどこに向かっているのか
ここのところ内容が固いというご意見もいただきましたが、もう二、三日おつきあいください。
最近ようやくわかってきたのですが、国・文科省の当面のねらいは、国による教育内容・方法の統制のようです。
そのことによって、国のために命をささげられる人間づくりを目指しています。つまり、こうしたねらいを達成するためには教師の徹底した管理が必要なようです。
さて、ここ数年、新採用の教師がどんどん増えてきています。
国・文科省が彼らにどのような「教育」をしようとしているのかを見れば、今後の教師管理の方向性が見えてくるのではないでしょうか。
徹底した研修による「上に物言わぬ(言えぬ)教師」の育成。
「上」に従い「下」に支配的。それでいて人間関係に気を配り、そつなくおしゃべりができる若い教師たち。
かれらとの教育的共同のあり方が学校づくりの大きなテーマになりつつあります。
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意図的な学力低下宣伝
はたして、「学力」は他国との順位の比較で「低下」したと言えるのでしょうか?
もしかして、文科省やマスコミが騒ぐほど日本の子どもたちの学力は低下してはいないのではないだろうか?という疑いをどうして持たないのかと思うのです。
ところが、授業時数の増加等々、学力向上をうたった文科省の取り組みを見ていても、到底本気ですべての子どもたちの学力を向上させるつもりはないことは明らかです。
国・文科省にとっては、学力が高い子は、ほんの一握りの子どもたちだけで十分であるという「ハラ」が見え見えです。
意図的な学力低下宣伝と、それにともなう授業時数の増加は子どもたちのためではなく、実はすべて現場・教師の管理が目的であると言わざるを得ません。
私たちの苦しみは、こうした意図的に進められているものから生まれてきています。
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現場を消耗させる間違った競争主義
「教師を競争させればがんばる」といった間違った競争観。
「文句がある奴は辞めればいい」という某区教育長の開き直り。
国・文科省は、学区の自由化で学校間競争をあおり、学力テストでその競争を激化させ、人事考課制度でその競争を教師個人にまで反映させました。
教師の仕事は数値で評価できるものではありません。教育の仕事は個人の仕事ではなく共同で進めるものです。
かりに教師個人が評価できるものだとしても、その評価は『何年もたってからわかる』ことがいくらでもあるのです。
間違った競争主義は、教師と子どもたちとの関係を崩壊させます。そして何よりも現場の「共同」の関係を崩壊させます。
指導の自己責任を強いられる中で私たちは日に日に消耗しています。
私たちはそんなことのために苦しんでいます。
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私たちはこんなことのために苦しんでいる
いつものように5時前に目が覚める。あっ、土曜日だったとすごくうれしくなる。しかしその次に、やらなければらない仕事が頭をかけめぐって、二度寝ができなくなる。
●説明責任と責任逃れと形だけの宣伝と
教師の精神的疾患の急増、中途退職者の増加……。「教師受難の時代」と言われてきてすでに久しいのですが……。にもかかわらず文科省や教育委員会はいまだに言い続けています。
「国や地方自治体は、教育について万全の努力をしています」
「それでも子どもたちの学力が向上せず、教育問題が絶えないのは、現場の責任です」
そして現場は、その責任から逃れるために必死です。
やってもやっても終わらない「報告」のための文書づくり。教師の力量にちっとも結びつかない形だけの研修。日にちや時間さえ増やせば責任が果たせると考えている授業時数の増加や確保。そしてついには民間に委託して始めた補習授業。
これらはすべて「現場はこれだけのことをやっています」といった説明責任や、責任回避……、そして外に向けた形だけの宣伝のための多忙化であると言えます。
忙しくて子どもの指導ができない?教師の仕事は子どもを指導することではなかったのでしょうか?笑えないジョークです。
私たちはそんなことのために苦しんでいます。
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授業のテンポ
