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中学生と…
今日は、本校の音楽部の児童が中学校の吹奏楽部の生徒さんかられぞれのパートの楽器を教えてもらう日でした。この取り組みは、昨年度の夏休みから行われています。本校の教頭先生が前任校の中学校で吹奏楽部を担当していた関係でこういった交流ができるようになりました。10月に予定されている本校の校内音楽会にも出演してくれる予定です。市外の中学校なのですが、中学生もこの日を楽しみにしていたということでした。
さて、8月11日の記事にも書きましたが「義務教育改革案」は小中一体型の学校づくりを推し進めようとしています。今回のような、文化・スポーツなどの交流は大いに進めるべきだと思いますが、学力競争を過度に誘発し、現場が目に見える「成果」に追われるような改革には反対です。
改革案が今後どのように具体化されていくのかに、引き続き注目していきたいと考えています。
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除草作業
今日の午前中は、除草作業でした。
ただでさえ職員が少ない人数の学校なのに、出張やら研修やらで抜けていて、7名で行いました。おまけに本校は、市内でも一番校庭が広いのです。つまり、一番少ない職員数で、一番広い学校のまわりの除草作業をやりました。(涙)
台風の影響がこちらにもあるのでしょうか。時々雨が降ったり、急に晴れてきたりの不安定な気候でした。湿度が高くて蒸し暑かったです。PTAの作業でこういったこともやってもらえないのかなあ……、話しながら作業しました。
午後は、校外学習のための旅行業者への連絡、学級通信、学年便り、2学期のワークやドリルの注文、学校ホームヘポージの作成等々の仕事に追われています。
現在、一段落したので、休憩しています。
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【本】I,ROBOT
私は外国の本を読むのは(もちろん訳されているもの)苦手です。登場人物間のジョークと皮肉のまじった会話を読み取るのに時間がかかるからです。
また、カタカナの名前は覚えにくいというのも理由の一つです。これはおそらく私の本の読み方が、登場人物の名前から勝手にその顔をイメージして読んでいるからだと思います。つまりカタカナの名前からはなかなかその顔が私には見えてこないのです。ということでなかなか名前が覚えられない。「こんな人物、出てきていたっけ?」と前のページをパラパラ読み返しながらの読書になってしまいます。訳された本をスラスラ読める人がうらやましいです。
さて今回はそれでも「I,ROBOT」という本を手にしてみました。映画が公開されるそうですが、おもしろそうだけど観る暇はないだろうということで、本でその原作を読んでみようと思ったのです。1940年代に発表された作品のようですが、今あらためて訳されたということは、ここに書かれていることがそんなに遠くのことではない(あるいはすでに直面している)という問題意識があるからなのかもしれません。
作品は「ロボット工学の三原則」がベースになってストーリーが展開されています。
第一原則…ロボットは人間に危害を加えてはならない。あるいは、なにも行動を起こさずに、人間に危害がおよぶのを見過ごしてはならない。
第二原則…ロボットは人間の命令に従わなければならない。ただし、その命令が第一原則に違反する場合は例外とする。
代三原則…ロボットはみずからの存在を守らなければならない。ただし、それは第一原則および第二原則に違反しない場合にかぎる。
この三つの原則が同時に成立するのかとか、同時に成立させようとする時にどのような矛盾が起こってくるのかとか、一部が想定されていなかったらどのような「恐怖」がおこるのかとかが、未来を想定したストーリーの中で展開されていきます。その論理的な展開がおもしろくて一気に読みました。
ちなみに私の世代では、アトム派と鉄人28号派にわかれていたのですが、私は少数派の鉄人28号派でした。限りなく人間に近いアトムよりも、不完全で無骨な鉄人の方が好きだったのは、今振り返るとしおちゃんマンらしいと思いました。
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体育実技講習会
今日は体育実技講習会でした。市内の小中学校から数名講習を受けなければなりません。
若い人たちが多かったのですが、本校は人数が少ないので40代のしおちゃんマンが出なければなりませんでした。(涙)
前半は「基本の運動」の実技でした。
リレーやおいかけっこ系のゲーム、長縄等々…、たっぷりと講習を受けました。前半だけで汗びっしょりになってしまいました。
後半は、バトミントンの実技です。
テニスが得意なしおちゃんマンですので、後半は楽しく講習をうけることができました。
講師の先生も言っていたことで、私も感じたのは、やはり子どもたちには運動することの楽しさと達成感を教えることが大切だと思いました。小さい頃の体育経験から、大きくなって運動が嫌いになってしまった人がたくさんいるのではないでしょうか。そうならないためにも、小・中学校段階の体育は大切だとあらためて感じました。
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【本】空中ブランコ
今話題になっていて、「笑える本」だということだったので購入して読んでみました。
空中ブランコのジャンプがうまくいかないサーカス団員、尖端恐怖症のヤクザ、教授のカツラを剥がしたくなる強迫観念に襲われる大学病院医師、ファーストにボールを投げなれなくなってしまったプロ野球選手、登場人物の設定が以前書いたことがあるのではないかと気になって作品が書けなくなった女流作家、現代の社会の枠に囚われるがゆえに精神的に病んでいく人たちが、主人公の精神科医伊良部の元に訪れます。
そしてこの伊良部という医師が型破りというか、常識がないというか、ハチャメチャな医師で、作品中では「五歳児なみの行動」といった表現で紹介されています。
ところがここに訪れる人たちは伊良部との出会いの中でしだいに自分を解放し、良い方向に向かっていきます。これが伊良部の治療のねらいなのか、もともと伊良部がそういう人間なのかは定かではありません。
いずれにしても作者は、こういった常識に囚われない精神科医を登場させることで、社会の枠とか常識をとっぱらってしまったらどうなるのかということを問うているのだと思いました。なぜなら今の精神的な病は、こういった「常識」という枠の中の社会にあると思われるからです。
しおちゃんマン的に気になったのは、これだけハチャメチャな精神科医の伊良部を、大学病院の跡取り息子、しかも父親は学部長という設定にしてあることです。これはなぜなのかをぜひ作者に聞いてみたくなりました。
社会の枠にとらわれないハチャメチャさは、結局そういった立場でないと生きられないという社会への痛烈な皮肉なのだったら歓迎したいと思いました。
ちなみに作者は、1959年生まれで、私とほぼ同世代でした。
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マイフォト公開
ココログプラスは、「マイフォト」(写真アルバム)が設置できるということなので、先日行ってきた「小樽運河」の写真を実験的に置いてみました。
写真は、小樽運河のイメージがセピアだったので、セピア色の写真にしてみました。
サイドバーからリンクしています。
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野球五輪敗退の意味
ついに負けてしまいましたね。自称「ドリームチーム」のプロ野球軍団。長嶋監督をカリスマにしながらここまで盛り上げてきましたが、ついにある意味…、実力が出てしまったという感じです。悔しいけれど、日本の野球はオーストラリアのあのレベルの投手を打てないというレベルだということを私たちは自覚したほうがいいかもしれません。
この敗戦の意味はけっこう大きいです。多くの少年や若者たちが今後日本の野球に夢が持てなくなってしまう可能性があるからです。日本のプロ野球でがんばっても世界に出ればせいぜいあのレベル、ということがわかってしまったんですね。長嶋監督が心配していたのは実はこの点だったのだと思います。
選手に罪はありません。特に今日の松坂は怪我にもめげず世界にも通用するピツチング見せてくれました。問題は、選手選出についてプロ野球がしぶって、チーム2人などという、形式的な平等主義を決めてしまったことにあります。
イタリアのサッカーでさえ、この間はお休みしているんです。日本のプロ野球がどうしてこれができなかったのか。さらにこの間、あいかわらず合併問題、リーグ制問題がまったく前に進んでいません。いやむしろ、後退している。
