« 2006年10月 | メイン | 2006年12月 »
いじめ「見ぬ振りも加害」教育再生会議
教育再生会議は29日の総会で、「いじめ問題への提言」をまとめ、その中で、「いじめは反社会的行為として絶対許されないことであり、いじめを見ぬふりをする者も加害者であることを徹底して指導する」と明記したそうです。
他にも、「問題行動に対する指導・懲戒基準を明確にして毅然(きぜん)と対応」「いじめにかかわったり、放置・助長したりした教員を懲戒処分の対象とする」なども柱になっています。
最近のいじめは、すでに小学生から暴力的であり(言葉の暴力含む)、金銭がからんだものも含めて「犯罪行為」と言われてもしかたがないところまできています。
ゆえに、「いじめの行為に対して」毅然とした態度でのぞむことは必要だと考えます。
また、以前から私が書いてきた、「同調者層・無関心層・批判的だが注意できない層」も含めて問題にしていかなければならない、ということと一致できる内容もあり、最初の一歩としては一定程度評価できると考えます。
にもかかわらず、何かすっきりしないものが残るのはなぜなのでしょうか。
それはおそらく、いじめの関係でしかつながりをもてなくなってきている子どもたち、そして子どもたちをそこまで追いつめてしまっている日本の教育制度の根本の問題にまでメスを入れようとしていないからだと思います。
提言は、「速やかに解消する第1次的責任は校長、教頭、教員にある」と、第1次的責任を学校にあることを明記していますが、残念ながら教育制度の問題には目を向けようとはしていません。
また、第一次的責任を学校に求めるにしては、現場はあまりにも非力です。
学級定数を引き下げる問題や、教師の増置の問題など、すぐに取り組めることは早急に進めてほしいと思っています。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
メーリングリスト再び
最近、メーリングリストの良さを再び見直しています。
メーリングリストとは、特定のメンバーでメールを使って情報交換・意見交換が行えるツールです。
決められたアドレス(MLのアドレス)にメールを送信すると、自分も含めた登録されているメンバー全員にそのメールが配送されます。そしてそれに対して誰かが返信することによって、メンバー間のコミュニケーションが成り立っていきます。
SNSに比べて、操作がメールの送受信ですのでわかりやすいです。また、掲示板に比べて、閉じた形でコミュニケーションをとることができます。
私も、以前からメーリングリストを一つ主催しています。
教師や、教師を目指す人たちを対象にしたメーリングリストです。
上記のページから登録できますので、よろしかったらご参加ください。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
左利きの先生
昨日は、3年生の算数の研究授業でした。
授業を見せてもらった女性の先生は左利きでした。左利きの先生を見たのは、こんなに長く教師をしているのに、初めてでした。
左手で板書していて、なんか…、かっこよく見えました。
1年生の担任なったら、右で書かなきゃならないのかなあ……。
逆に子どもたちと向かい合っての指導は便利ですよね。
そんなことばかり考えていました。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
四連休を振り返る
金曜日が先週の土曜日の振替休業だったので、四連休になりました。
ただ、金曜日の夜は、浦安生活指導サークルの学習会。土日は、全国生活指導研究協議会の全国委員会と、学習、学習で終わってしまった連休でした。
でも、とても勉強になったし、土曜日の夜は池袋で全生研のの仲間と飲んで、楽しく情報交換ができたことも良かったです。
サイトづくりでは、塩崎義明OnlineOfficeのページをほぼ完成させたことが成果かなあ。 自分にとっての、総合サイトにしたつもりです。
さて、今週末は12月になってしまうのですね。 いつのまにか学期末です。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
操作主義で閉じた授業や生活指導
全生研(全国生活指導研究協議会)の全国委員会に来ています。
そこでは、最近広がりつつある、ハウトゥー主義、操作主義の授業や生活指導について批判的な意見が出ました。
それらは、ある一つの価値観に向かって「閉じた」ものだからです。つまり、いずれも教師のねらいにどれだけ到達できたかで子どもが評価されるにすぎないということです。
そうではなくて、今、子どもたちに教えなければならないことは、多様な選択肢が存在すること、そして多様な生き方・考え方を認めながら、外(他者や社会、そして未来)に拓いたものでなければならない…、というふうに私は聞き取りました。
う~ん、それを実践的に考えるとどのような授業や生活指導になるのだろうか。その考え方にナルホドと納得しつつ、今の学校体制の中での困難さを感じたことも事実です。
でも、やっていかなければと思っています。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