昨日、校内研究授業(国語)が終わりました。
エッシャーの「上昇と下降」という一枚の絵から、子どもたちのコミュニケーションを生み出し、最後はその絵や、「終わりのない階段」を題材にして物語を書く、という内容でした。教科書を利用せずに、教材を自作して展開しました。
他校からも2名見に来てくれました。ありがとうございました。
授業終了後言われたのが、私の授業はテンポが速い、ということです。言葉が早口なのではなく、授業そのもののテンポが速いということらしいです。自分では意識してなかったので、他の人から見るとそう見えるのかと、今さらながら新しい発見をしました。
今の子どもたちの「呼吸」にあわせようとすると、どうしても今のテンポになります。みなさんも授業のテンポ・呼吸について時々意識してみるといいと思いました。
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高学年の子どもたち
高学年の子どもたちの指導が難しいと言われる時代が再びきました。
「学級崩壊の時代再び」と以前書きましたが、残念ながらその通りの状況だと考えています。
今の学級崩壊は、比較的早い時期にくるのが特徴です。たとえば、5月とか6月。ちょうど今の時期です。
はじめから担任を教師として認めていない報告もあります。もう最初から馬鹿にしていたりして、侮辱した言葉を平気であびせてきます。これは男子・女子問わずです。
それに対して、教師がいくら強く指導しても、最近は子どもはヘコミません。特に受験で毎日競争させられ、しぼられている子どもにとっては、学校の教師の説教など、なんとも思わないのです。
その上、塾は塾で、「学校の先生の言うことなど聞く必要なし」「友情など今は捨てろ」と平気で子どもたちに指導しているようで、学校の教師はたまったものではありません。(すべての進学塾ではありませんが、これは残念ながら事実です)
一方で、不況が続く中、子どもたちをとりまく家庭環境も年々厳しくなってきています。たとえば、宿泊学習で、お金が払えないという理由で不参加を申し出るとケースをここ数年耳にしています。生活基盤が脆弱な子どもたちは、心に不安があるので、自分の居場所を求めつつ、悪い方向に進んでしまうケースもあります。そういった子が教室で、指導を拒否することもたくさんあるわけです。
しかし、「学級崩壊」は、子どもたちの「荒れ」ではありません。担任と子どもたちの関係性が崩壊してしまうことなのです。
だとしたら、どうして担任は、子どもたちの発信してくる信号を上手に受け止められなくなってきたのかを考える必要があります。
そして、どうして、子どもたちの行為・言動の裏側をさぐってみることに興味をなくしてしまったのかこそを考えてみる必要があるのだと考えています。
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明日、校内研究授業
明日、校内研究授業で私が国語の授業を展開する予定。
昨年度…、と言っても3学期でしたが、サザエさんの四コマ漫画を使って、そのストーリーを創造するといった自作の授業を展開しました。
それからまだ4ヶ月しかたっていなくて、しかも持ち上がりの同じクラスなのですが、今回は、M・C・エッシャーの一枚の作品から子どもたちの中にコミュニケーションをつくり出すといったねらいで、これまた自作で授業をつくってみました。
本校の研究は国語の表現とコミュニケーション能力の育成なので、思いきった授業を展開してみる予定です。
ただ今回は、運動会が終わって、あわててバタバタと準備をしたので、学年内でも十分な検討ができていません。もっと準備期間があれば、さらにおもしろい授業の準備ができたのではないかと悔やまれます。
とりあえず明日は、子どもたちと一緒に、ああでもない・こうでもないと、楽しみながら意見を交換してみたいと思っています。
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「小学校最後の〜」という言い方
6年生を担任しているので、「小学校最後の〜」という言い方をよくしてしまいます。
小学校最後の運動会、小学校最後のプール……等々。
ひねくれて聞けば、それがどうしたの?という感じなのですが、教師はもちろん、まわりの大人たちは、今年はよくこの言い方を口にします。
さて、小学校最後の〜という言い方に、私たち大人は子どもたちに対してどのようなメッセージを発信しているのでしょうか?