日本プロ野球は、今回の敗戦を大いに反省して、真に少年たちに夢を与えるプロ野球にしてほしいと思います。
※選手会はこのさい、ストをやってもいいのではないだろうか。これほど世論に支持されているストもめずらしい。
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レンタカーとカーナビ
北海道に旅行に来ています。かなり遅い夏休みです。函館から洞爺湖を経て、定山渓温泉へ。明日は小樽を回って最後に札幌に行く予定です。
この間の移動は、レンタカーを使いました。レンタカーを使うのは2度目。ただ2度目と言っても、前回利用したのが20年前ですから、初めてと言っていいです。カーナビは初めてです
レンタルしたのは、ホンダのアコード。私の車はニッサンのセフィーロですが、やはり勝手が違い、アクセルの踏み方が安定しないで、ガクガクしながら運転しています。なんか…、エンジンブレーキがききすぎるような……。
カーナビは恥ずかしながら初めて利用しました。
いちいち「約700mで右方向です」等々アナウンスしてくれるのですが、その700mがどのくらいなのか気になってしまって集中できません。
地図の見方に慣れてきたら、今度は地図が気になってしまって……。
運転だけで、グッタリ疲れています。
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高校野球
甲子園で、駒大苫小牧高校が壮絶な打ち合いの末、優勝しました。
北海道勢初の優勝、おめでとうございます。
さて、高校野球ですがそろそろ改革の時期ではないかと思いました。
1)金属バットから木のバットへ
打撃有利の状況にもなってきたようなので、木のバットに戻してみたらどうでしょうか。五輪も木になったことですし。
2)県外選手はダメ。
県外から選手をひっぱってくるのはやめましょう。それができないのだったら、県の代表みたいなことを打ち出すのはやめましょう。クラブ登録にして純粋に学校対抗で。
3)トーナメントの見直し
リーグ戦を組みながら、準決勝あたりからトーナメントにしていく方法にかえられないのかな?一回負けてもさらにチャンスがあるという形にすることで、投手の負担もこの方法によって軽減されるはず。また、チーム全体のプレーにも幅が出てくるのでは?
などと素人の目で感じたことを書いてみましたが、その前にプロ野球がどうなることやら……。
若者たちにとって日本のプロ野球の選手になることが「夢」になるような改革をお願いしたいものです。このままでは、みんなアメリカに行っちゃいそう。
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【本】「二度目のノーサイド」
今回の「一日で一気に読みました」シリーズは、堂場瞬一氏のラグビー小説「二度目のノーサイド」です。
チームメイトの死をきっかけに、部の解散をかけて抽選負けをきっした「最後の試合」を再現すべく、5年ぶりに立ち上がったラガー達の紆余曲折を通して描く「中年再生物語」です。
この「中年再生」という言葉が気になって古本屋で800円で購入しました。
すでに引退している者、違う道で生活している者がほとんどの中で、それでも一人ひとりの中は、あの最後の試合をそれぞれの形で引きずっています。
「なぜ今更、過去の試合にこだわるのか……」
5年ぶりの試合にのぞむ自分なりの理由を模索しながら、仲間たちとの再会の中で、新しい自分、これからの自分を発見・創造していきます。
ということで「再生物語」ではなくて「創造物語」だと思いました。
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残念!千葉経済大附属高校
千葉経済大附属高校は甲子園準決勝で、春の選抜優勝校の愛媛・済美高校に惜しくも敗れました。途中までリードしていたのですが、ホームランを打たれてから松本投手がペースを崩してしまったのが残念。
しかし、こ数年なかなか活躍できなかった千葉県勢でしたから、ここまでこれただけでも立派。特に東北高校との試合は、いい試合でした。
15日の記事にも書きましたが、千葉経済大附属高校は実家の近所の学校で、松本監督も大学の体育会仲間でしたので親しみを持っていただけに残念。
甲子園もいよいよ決勝戦。
2学期が近づいてきた感じがします。
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職員レク
全国の中ではすでに2学期が始まっているところもあるようですが、こちら(千葉県)は9月1日からです。
今日は全員集合の出勤日。午前中は、5年生と4年生の校内研究授業(社会科)の指導案の検討を行いました。本校は全学年単学級なので、みんなで異学年の指導案を検討します。
5年生(9月に授業研)は、「わたしたちの生活と情報」という単元で、情報の役割について学習します。「メディア」に従事している人々の工夫や努力、国民生活とのかかわりについての学習です。今さかんに放送されているオリンピックの放送のあり方なども利用できるのではないか、本校の宣伝としての番組を作ってもいいのではないか等々の話も出ました。
4年生(10月に授業研)は、「きょうどにつたわるねがい」の単元です。千葉県浦安市の歴史を学びつつ、4年に一回の大祭にふれながら、郷土に伝わる願いについての学習です。
午後は、となりの学校とスポーツレクを行いました。
もともとこのレクレーションは、9月のアタマに市内の全学校が一箇所に集まっての学校対抗のバレーボール大会だったのです。しかし市内の学校数が多くなってきたことや、職員の高齢化がすすみ年々ケガをする人が多くなってきたこと、さらには五日制実施の中で、午後にこういった職員行事をとることができなくなってきたという理由で、夏休み中に近所の学校同士で開かれるようになりました。
しかし当時から現場では「子どもの作品を見なければならない9月のアタマの時期にこういった行事を開かれると困る」という声があがっていたのですが、管理職や教育委員会は「市内の職員の交流のために大切にしていきたい行事である」と私たちの声に耳をかさなかったのです。
ところがある年の夏休み、市内の中学校の教頭が保護者から集めたお金を横領していたという事件がおこってマスコミでも大きくとりあげられました。そしてその年、「こういった事件がおこっているのだから、レクレーションはひかえましょう」という通知が来て中止。それがきっかけでその事件のあった次の年から「夏休みに近所の学校で行う」という形になりました。私たちの声には耳をかさなかった管理職や教育委員会ですが、体裁のためにはすぐに動くようです。(苦笑)
ただ、しおちゃんマンはスポーツ大好き中年ですので、毎年、けっこう楽しみにしています。
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【本】犯人に告ぐ
アテネオリンピックは、なんか最近「ひいて」しまいまして…、どうしてかなあ…??と考えているのですが、どうやらテレビの報道の仕方が嫌になったのかと……。何が嫌なのかはうまく説明できないのですが、「感動しろよ」と言われている感じがしまして……。いや…、すべてがそうではないのですが。
ということで、本を読みました。しおちゃんマンが好きな「警察小説」です。これまた一日で一気に読んでしまいました。連続児童殺人事件―姿見えぬ犯人に、警察はテレビ局と手を組んで、劇場型捜査を進めるというものですが、ストーリーもドキドキものなのですが、しおちゃんマンが「警察小説」が好きなのは、組織の中での人間模様が横山秀夫氏の作品でも、雫井脩介氏の作品でもリアルに描かれているからです。
ある意味、学校現場と似ているところがありまして、誰かこういった視点で学校現場小説を書いてほしいと時々思います。
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柔道・野球・サッカー
オリンピックで、柔道のスタートが順調ですね。「柔道は競技人口が少なくて、日本が発祥地だから強いのはあたりまえ」という声があるかもしれませんが、実は世界の中では、柔道はサッカーに次いで競技人口が多いそうです。
ヨーロッパの国の中には日本よりも競技人口が多い国もあるほどです。このように世界的に広がっている柔道でメダルがとれるということは胸をはっていいと思います。
一方、野球とサッカーがイタリアと対戦しました。
野球は大勝しましたが、サッカーは得点差以上に力の差を感じました。日本がイタリアの野球を見るような目で、イタリアは日本のサッカーを見ているのかもしれませんね。
さて、少なくとも私のまわりでは、柔道をやっている子どもというのはあまり聞きません。男子の場合ほとんど野球かサッカーです。市内の中学校でも、指導教員がいないことや、部員の希望者がいないということで柔道部がなくなりました。にもかかわらず日本が柔道が強いのはどうしてでしょうか?
