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高学年の子どもたち
高学年の子どもたちの指導が難しいと言われる時代が再びきました。
「学級崩壊の時代再び」と以前書きましたが、残念ながらその通りの状況だと考えています。
今の学級崩壊は、比較的早い時期にくるのが特徴です。たとえば、5月とか6月。ちょうど今の時期です。
はじめから担任を教師として認めていない報告もあります。もう最初から馬鹿にしていたりして、侮辱した言葉を平気であびせてきます。これは男子・女子問わずです。
それに対して、教師がいくら強く指導しても、最近は子どもはヘコミません。特に受験で毎日競争させられ、しぼられている子どもにとっては、学校の教師の説教など、なんとも思わないのです。
その上、塾は塾で、「学校の先生の言うことなど聞く必要なし」「友情など今は捨てろ」と平気で子どもたちに指導しているようで、学校の教師はたまったものではありません。(すべての進学塾ではありませんが、これは残念ながら事実です)
一方で、不況が続く中、子どもたちをとりまく家庭環境も年々厳しくなってきています。たとえば、宿泊学習で、お金が払えないという理由で不参加を申し出るとケースをここ数年耳にしています。生活基盤が脆弱な子どもたちは、心に不安があるので、自分の居場所を求めつつ、悪い方向に進んでしまうケースもあります。そういった子が教室で、指導を拒否することもたくさんあるわけです。
しかし、「学級崩壊」は、子どもたちの「荒れ」ではありません。担任と子どもたちの関係性が崩壊してしまうことなのです。
だとしたら、どうして担任は、子どもたちの発信してくる信号を上手に受け止められなくなってきたのかを考える必要があります。
そして、どうして、子どもたちの行為・言動の裏側をさぐってみることに興味をなくしてしまったのかこそを考えてみる必要があるのだと考えています。
wrote by しおちゃんマン
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コメント
おはようございます。
戦後日本は、こんな時代の日本を求めて教育を勧めて来たのでしょうか?
教育すればアメリカなみの裕福な暮らしを実現できるとおもったのでしょうか?
犯罪までアメリカと同じになって行く気がします。
世の中、等価交換だとすると、大変なものを失っていっていると思います。
おじゃまします。
子供は思春期が来るまで、一心に親を信じ親の言うとおりに親に愛されたいが為に育ちますが、思春期が来て親から離れて自分を見つめ、自分の生き方を模索し、自分の道を進む物だとカウンセリング研修で勉強しました。しかし、今の世は自己中心的な考え方をどこへ行っても許してくれません。せめて家庭だけでも許してくれれば良いのに、親も自己中を許してもらえずに育っているので、子供に対して不器用にしか相手ができません。柔軟に相手ができないと思います。
そういう自分も今子供が家にいる事が許せない思いが抜けたわけではありません。
でも、支えがあって何とかふんばっています。
いい人達にめぐり会えました。共に生きていると実感しています。
一旦世の中が まどかになって、見つめなおす機会を得ないと、自分はダメな人間と思う人がどんどん増えて、犯罪、自殺が止まらない。予備軍も増え続ける、不幸な国にどんどん近くなって行くと思います。何の為に この世に生を授けたのか、1人でなく みんなで考えたいですね。
追伸
塩崎先生は、すでに分かっておられる事だと思います。偉そうにコメントしている自分が恥ずかしいです。お付き合い感謝です。
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