つかみ・居場所・生きづらさ
昨日は、浦安生活指導研究協議会の学習会でした。
京都から全生研全国委員の細田先生を招いて、集団づくりについて講座をしてもらいました。
お話は、具体的な実践を通してのお話だったので、とてもわかりやすかったです。
テーマは三つだと思いました。
(1)つかみ(教師と子どもとの関係づくり)
(2)子どもの居場所づくり
(3)子どもたちの生きづらさ
若い人たちの参加が多かったのですが、子どもの側にたって「つかもう」とすればするほど、学校体制からはずれていかなければならない教師のつらさ・厳しさみたいなことについて話し合いました。
それでも子どもの側に立つのか、それとも自分をごまかしながら(実は子どもたちをごまかしている)、学校体制の中での優等生になるのかが、今の若い人たちにつきつけられている課題だと思っています。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
灰谷健次郎さん亡くなる
「兎の眼」「太陽の子」の灰谷健次郎さんが亡くなりました。若いときにこの本を読んだときの衝撃は忘れられません。心からお悔やみ申し上げます。
幼年編、少年編、成長編、あすなろ編があります。今回は、少年編を紹介します。
小学五年生になった倫太郎。学級担任のヤマゴリラと衝突することはあるものの、おおらかで魅力的な仲間たちに囲まれて、へこたれずに前へ進み続けている。
そんなある日、事件が起こった。リエが学校に来なくなったのだ。リエの登校拒否の原因は何なのか、自分に何ができるのか。悩み抜いた倫太郎がとった行動とは…。
様々な人たちとの出会いを真摯に見つめながら成長する倫太郎。灰谷健次郎さんが登校拒否の問題を世に問うた作品の三巻目です。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
辞めることばかり考えてる
最近、教師を辞めることばかり考えている。
スポーツジムのランニングマシンでウォーキングしている時もずっと考えていた。具体的なことまでいろいろ考えていたので、いつもより時間が短く感じたほど。
でも…、いろいろ前向きな理由をさがしているけど、結局現状が厳しくて、そこから逃げたいのだと思う。
それが悔しいので、すぐに打ち消すのだけど、すぐにまた「辞めたい」と思い始める。
今の仕事に夢が持てなくなってきているのかもしれない。
それに来年は50歳。キリがいいと思うし、体が動けるうちに新しいことにチャレンジしたいとも思っているのかも。
いや、かっこつけているけど、結局は…、やっぱり逃避なんだとも思う。
学級は少しずつまとまってきたけど、こんな思いで子どもの前に立つのは、やっぱり申し訳ない。
コメント (10) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
がんばれ八千代高校
わが母校、千葉県立八千代高校が、第85回全国高校サッカー選手権(12月30日~来年1月8日)に千葉県代表として出場します。9年ぶり7回目の出場になります。市立船橋のかげにかくれがちですが、けっこうちょくちょく出ているんです。
実はこの大会…、八千代高校は、私が3年生の時が初出場でした。つまり、同級生達が初めて国立競技場でプレーをしたということです。(当時は一回戦から国立競技場)
県大会の決勝で習志野高校を破り優勝。当時は千葉県だけでは出られなくて、初出場をかけて茨城県代表…、確か、古河一高校(記憶があいまい)とたたかい、それに勝って見事に初出場を決めました。
大会では、一回戦で静岡県代表とあたって1対1。惜しくもPK合戦で敗れました。
1点を取ったのは、鈴木選手。息子さんが何年か前に市立船橋の選手として全国制覇をしたはずです。
私自身も、硬式テニスでインターハイに出ていたのですが、同じ全国大会でもやっぱりサッカー部はまぶしかったです。
さて今回の一回戦の相手は、あの国見高校。最初から決勝戦のイメージですね。12月31日に、柏の葉公園総合競技場で行われます。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
マラソン
マラソン週間が始まりました。
本校のように、マラソン週間や、最後の日にマラソン大会が残っているのは市内では少ないです。
多くの学校がマラソン週間やマラソン大会をやらなくなった理由は、授業時数の関係だと思います。
また、最近の子どもはマラソンが命にかかわる事故につながることが多く、学校が責任をもてなくなってきたということもあるのかもしれません。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
なふだ
本校では子どもが名札をつけています。
あたりまえじゃないか、という方と、今どきまだ名札なんかつけているのか、という方と二通りの意見があると思います。
名札を「つけない」学校が多くなってきたのは、子どもの安全面を配慮してのことです。地域で個人情報をぶらさげて歩いているようなものですから、名札をつけるのは危険だという意味ですね。
ということで、本校でも名札をつけるのは学校内だけで、下校するときに教室に置いておくことになっています。