そのことを考える上で驚いたことは、子どもたちが柔道をやろうと思えば、日本のどこに住んでいても柔道ができる体制(指導者や場所)が整っているということです。野球やサッカーも同様のように思えますが柔道にはかなわないということでした。(これは意外でした)
ただ、やる子が少なくなってきているのが柔道の悩みで、やりたい子はたくさんいるけど、それを受け入れる環境が整っていないのが野球やサッカーだそうです。野球やサッカーは特に場所の問題が大きいとか。
それでは、野球が強くてサッカーがまだまだ弱いのはどうしてでしょうか?
これはやはり「伝統・歴史」の問題だと思いました。
伝統や歴史があるということは、私たち日本人がそれぞれの競技の「ストーリー」を知っていて、国民がそれを共有できるということです。
私の世代で言えば、王、長嶋のプレーは目に焼きついているわけで、他の人ともその話題で「話ができる」ということです。つまり「文化」になっているということです。
そして子どもたちは、それらのプレーをお手本にしたり目標にしたりして「あんな選手になりたい」と夢を持つわけですね。そういったことがあることが「伝統・歴史」があることの強みだと思います。
さて、これらの競技の未来はどうなのでしょうか?
まず柔道は、このままでは弱くなってしまうような気がします。環境が整っていても、それをやる子どもたちがいないとどうしようもないわけです。相撲で外国人力士のほうが強くなってしまっていますが、柔道もその道を歩んでしまう心配があります。
柔道界にとってオリンピックや世界選手権は子どもたちへの宣伝効果の場としてとても大切なわけですね。「柔道ってかっこいいな」と思う子どもたちがもっともっと増えてくれるといいですね。
一方、野球は弱くなって、サッカーは強くなるような気がしました。
そのように考えた理由の一つ目は、地域や子どもたちとの「距離」の問題です。
地域に密着したJリーグ型の組織は、必ず子どもたちに夢を与えて、「Jリーガーになりたい」と考える子がこれからどんどん増えてくるような気がします。
それに対して野球はトップの組織(プロ野球)が企業宣伝型で、一部の球団を除いて地域とどんどん乖離してしまっています。つい最近までは、プロの選手とアマチュア選手との交流も禁止されていたほどです。また今回のようなゴタゴタは、ますます野球離れを進ませるような気がします。
ちなみに今後は、競技によって地域性が出てくるのかもしれません。
○○県は野球が盛ん、○○県はサッカー、○○県は柔道をやる子が多い…といった具合に、他の競技においても地域性がはっきりとしてくるような気がしました。
二つ目は、子どもたちの生活への浸透性の問題です。
我々の頃は空き地があって、仲間が集まれば野球ができる環境にありました。しかし今は、お金を払ってチームに入らなければ子どもたちはなかなか野球に接することができません。一方サッカーは、一人でリフティングなどで遊んでいる子どもたちの姿をみかけます。つまり「子どもたちの生活の中にサッカーは入りつつあるが、野球は遠のいている」ということです。
三つ目は、野球は他国と比べて誇れる競技になりにくいということです。そういった意味で、サッカー並みのワールドカップが「日本の野球にとって」必要だと思いました。
少子化が進む中で、日本のスポーツ界は、「勝負する競技として」明るいとは言えません。また、お金を払える者だけがスポーツができるということにも疑問を感じます。
スポーツというのは「勝ち負け」だけでなく「参加する」楽しさもあるはずです。つまり、一流選手を育てるための予算だけでなく、国民のスポーツする権利を国はもっと保障するべきだと考えています。そしてそのことが、結果として世界に誇れる競技や選手を育てて、子どもたちに夢を与えることにつながるのだと思っています。
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千葉経済大附属高校(高校野球)
野球王国千葉、と言われながら、最近はなかなか甲子園で勝てない千葉県ですが、千葉経済大学附属高校が初出場ながら2勝しました。この学校は、実家のすぐそばにありまして、近所には「祝・甲子園出場」の垂れ幕などがたくさんかかっていました。
監督は、桜美林高校での優勝投手の松本選手なんですね。私と同い年で、大学(明治大学)も一緒でした。
同じ体育会に所属していたのでしょうが、申し訳ないのですが、あまり記憶にないのです。一つ上に、巨人にいった、鹿取投手とかいたので、そのかげにかくれて目立たなかったのかも。
明治大学野球部と言えば、一場投手。
今回、あのような騒動に巻き込まれてしまいました。
受け取ったことの軽率さは言い訳はできませんが、どうしても同情してしまう……。
明治大学つながりの、星野仙一氏も言っていましたが、「なぜこのタイミングに?」という思いです。
お金は全額返したということですので、なんとか寛大な処置をm(_ _)mペコッ
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女子球技全敗(アテネ)
女子球技チームが全敗してしまいましたね。
○女子バレー(対ブラジル)<負け> ★見た
完全に実力負け。ホームでばかりやってきたから、厳しさの中でどのように闘うのかの経験不足?
○女子ソフトボール(対オーストラリア)<負け> ★見た
オーストラリアについて、準備・研究不足。敵はアメリカだけだと思っていたのだろうか?