一つは、一日一日を大切にし、一つひとつに全力をつくしてほしいということです。これは、小学校最後の年であろうとなかろうと同じことなのですが、もう二度と帰ってこない日々について、今年は説明しやすいということです。
二つ目は、来年度から新しい世界(中学校)に入るのだから、やり残しのないように、という思いです。中学校入学まで、あと10ヶ月。あっという間にその日はやってきます。そしてその日がくるまでに、これまでのことに悔いのないようにして、新たな気持ちで中学校でがんばってほしいという思いです。
大人は、自分たちがそう感じているのだから、当然子どもたちもそのように感じているはず、感じるべきといった勘違いをしていることがよくあります。
しかしそれは子どもたちにとっては大きなお世話だったりするので、大人はもっと自分たちの思いを子どもたちに説明するべきだと考えています。
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時々投げやりな気持ちに……
また一週間が始まりました。
最近時々、自分の仕事について「投げやり」な気持ちになります。いくらがんばっても、なかなか変わらない教育現場。むしろ悪くなっていくばかりです。
教師は目をつり上げて子どもたちをにらみ、子どもはそんな教師をせせら笑っている。(ように見えます)
そう……、最近まわりの教師たちの顔がけわしく、きつくなっていることが気になっています。まだ6月なのに。先は長いはずなのに。
でも、そんな仲間たちを責められません。そのように追いつめられてしまう見えないシステムが今の学校にはあるからです。
しかし自分も現役はあと9年。自分はなんとか今の調子でごまかしながらおつとめを終えることができるのかもしれません。そして、それでいいじゃないかと最近時々思うわけです。何をムキになって闘おうとしているのかと。
疲れているのかもしれません。今週は校内研究授業があります。私が授業を展開します。水泳指導も今週からです。防犯訓練もあったり、提出しなければならせない書類があったり。
いったいなんのための忙しさかと思います。子どもたちとゆっくり向き合う時間がほしいです。「忙しくて仕事ができない」という、笑うに笑えない、トンチンカンな状況が今の日本の教師の現実です。いったい私たちの仕事ってなんだったのでしょうか?
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「泥のように眠る」の『泥』
本当に久しぶりの土日の休日。昨日の昼間は、「泥のように眠り」ました。気がついたら黒猫ヨシムネが同じ布団の中で寝ていました。
さて、この「泥のように眠る」の『泥』というのは、土の泥ではなくて、生き物の名前だったことをご存知だったでしょうか?実は私は最近知りました。
「泥」というのは、中国の「泥(デイ)」という想像上の生物だそうです。
海の中にいるときは元気なんですが、海から外に出ると途端にダら〜となって動かなくなってしまいます。
「泥酔」の「泥」もここからきているようです。
ということで、「疲れてしまって、ダラ〜と寝てしまっている状態」を「泥のように眠る」と言うのだそうです。
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1年生との歩き遠足
昨日は1年生との歩き遠足。めずらしく天候に恵まれました。
ただ、私はついに体調を崩して、放課後少し早めに退勤しました。
動画と写真を紹介します。
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学級崩壊が広がっている
一昨日の生活指導サークルで話題になったのが、すでに学級がうまくいかなくなってしまった教師が増えているということ。ちなみにまだ6月です。
早くも緊急の保護者会が開かれているという話も聞いています。
またそれは、若い教師からベテランまで広い範囲にわたっていること。
さらに言えば、「どうしてこの先生が?」と思えるような、力量があると言われていた教師のクラスまで崩壊してしまったという話も聞いています。
いったい現場に何がおこっているのでしょうか?このブログでも現場の危機をいやというほど書いてきましたのでいまさら繰り返しません。
ただひとこと言っておきたいのは、現場の教師はもっと声を出してほしいということです。
上から締め付けられ、保護者からは批判され、子どもたちからはバカにされ、それでもがんばり続けている日本の教師のみなさん。
誤解を恐れずに言うと、もうそろそろキレてもいいのではないでしょうか?