○女子ホッケー(対中国)<負け> ☆見てない
厳しい環境での準備は大変だったと思う。最後まで応援します。
○女子バスケットボール(対ブラジル)<負け> ☆見てない
62-128とは、差がつきましたねえ。
○女子サッカー(対ナイジェリア)<負け> ★見た
ナイジェリアの選手の足の速さにびっくり。でも、決勝トーナメントには出場できるということで、一安心。
…と、ここまできて、少しオリンピックにのめりこみすぎの自分に気がつき、反省。
明日のサッカーを一区切りにしよう。でも、勝っちゃったら…。
また寝不足が続きそう……。
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ケアリング
私が常任委員をつとめている全国生活指導研究協議会では、機関誌として「生活指導」という月刊誌を明治図書から発行しています。昨日はその編集委員会でした。1月号、2月号の編集と、10月号に掲載予定の竹内常一論文についての学習をしました。
竹内論文は、今の子どもたちは「『この自分を引き受けて生きることのできない』と泣き叫んでいる」といった衝撃的な結論から始まっていました。
そしてそれは、「子どもたちははじめから『自分である』ことをやめさせられてきたからである」とし、その叫びは「『この世界を引き受けることができない』という叫びでもある」としています。ゆえに「子どもたちからすれば、自分を引きさき、自分であることを妨げてきたこの世界に敵意をもつことはあっても、それに責任を持つことなどありえない。だから、世界になにが起ころうと、子どもたちには『関係ない』のである」「それなのに、親や教師たちは社会的な約束事をまもり、現実の世界に応答することを求めてくる。そればかりか、それをまもらず、それに応答しないことをすべての罪悪のようにいう。かれら・彼女ラニハソレガ『ウダイ』(ママ)のだ」と。
それではなぜ子どもたちは自分や世界を「引き受ける」態勢を自己の中につくりだせなくなったのでしょうか。
竹内氏は、芹沢俊介の「イノセンス」(純粋・無垢・無罪・潔白)を引用しながら、子どもたちが「イノセンス」から自己を解放し、強制された不自由を自ら選びなおす過程での「対抗暴力」を親や教師が認めず、抑圧しているからであるとしています。
芹沢俊介によると、子どもはある親の子として強制的に産み落とされたものであって、自分から選んで生まれてきたわけではなく、そのかぎりでは、子どもは自分に責任のない、根源的に受動的な存在、「イノセント」な存在であるといいいます。そして子どもはこの強制された不自由を自ら選びなおし、その過程で「対抗暴力」を展開しながら「このままでは現実を引き受けられない」というメッセージを表出しているといいます。そして親や教師がこの「対抗暴力」(ありのままの自分を受け容れてほしいという願い)を受け容れないがゆえに、子どもたちは「自分を引き受けて生きることができない」「世界を引き受けることができない」という思いにとらわれ、反抗・拒否・撤退をエスカレートしていくと論文では述べられています。
さて、それではどうして親や教師は子どもたちのこういったメッセージを受け容れられなくなったのでしょうか。
竹内氏はこの件に関して口頭で、「日本の大人の『こわばった顔』」という表現で説明してくれました。
この「こわばった顔」とは、戦時中の兵士の顔であり、高度成長期のモーレツ社員の顔であり、今の「教育家族」の母親の顔であると。そしてしおちゃんマン的には、「成果主義」に負われるであろう、21世紀の教師の「顔」であるかもしれないと思いました。
そして今、親や教師に求められことは、なによりもまずかれ・彼女のそばにいて、かれ・彼女の声を「聴く」ことであり「配慮し、応答し、世話をする」すなわち「ケア」することであるとしています。
このケアリングについては、感情の押し売りとしての「投げ入れとしての共感」ではなく「受け入れとしての共感」が大切で、その「受け入れとしての共感」とは、親や教師が「自分自身が変容されることを許して」おくものではなくてはならず、そのことを通じて「自分の思い込みや思いあがりから」向けだすものでなくてはならないとしています。
さらには、「ケア」が他者の苦境を引き受け、他者と共に苦闘するものである限り自分自身を危機にさらすことになるがゆえに、「自己のケア」が大切であるとしています。つまり、他者のケアに走るあまりに、自分の精神を他者に預けてしまう悲惨に落ち込む危険性があるということです。
しかし、竹内氏が提起しているケアとは、自己のケアが大切であり、「つまり『自分を大切にする』ことをつうじて『他者を大切にする』ことに進み出るのであり、自己の自由をつらぬくことをつうじて他者の自由への希求に応答するの」であり、「ケアリングとは、ケアするものとケアされるものとが相互にケアしあうようになる」ことだとしています。
だとしたら、しおちゃんマン的には、このケアする者同士の「距離」が大切だと思いました。
自分が危機にさらされるという危険を感じたときに「ちょっと待って!」と言える「距離」をつくれることが大切であり、一方で、ケアが相互にはたらくものである限り、それはそれぞれが別なつながりを持っていることを意識した、集団的なものであるのかもしれないと思ったのですが、これは今後検討が必要かもしれません。
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終戦59周年を前に
終戦の日を前に、上記の本を読んでみました。「半落ち」でベストセラーを生み出した横山秀夫氏の本は、氏の警察物が好きですべて新刊で揃えています。そして今回、戦争に関する新刊が出たということなのでさっそく購入して一日で読みきりました。
横山氏は私と同い年。もちろん戦争を体験しておらず「期待される人間像」の文科省の教育方針の下、高度成長期に子ども時代をすごしてきた世代であり、学生運動にも「間に合わなかった世代」です。そんな氏が戦争をどのように総括しているのかに興味がありました。
内容は……、甲子園の優勝投手の並木が「人間魚雷」の搭乗員となることをなぜ受け入れたのか…。そしてそのことを通して、戦争の意味や生きることの意味を問い直そうとしています。
当時の若者が、主人公並木のような社会のとらえ方をしていることに若干違和感がありましたが、生きること・死ぬことの意味を誠実に問い続ける主人公に共感しました。
「命」の大切さを教えることの重要性が叫ばれています。
「命」(生)を教えるということは、(死)は(生)の絶対否定であるという冷厳な事実と、どんなに苦しくつらくてもその人生を生き抜くことの価値を丁寧に心を砕いて子どもたちに教えていかなければならないと思っています。
この本を読んで、ふと、そんなことを思いました。
これはいわゆる「反戦文学」ではありませんでした。
しかし、戦争を個人が生きることの意味として考えさせられる作品で、その一人ひとりが生きることをさえぎる戦争は、絶対に、どんな理由があろうともやってはいけないものだとあらためて思いました。
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パラグアイ強い…
サッカー…、パラグアイ戦を生で見ています。
前半は、日本はまったくいいところなし、
ディフェンスの連携は悪いし、キーパーとの呼吸も修正されていない。そこをつかれてまず失点。
そして、たまらずペナルティーエリア付近で反則をおかして、またまた失点。
さらに、日本の左サイドから崩されて3点目。
日本は、小野のペナルティーキックによる1点のみ。
中盤もほとんどボールを支配できず、前半を見た限りでは、力とスピードの差を感じました。後半は、日本がどのように立て直してくるのかに注目。
後半は、まず松井を入れ、中盤をあつくしてボールが支配できるようになりました。
ここで再びPKで小野が落ち着いて決めて一点差。
これで日本のペースになるかと思ったら、またまたディフェンスのミスをつかれて失点。これで2点差。
ここでたまらず、田中を投入。
36分にこの田中からの折り返しを大久保が決めて、これで一点差。
終了間際、平山を入れて猛攻をしかけるが、あと一点が届かず、3-4で負けてしまいました。
この試合は、ディフェンスのミスが目立ちました。
小さなミスを見逃さずに確実に決めていくパラグアイは強かった。
一点差と言っても、そのうち2点はPKですから……。
さすがにブラジルに勝って出てきたことだけはあるチームでした。
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日番の一日
今日は「日番」といって、一日勤務でした。
「日番」は、職員が順番に一日勤務をするわけですが、本校のように人数が少ない学校(全校6学級)は、他校に比べてたくさんまわってきます。
※写真は今日の仕事、200枚以上の備品カードの山
この時期は出勤する職員は少なくて、職員室には私とあと一人、そして用務員さんと事務職員の方しか出勤していませんでした。あと、エアコン工事が続いているので作業員の方が数名がんばっています。暑いのに、本当にご苦労様です。
それで私は何をしていたかというと、
花壇に水をあげました。
水槽の生き物にえさをあげました。
職員室の掃除しました。
1学期の学級経営の報告書(学級経営案)を作りました。
日誌を書きました。
そして今日のメインの仕事は、備品カードと備品台帳を照らし合わせる仕事です。私は「一般」という分類の備品(主に視聴覚関係)を管理しなければならないのですが、この「一般」というのが他の分類に比べて極端に多くて、200以上の備品をカードで管理しなければなりません。(写真)
大きな学校であれば分担できるのでしょうが、本校は先にも書いたように人数が少ないので大変です。監査もあるということで、まる一日かけてこの作業をしてきました。
新採用の教師が、教師になって最初に驚くことが、こういった実務の多さです。会計処理をはじめ、授業時数の報告や等々、いろいろな実務があります。ひどい時には、実務の合間をぬって授業をしていると実感してしまうこともあります。また報告をするための授業になってしまうことも多いです。
特に会計処理については、専門の職員を配置することを考えてもいいのではないでしょうか。最近は、外部(本校の場合は保護者)が会計監査をする学校が増えてきています。会計処理について専門性が求められていると思うのですが、いかがでしょうか?
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女子サッカー初戦
明日(すでに今日)も日番で一日勤務だというのに、夜中12:00からやっぱり女子サッカーを見てしまいました。
初戦は昨年の世界選手権準優勝の強豪スウェーデン。前半は完全に日本ペース。キーパーがファンブルしたところを見逃さず荒川選手が押し込みました。早いパス回しや、複数で囲んでの組織的ディフェンスでスウェーデンはチャンスらしいチャンスを作ることができないでいました。二人が抜かれても、また3人目が出てくるといったディフェンスはすごいなあ。
前半で気になったのは、澤選手が決定的なシュートを3本もはずしたこと。ケガの影響があるんだろうか……。それとも、この大会への思い入れが強すぎて力がはいった?
後半も積極的なディフェンスで相手に決定的なチャンスを与えません。スウェーデンは縦に単調にロングボールを蹴ってくるだけで、スウェーデンって本当に強いの?っていう感じでした。…で、後半はお互いに点をとれずに、1-0で日本が勝利しました。(パチパチ)
右サイドの川上選手は、もう少し前まで切り込めないのだろうか……・。あと一人か二人抜いてから折り返せないのかと素人目には思ってしまいました。5番のディフェンスが厳しかったのかなあ…。スローイングのたびに水分をとっていて、審判に注意されていましたから、かなりハードだったのかもしれません。
明日は、いよいよ男子の試合ですね。
また寝不足だなあ……。
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義務教育の改革案について
千葉県浦安市では、平成18年4月の開校を目指して、小・中一体型の学校を作ります。今回の「義務教育改革案」が出るまでは、安上がりの校舎作り…程度にしか考えていなかったのですが、その考えは甘かったことがわかりました。
http://www.city.urayasu.chiba.jp/a100/b001/d00500203.html
「改革案」は、9年間の義務教育を現行の6-3制にこだわらず、市町村ごとに小・中を区分できることを提案しています。つまり、5-4にしたり、4-5にしたりということですね。つまり、浦安市の新しい学校では「入れ物的には」もう準備万端ですよ、ということです。2学期制の横の改革の次は、いよいよ縦の改革が本格的に始まるのだと思いました。
まずこの「改革」によって、多様な形での「学力競争」が広がることは間違いありません。つまり、小・中を一緒にすることによりカリキュラムを詰めて短くすることが可能になってきますから、できる子は早目にそのカリキュラムを終わらせて、残りは高校受験の準備のための学習をするといったコースを作ることが可能になります。そしてその時には、おそらく民間の(進学塾などの)講師をどんどん学校に入れていくのでしょう。
一方、勉強が苦手な子には別のコースが準備され、ますます教育内容の差別化が進むことが考えられます。このことは、すでに全国に広がりつつある「学校選択制」との関わりで考えていくと、その時からすでに今回のことは考えていたことがわかってきますね。
さて、教師の免許制度はどうするのかと思っていたら(現在は小学校免許と中学校免許は別になっています)、ちゃんと用意されていました。「教員免許更新制」です。おそらく更新するときに「小・中共通免許」を取得していくと共に、「問題」?があったり「成果」があがっていないと見られた教師はどんどんリストラされていくのだと思います。そしてこのことは、人事考課(管理職による教師評価)との関わりで考えていかなければなりませんね。
ここでいろいろ心配していること。
一つは、過剰な学力競争によって、子どもたちや保護者がますます追いつめられるなあ…ということ。
二つ目は、そのことと関わって、子どもたち同士や保護者同士(地域内)の関係が難しくなるなあ…ということ。そしてそのことから、いろいろな人間関係のトラブルが増えてくるでしょうねえ。そしてそのことによって、子ども・教師・保護者が一緒になって学校をつくっていくといったしおちゃんマンの理想はどんどん遠のいていくような気がします。ますます学校は「サービス産業化」していくのかもしれません。
三つ目は、教師は「成果」をあげるために多忙化し、ますます子どもたちとの距離が離れてしまうことが考えられます。教育は「成果主義」では片付けられないところに難しさがあり、しおちゃんマン的には「やりがい」があるのだと思っていましたが、そんなことを言っていると簡単にリストラされそうです。
改革案の内容が具体化していくにつれて、さらにいろいろな問題が語られると思いますが、とりあえず現場からの第一次感想ということで書いておきます。
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PC講座
今日は市内小中学校のPC担当教師が集まっての「PC講座」です。今、昼休み中。
市内のグループウェアーシステムを使って子どもたちはメールを利用できるのですが、それにエチケットフィルタをかけたり、管理したりする方法を学んでいます。
問題は、そういった管理をする時間なんですよね。いくらすばらしいシステムができても、それを管理するのは教員ですし、それを管理する時間が保障されていないので、なかなかシステムを生かしきれていないのが現状です。
また、致命的な問題は、この管理は校内のPCを使ってでしかできないことです。ホームページ作りも、そのためになかなか作れないのが市内の学校の現実です。
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墓参り
今日は墓参りに行ってきました。父が高齢で、車イスなので、混む時期は大変だと考えて、早目にすませてきました。
本家の墓は、三重県熊野市にあるのですが、私の祖父母の代から、千葉の墓にはいってもらっています。
移動は、介護タクシーを利用しました。
担当の方はベテランの方だったのですが、笑顔とやさしさで、とてもよくしてくれました。
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もうすぐアテネ五輪
アテネ五輪がせまってきました。
これから連日オリンピック一色になるんでしょうね。
報道のあり方等々、他にも世界レベルでいろいろ問題が出てきそうですが、今回は純粋に競技に目を向けてみると……。
しおちゃんマン的には、「応援する」のは<男子サッカー>。
「期待する」のは、<野球>。
まずサッカーは、予選の時から、「谷間の世代」といわれてきた彼らがここまできた!というストーリーを、私たちは情報として与えられてしまっていますから、これは「マスコミにしくまれた?」と思いつつも、どうしても応援してしまいますね。(笑)
ただ、予選の「組」を見てみると、決勝トーナメントに進出するのは厳しいようです。山本監督は最近「人間力」という言葉を使いながら、追い詰められたときの底力(日本では火事場のバカヂカラと言っていますが)を強調していますが、このことからも、普通にやっていては勝てないことを実感していることがわかります。ということで、なかなか期待はできないけど、奇蹟を信じて「応援」しています。
ちなみに、同じスタンス(期待はできないけど応援している)で応援する競技としては、<女子ホッケー><女子サッカー><女子バスケット>などです。
一方野球ですが、あれだけのメンバーをそろえて金メダルをとれなかったとすると、いよいよプロ野球もヤバイぞっていう感じです。
合併問題から、プロ野球のあり方が問われていますが、これで銀メダルだったら、ますます野球離れが進むような……。ということで、ズバリ金メダルを「期待」しています。(まあ、思いっきり負けて、大きな改革のきっかけになるのもいいかも)
逆に、期待過剰で見るのがかわいそうだと思ってしまい、それでもそっと…そして熱く応援するだろうと思うのが、<柔道><女子レスリング><水泳><シンクロ><ソフトボール>。これらの選手は、プレッシャーに弱そうに見えるのは私だけでしょうか?