もちろんそれは、子どもや保護者に対してではないことは言うまでもありません。
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不可解な図形を説明する学習
国語の作文の学習で(小6)、下記の図形を説明する学習をしてみました。
予想通り最初は、おかしいと思いながらもそれをどのように表現していいのかわからない子がいました。しかし、「手で一部を隠してごらん」「穴の中に入れるかな?」等々の支援をすることで、ほとんどの子がこの図形の不可解さについて文章が書けるようになりました。
以下、子どもの作文です。
●右をかくすと3本の柱が見えるけど、左側をかくすとコの字型になる。
●三つの円の中に入れるとしたら、真ん中の一本はとちゅうでつぶれていて行き止まりになる。
●真ん中のパイプと、両はじのパイプをずっと見ていくと、いつのまにかコの字型の一部になっていたのでびっくりした。
●丸く立体になっているところをかくせば底がへこんでいる箱の形に見えます。だけれど、3つの棒がつながっている一番右の方をかくすと3本の立体の棒が見えるのです。
●気づいたのは、真ん中の棒がなんか変。横の棒は普通なんだけど、真ん中の棒が横の棒の辺みたいになっててよくわからない。それで棒の右を右手で隠してみるとふつうの3本の棒だけど、その反対に左を手で隠してみると真ん中に穴があいている箱みたいになっててとても不思議です。
●私が思うにはこの絵の半分に線を入れて(書いて)、そこの線に鏡の板をおけば、右側は細長い箱に見えるのですが、左側は細い3本の棒に見えるのです。
●この図形に乗ってみるとどうなるのかな?まず3本の柱のうち左端の方へ乗るとします。柱の先は普通に上に乗れるしそのまままっすぐ歩いていっても大丈夫。だけど、角を曲がって下の方へ歩いてみるとここは下へ落ちるようなとこだけど、どうなるのか不思議です。
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算数の問題に出てくる名前
昨日のこのブログのメインページの閲覧者がいきなり1000アクセスを超えました。どこかで紹介されたのかと思ったのですが、そんな情報もありません。
[小学校教諭]で検索してきてくれた人が多かったことを考えると、事故死HP掲載事件の元教諭が学校侵入した事件があったからなのだろうか??だとしたらあまりうれしくないです。
さて今日は、雑談的な教室からの話題。
算数の教科書の文章問題に出てくる名前で、どんな名前が多いのかを子どもたちと調べてみました。
※6年算数啓林館(上)
1位…つばさ
2位…みらい
3位…けんた
4位…アリス・あかね・だいき
5位…なおき・あやか・テレス・まなみ、あゆみ・ちなつ・たつや
6位…けいこ・みのる・あい・かえで・まい・みさき・ゆたか
この教科書のテーマは「みらいへのつばさ」だそうです。
ということで、つばさ君と、みらいさんがたくさん出てくるということがわかりました。
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校内研の指導案づくり
日曜日が陸上大会だったので、連日の出勤。
今は来週の木曜日に予定されている校内研の授業の指導案づくりにおわれています。教科は国語。昨年度はサザエさんの四コマ漫画を使っての自作教材で行いましたが、今回も実は自作教材を考えています。つまり教科書は使わないということ。
内容はまだ秘密ですが、運動会が終わってすぐなので、ゆっくり準備・研究をする余裕がありませんでした。ということで連日遅くまで準備をしていて、ちょっと体がいうことをききません。
毎晩、仕事が一段落して、布団に入った時の最初の1分間に幸せを感じています。
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組体操
今年の運動会の組体操のページです。体操服の名前が読めないものを選んだので、ベストの写真とは言えませんが……。
動画もあるのですが、これは顔と名前がはっきりとわかってしまうので、パスワードで閲覧するクラスのホームページの方で紹介しています。
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5月の走行距離
いつのまにか5月が終わってしまいました。
5月のランラングの走行距離は、43km。なかなか50km以上を走ることができません。
しかも今回の距離は、春日部マラソンの21kmが入っていますので、純粋に練習したのは、22kmというなさけない結果に終わってしまいました。
勤務後の夜に走るのはやはりきついです。今後は大会に出ることを予定していないので、目標がないのも走る気にならない一つの原因。
しかしお腹は出る一方。このままでは完全にメタボ検診にひっかかってしまう……。
4日 (祝) 21km(春日部大凧マラソン)
7日 (水) 2km 12分25秒
8日 (木) 2km 11分55秒
12日 (月) 5km 29分55秒
19日 (月) 1km
22日 (木) 2km
24日 (土) 2km 12分12秒
26日 (月) 3km 18分10秒
31日 (土) 5km 29分57秒
今月走行距離 43km
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