そして、ちょっと引いて見るだろうと思う競技は<女子バレー><陸上><テニス><卓球>。
女子バレーは、強かった時代を知ってしまっていますから、彼女たちのがんばりを見ていても、どうしても満足できないことと、日本で行われた予選のテレビはやりすぎだと思ったこと。
陸上は、室伏選手に何度も期待を裏切られてきたトラウマと、一部選手を除いて全体的に世界レベルにはかなり遠い感じがすること。女子マラソンはどのくらいがんばれるのか未知数であることなどです。
テニスは、四大トーナメントに比べるとどうしてもオリンピックの応援には力が入りません。しおちゃんマンの専門の競技ですので杉山選手にはがんばってもらいましょう…っていうレベル。
卓球は、「愛ちゃんストーリー」は、「すごい」と思いつつも、なんかテレビ局に利用されているようでかわいそう。
他に注目しているのが、三宅兄弟を小さいときに見ている私としては、娘さんが参加している<女子ウェイトリフティング>。久しぶりの団体メダルをねらう、<男子体操>。
また、マイナーと言われている競技や、それらの選手が持っているストーリーにも注目しています。いろいろな発見ができることを楽しみにしています。
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サッカー
サッカーのことはよくわからないけど、見るのは好きです。でもどちらかというと、しおちゃんマンはラグビー派です。
さて、昨日は、二つの試合を見ました。
一つは、小学生の大会、「全日本少年サッカー大会」。
決勝は、Jリーグの下部組織同士の対戦で、レイソル対マリノス。
この試合で三つばかりびっくりしたことがありました。
一つ目は、Jリーグの下部組織に小学生が入るためにも、何十倍の競争率であるとか。そしてさらにベンチ入りできるのは十数名だろうから、あのピッチに立っていた子は全国レベルのサッカーエリートなんだということ。
二つ目は、見事にJリーグの選手の真似をしているということ。たとえば、相手ボールのスローイングになったときに、わざと遠くにボールを投げたりしていました。
三つ目は、優勝したチームの子たちの、インタビューに対する態度。インタビューしているアナウンサーがかわいそうでした。
子どもがスポーツするって、どういうことなんだろう?って、あらためて考えさせられた場面でした。
サッカーに詳しい知り合いにメールで聞いてみると、ヨーロッパのクラブチームでは、子どもの頃は、社会に対するマナーやルールをクラブが責任をもって教えることを重要視しているとのこと。日本でも学ばなければならないと思いました。
二つ目は、アジアカップ決勝。
そう言えば、玉田選手は、私が勤務する小学校の隣の学校の出身だとか。
千葉県浦安市は、巨人の阿部選手と、この玉田選手が有名です。
それで試合ですが、サッカーに詳しくないしおちゃんマンでも、実力的にかなりの差があったように見えました。
アウェーのハンディがなければ、もっと得点差がついていたのではないでしょうか。
サッカーという競技は、他の競技に比べると、ホームとアウェーとの差が大きいような気がします。それはサポーターの応援の力が大きいということですが、私が見た限りでは、そのレフィリングに原因があるような気がしました。
ホームとアウェーであれだけレフィリングが変わってくる競技も珍しいのではないでしょうか?こんなことで、「国別対抗」のサッカーがこれ以上発展するのかどうか疑問です。
アジアカップでの中国の日本に対する「ブーイング」が話題・問題になっていました。
日本の政治家は、「スポーツに政治問題を持ち込まないように」などと言っていますが、だったら今後、オリンピックボイコットなどは二度としないようにしてほしいですね。
もちろんこれは、一部中国人の暴力的な行為や、マナーの悪さを肯定しているわけではありません。特に、物を投げたり、燃やしたりの暴力は絶対にいけない。
いずれにしても、日本が勝ったことに純粋に喜んでいる、しおちゃんマンです。
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第27回千葉市民花火大会
千葉ポートパークで毎年行われる花火大会。
今年は、自宅のマンションのベランダから眺めました。
でもやっぱり、花火は近くから見ないとなあ……。
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ローボレー
ギャハハッ。実家ですごい写真を見つけました。はい、しおちゃんマンの高校時代のテニスをしている写真です。おそらくこの写真は、服装から推察すると、インターハイを終えて、10月の国体の予選に向けて練習している時期だと思います。それにしてもこの髪型はどうにかならないのか……(汗)
えっと、この写真は、ローボレーといいまして、ネットより下のボールをボレー(弾ませないで打つこと)しているところですね。
また、よく見ると、ボールが写真右側に見えています。
おそらく、しおちゃんマンの得意な、角度をつけたボレーではないでしょうか。
写真右側方向に、ネットに平行に角度をつけてボールを落とす技術で、けっこうむずかしいのです。(自慢)
テニスは今でもナイターで週に一回やっていますが、たぶん今では、本格的にやっている中学生にはかなわないのではないかと……。
でも、体が動くまで、テニスとつきあっていきたいと思っています。
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TV番組の取材
昨日の夕方、テレコムスタッフというテレビ番組を作る会社から取材を受けました。
テレビ朝日系で、9月21日(火)19:00~「先生教えてください-3」という番組をやるので、そのための取材だということでした。
以前日記にも書いたように、私は前にテレビに出て失敗した経験があるので、もう二度とテレビには出ないと心に決めていました。ゆえにメールで番組への出演依頼が他にもあったのですが、断ったり無視したりしてきました。
しかし今回は、自宅に直接電話があったり、私の自宅のそばまで来てくれたり、出演はせずに話だけということを条件に取材を受けました。場所は、以前このblogでも紹介した「木之花茶館」です。
取材内容は、「子どもの個性尊重」ということについていろいろ意見を聞きたいという趣旨のようでした。
さて、今の子どもたちの「個性」は尊重されているのでしょうか?「個性」の成長は保障されているのでしょうか?もしかしたら「それがあなたの個性です」と最初から決めつけられて、選別されてしまってはいないでしょうか?あるいは、「自ら選んだ」と思えるように、しくまれてしまってはいないでしょうか?
個性は仲間との関わりで自分で気付いたり発見したりしていくものです。しかし日本の「学校制度の過度に競争的な性格」の中で、子どもたちは仲間と交わる力を年々失ってきています。
そして、この「競争的な学校」の中で生きていくのに、「自己負担・自己責任」が強いられ、とりわけ「競争」に不利な位置にいる階層やマイノリティーグループの学習権の実質は切り下げられ、親も子どももストレスを感じながら追いつめられています。
そのような現状の中で、「友だちと仲のいい関係を維持していくことが疲れる」とつぶやく子どもたちの声があります。「友だち」と「上手」に「偽装」してつきあうことができずにできずにトラブルを繰り返す子どもたちの現状があります。
一方現場では、学校選択制時代の中で目先の「成果」を基準にした「人事考課」(教師評価)によって、共同的な実践が摘み取られたり、「説明責任」を果たすための多忙化の中で、子どもたちを「リアル」に見ていく余裕のなくなった教師の姿があります。
こうしした現状の中で私たちが大切にしていきたい実践課題はなんなのでしょうか?
それは、教室の実践や子どもたちの現状を保護者に開きつつ、一緒になって教育活動を進めていくことだと考えています。実はこれは一番難しくて、一番大切なことではないでしょうか。
「一緒になって」ということは、教師が教師としての専門的な役割を放棄するということではありません。それぞれがそれぞれの役割を果たしつつ対話を重ね、補えるところを補い、支援できることを支援し合い、真に共同的な学校づくりを進めていくことだと考えています。
以上、具体的な事例をあげながら、1時間半の取材を終えました。
※参考「全国生活指導研究協議会第46回大会基調提案」「同、大会紀要」
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8月6日の日に
今年も8月6日がきました。私たち日本人の悲しい経験を世界に強く発信し、核兵器廃絶のための世界のリーダーとなる義務があると考えます。
小泉首相は「唯一の被爆国であるわが国は、平和憲法を順守し、非核三原則を堅持する」と約束したようです。この約束が、この日だけのものにならないように、そしてその約束を果たすために、今何をしなければならないのか、逆にやってはいけないことはなんなのかを私たち国民は真剣に考えていく必要があるでしょう。
3月末現在、全国の被爆者は27万3918人で、平均年齢は72.46歳。広島の被爆者は、この1年間に5142人の死亡が確認され、死没者の総数は23万7062人になりました……。
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職員室のエアコン
市内の小学校には、職員室にエアコンが入っていない学校がまだあったのですが、この夏休みにやっと本校の職員室にもエアコンが入りました。これで市内全学校に入ったのでしょうか?いずれにしても大きな学校から順番ということだったので、本校は最後の方になってしまいました。しかし使用できるのは、9月からだそうです。
ただ、学級の教室にはエアコンは入っていません。(本校では音楽室とコンピュータ室のみ)
子どもたちの体にクーラーがどのように影響するのかを慎重に検討しつつ、一日も早く夏でも快適な学習がおくれるようにしてほしいです。
いずれにしても、今年の7月の猛暑の中では授業にはなりませんでしたので。
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カテゴリ内の記事数
カテゴリ内の記事数は指定できるのでしょうか?
たとえば、1ページ内の記事数を10にして、それを超えると次のページにいくように、といった設定ができるのでしょうか?
もしこの記事を読んでくれた人がいたら、教えてください。
よろしくお願いします。m(_ _)mペコッ
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やっぱり筋肉をつけないと
ダイエットはやっぱり筋肉をつけないと進まないなあと思いました。
最近は、45分5キロの有酸素運動ジョギングのみ。
忙しいときには、サウナだけでごまかしてしまうことが多いです。
でもやっぱり筋肉をつけないと、日常的に脂肪が燃えてくれないんですよね。
ということで、今日からジムで筋トレを再開することにしました。
とりあえず、腹筋とバーベールをあげることかな?
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8月の田んぼ
5日ぶりに学校に行ってみました。
5年生が作った田んぼの稲は大きくなっていて、スズメよけのCDと、黒いテルテルボウズみたいな「かかし?」がつるされていました。
たぶんこれから、ネットをかぶせるのだと思います。
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汗をかきたい…
4日間の全生研大会が終わりました。夏とはいえ、そのほとんどが室内での勉強だったので、今はたっぷり汗をかきたい感じがしています。
今日はジムに行って、久しぶりに走ってきます。
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全生研大会別れの集い
第46回全生研全国大会(熊本大会)は、大会参加者1020名で、大成功のもとその幕を閉じました。来年は埼玉の獨協大学にて開かれます。この大会で学んだことを一年間生かして、来年もまた自分の実践や思いを持ち寄って、埼玉の地でお会いしましょう。大会シリーズ最後のページは、別れの集いのスナップ写真です。
4日間の大会をスライドで振り返る。
左:現地実行委員のみなさん。本当にご苦労様でした。
右:折出代表の大会総括。
左:元代表で常任委員を退任された、竹内常一氏の挨拶。
右:来年度開催地、埼玉の仲間。
左:来年の埼玉大会のTシャツです。
右:熊本から埼玉へ!
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一般分科会-2(全生研大会)
東京レポートの分析
東京都の急激な「教育改革」路線によって、職員室が暗く、活気のないものになっていく様子が報告されています。また、その中で教師は追い詰められ、体調を崩したり、退職を余儀なくされたりしていく様子もリアルに報告されています。そしてその中でも、教師の権利や子どもたちの指導についてみんなで共通の問題意識を作り出しながら、しだいに職員室が元気を取り戻していくといった報告です。
以下、しおちゃんマンのまとめです。
★基本的スタンス★
管理統制を厳しくすればするほど教育的矛盾が拡大してしまうのです。
※長崎がいい例
・子どもとの信頼関係が崩れる
・親からの苦情が集まる
・教師が体調を崩す
☆ゆえに仲間作りのチャンスだと考えるよう!
■□レポートから学ぶ「学校づくり」4つの教訓■□
~一人でもスタートできる職場づくり~
(1) 方針をたてよう
・職場分析は、強がらず、自分の悩み、そして夢から出発しよう
・具体的な行動目標を必ずいれよう。
(2) 私的にも公的にも対話の輪を広げよう!
・無理に私的な関係を作る必要はない。公的な会議を大いに利用しよう。(複数の場合は必ず事前の準備を)
・一方で、管理職からも頼りにされる取り組みを
・職員室の外に、報告・相談できる仲間、場を。(サークル等)
(3) 教師の権利を実践の自由の保障と、実践的力量の向上と結びつけながら話し合おう!
・子どもに自治の力を!
・個人が管理統制される時代だからこそ、共同の実践をどんどん進めよう。
(4) 職員室の問題を地域・住民の問題にしていくための力量をつけよう!
たとえば、東京からの報告に
「私の職場にも激震が走った。異動要項の改悪である。個人の希望から校長の人事構想による異動となった。校長の構想になければ、三年未満でも異動させられてしまうようになった。」
といった報告があるのですが、これは民間の方たちにはなかなか説得力がないのです。
上記の内容については、民間ではあたりまえで、どうしてこれが「激震」なのか理解できないし、逆に「だから教師は甘い」などと批判されてしまうでしょう。したがって、私たちはそういった声に対してどのくらい説得力が持てるのかが勝負になってくるのです。
私の場合、職場で起こっている問題を「それを保護者の前で言えるのか」「学級通信やホームページで公開できるか」などを一つのものさしとしています。そしてその問題を公開するにあたっては、それをわかってもらうための準備にものすごいエネルギーを費やします。
つまり、保護者や住民のみなさんとの間に、こういったすれ違い状況を残したままでは、いくら職員室が元気になっても、結局最後は押し切られてしまう形になることが多いのです。
ゆえに、職員室の問題を地域・住民のみなさんに説明でき、学校づくりのパートナーになってもらえる力量を私たちはもつ必要があると考えています。
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一般分科会-1(全生研大会)
学校づくり小学校分科会(1)
担当 植松 山本 塩崎
[北海道レポートの分析]
5,6年、2年間の学年集団づくりの実践。学年に子どもの三役会議を組織してそこで原案を練って学年集会で決定していくといった取り組みを積み重ねています。
6年生の時に、運動会での全員参加のリレーについて、障害児学級の担任から「見直してほしい」という意見が出され、それをめぐって、学年の子どもたちや職員会議でどのように話し合い、決定していったのかの報告。後半は、クラスをこえた子どもたち同士のトラブルをめぐって学年としてどのように取り組んだのかの報告。(レポート内容、分析結果は、インターネツトでは概略しか紹介できません。詳しい報告をしりたい方は、紀要を手に入れてみてください、山本氏の分科会基調も必見です)
[討議の柱・視点]
「子どもの『学校参加』のあり方」
「子どもの指導や保護者との関係を『学校づくり』の視点で考える」
学年の取り組みを学年集会を開いてそこで子どもたちと一緒になって決定していることが大いに学べる点。それが積み重ねられていることもすばらしい。
学年で取り組む意味は、
(1) 担任が一人で背負わないように
(2) 実践の管理的な統制に対して「学年にまかせてほしい」ということなら言いやすい
運動会で全員参加のリレーがなくなることについて、子どもたちに何を話し合わせるのかの構想が弱かったため、「やりたい・やりたくない」のみの話し合いに終始してしまったことが残念。やるにしても、やらないにしても、そこの話し合いで子どもたちにどんな力を育てるのかこそが大切であると思った。特に、障害児学級の子どもや、リレーはやりたくないという子どもたちの思いに共感しながらの話し合いが大切。
職員の合意については、なかなか合意できないことについては、結論を急がず、じっくり、ゆっくり、継続的に話し合っていくこと、そしてそれを保障する職員会議が大切。そして重要なことは、子どもの立場で合意すること。そのために、前述の子ども同士の話し合いの場での指導が大切になってくる。
トラブルについても、学年団で指導方針をしっかりとたて、被害者はもちろん、特に加害者の立場にたってしまった子の思いにどれくらい共感しながら対話できるのかが大切。
もちろん、保護者との対話も、子育ての厳しさに共感しつつ対話することが大切であり、学校づくりのパートナーとしての保護者の広がりにつながるのではないか。
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開会セレモニー(全生研大会)
左:阿蘇の自然
右:水俣病の闘い(1)
左:水俣病の闘い(2)
右:寸劇「チャットって?」
左:ラップ「班核討議」
右:群読「太鼓」
左:大会歌「ひろがる夢ははてしなく」
右はおまけ:今日の朝食
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問題別分科会(全生研大会)
問題別第9分科会「荒れ・暴力」の指導の、しおちゃんマンメモを公開します。
担当 藤木、楠、塩崎
参加者数 46名
まず、楠さんから、荒れ・暴力の背景について問題提起してもらいました。概略は以下のとおりです。
[三つの類型]
(1) 幼少期からの虐待的環境に置かれており、中学校段階でも発達的には9,10歳の壁、またはそれ以前の状況におかれているために自らの感情や内的葛藤を言語化して表現するための発達的な基盤そのものが脆弱であり、衝動的な行動化に到ってしまうもの。
(主要な援助・指導課題)
・対象恒常性のある大人との関係の保障。
・「視覚的な支え」も含めた、規則が明確であり、見通しの持てる生活世界の保障。
・ライフスキルの獲得←「つもり」、感情の部分は受容しつつ、非暴力的な行動の選択を要求。
・仲間集団との関わりの中で「自己形成」の力、多面的理解の力を育んでいく。
(2) 前思春期の友人関係の中での親密製の形成過程、思春期の「価値的自立」の過程でのつまずきや葛藤としての荒れ・暴力
(指導・援助の課題)
・子ども自身が「荒れ」や「暴力」でしか表現できない内的葛藤や自立へのもがきをまずは教師が、ついで他の子どもたちと一緒に読みひらき、本人に返していくこと。
・保護者が我が子の子育ての過程や自分の内的葛藤を振り返りながら、一個の人格を持つ存在として、我が子を等身大に受け止めていけるように援助していく。
・『斜めの関係』で少年に寄り添い、対話と対決していける大人の存在の重要性。
・自分自身の価値的自立の拠点となるような体験、活動、学びの場との出会いの保障。
(3) 障害に対する適切な理解や援助がなく、不適切な教育、養育によって二次的な情緒障害の問題が深刻化した荒れ・暴力
(指導・援助の課題)
・視覚的な支えも含めた、時間的・物理的な生活世界の構造化によって「生活の見通し」が持てるように援助すること。
・その子どもから見た時のパースペクティブ(その子から見た時の世界の見え方・感じ方)の読みひらき。
・その子どもの持つ特性をクラスの中で「個性」として発揮できる活動の創造。
次に、三つの類型別グループ、6班に分かれて、自分のところで抱えている、荒れ・暴力問題について交流。
そして班の中で代表的な課題について発表。実に様々な、そして重い課題が報告されました。
そして藤木さんから、荒れ・暴力問題を抱えている子どもと、どのように応答関係をつくっていくのかを追求することの重要性が提起されました。そしてその提起について論議。
最後に、しおちゃんマンから、この分科会を4つのキーワードでまとめました。
※1、教師がその子の中のどのような他者として登場するのか
・支え、励ましの他者か(応答関係をつくるための追求)、それとも管理、封じ込める他者として登場するのか。その時に楠提起が生きてくる。
※2、その子の行動や、トラブルをどう集団的に読み開く。「つもり」をみんなで読み開くことの重要性。
※3、親(親たち・地域)との関係をどう結ぶのか。
※4、それができる学校や地域をどのようにつくっていくのか。
以上、しおちゃんマンメモでした。
メモなので具体的な部分で見えないところがあると思いますので、質問がありましたら、全生研MLで、楠さんや藤木さんに質問してみてください。
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よそよそしい関係(全生研大会基調提案)
基調提案の中で鈴木氏がどんなイメージで「よそよそしい関係」の大切さを語っているのか正確には理解できていませんが、しおちゃんマン的には以下のように理解しました。
一つ目は、よそよそしい関係という言葉に対置する言葉が親密な関係だとしたら、親密な関係(親密に見える関係、親密を装う関係)というのは下手をすると、マナーとルールを逸脱する危険性があるということです。
また、親密であればあるほど、その関係が崩れそうな時は、その新密度の割合分憎しみがわいてくる場合もあります。今の子どもたちにとっては、こういった親密な関係を維持し続けることは「疲れる」ことなのではないでしょうか。
二つ目は、よそよそしい関係とは、マナーとルールが必要です。これは基調提案でも書かれているように市民社会的な関係性の訓練の指導だと言えるでしょう。
そしてこの二つ(公共空間にふさわしい共同のあり方・親密な関係性に依拠した共同のあり方)の共同の世界をつきあわせつつ、子どもたちの生き方の指導を進めていく必要があるということだと思いました。
ただ、かつて千葉大の城丸先生が「嫌いな人とも一緒に行動することを教えるのが班だよ」「その班で行動しているうちに仲良くなっていくこともある」とおっしゃっていましたが、今回の鈴木氏の「よそよそしさ」と今までの班のとらえ方と、違いは何なのかを知りたいと思いました。
たぶん同じだと思いますが、二つの共同のつき合わせ方が違ってくるのではないかと思いました。
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開会セレモニー(全生研大会)
左:阿蘇の自然
右:水俣病の闘い(1)
左:水俣病の闘い(2)
右:寸劇「チャットって?」
左:ラップ「班核討議」
右:群読「太鼓」
左:大会歌「ひろがる夢ははてしなく」
右はおまけ:今日の朝食
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