そんな複雑なことをするんだったら、なくしてもいいんじゃないかというご意見もあろうかとと思うのですが、本校は約千人の大規模校ですので、学校内で怪我をした時に、クラスや名前がすぐにわかった方がいいという判断をしているそうです。
しおちゃんマンは、こういったシステム(学校内でつけて、下校するときに教室に置いておくシステム)に慣れていないので、名札をつける指導がおろそかになってしまっています。ご丁寧に、生活安全委員会がクラスごとの名札忘れの数を調べてくれるのですが、ずっとずっと最下位だそうです。(つけていない子が一番多い)
さあ、どうしようかと悩んでいるところです。
コメント (2) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
若い人たちからこそ学ぶ
土曜日の夜、職場の20代の人たち6人と飲みました。
若い人たちがとんどん採用されてくる時代になったわけですが、まわりの様子を見ていると、どうも「上から教え込む」形でのかかわりが多いことが気になっています。
確かに、授業技術や仕事の仕方など、教えなければならないことがあることは認めるのですが、私の場合逆に若い人たちの感性から私たちベテランが学ばなければならないことがたくさんあるような気がしています。
また、「自分もそういう時期があったなあ」と、いい意味で若いときの物の見方を思い出すことも元気を出すことにつながるのではないでしょうか。
これから教師としての生き方の選択肢・可能性がたくさんある人たちですので、これからもぜひ一緒にがんばっていきたいと思っています。あくまでも、横並びで。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
ニュースポーツの紹介
ふれあい祭りは、全学年・学級が、総合的な学習で学んだことの発表会として本校で位置づけられています。
しおちゃんマンのクラス(小6)は、ニュースポーツの紹介に取り組みました。
ニュースポーツとは、子どもからお年寄りまで、みんなで楽しめるスポーツとして考えられたものです。
種目紹介と、当日の様子を伝えるページを作りました。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
更新情報のページ
kentWebさんのところの、MagMag Boardを使って、ザ・教室の更新情報のページを作っていたのですが、野ざらし状態であまり利用していませんでした。
このCGIはけっこうすぐれものでして、メールアドレスを登録をしていただければ、更新情報がメール通知されるというものです。
これだけの機能を持っていて野ざらし状態ではもったいないと思い、ザ・教室だけでなく、しおちゃんマン主催のサイトの更新情報をすべてこのページでお知らせすることにしました。
よろしかったら、どうぞご利用ください。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
東京オリンピックの時代
社会科で、1964年について学習しました。
教科書とは若干順番が違いますが、先にそこをやって、どうしてここまで復興することができたのかを学習しようと考えました。
1964年と言えば、東京オリンピックの年。東海道新幹線が開通した年でもあります。
しおちゃんマンは、小学校1年生でした。
千葉市では、この年まで、給食に脱し粉乳が出ていました。
家庭では、電気冷蔵庫、電気洗濯機、テレビが「三種の神器」と呼ばれて、ほぼ普及した時代でした。ただ、しおちゃんマンの家は、冷蔵庫は確か、氷式のやつだったと記憶しています。洗濯機はあったな……。テレビもありましたが、もちろん白黒でした。電話はなかったです。近所に借りに行ったことを覚えています。
東京オリンピックの開会式は10月10日。日本で一番雨が少ない日が選ばれました。東洋の魔女と呼ばれた女子バレーボール、日本のお家芸と言われた体操、全種目入賞した柔道、マラソンの円谷選手などが、教科書で紹介されていました。
一方、オリンピックに合わせて、当時の国鉄は、東海道新幹線を開通させました。ひかり号のデザインは、戦闘機をデザインしていた人が考えたことを、以前プロジェクトXでやっていました。
教育は、「期待される人間像」を合言葉に、いわゆる「できる子づくり」が本格的に始まった時代でもあります。その後、校内暴力や、不登校問題、いじめ問題がおこってくるのは、実はこの時代に根っこかあったのかもしれません。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
しおちゃんマンCafe
塩崎義明OnlineOfficeの掲示板、しおちゃんマンCafeに引きこもろうかと思っています。
別に何があったわけではないのですが、オープンな掲示板が懐かしく感じてきたからです。といっても、mixiもあれだけ登録者が増えると、オープンのようなものなのですが……。
とりあえず、アイコンを増やして、壁紙をつくって、タイトルも画像タイトルにしました。
一言日記みたいに書いてみようかと思っています。
それにしても今週は長いなあ。土曜日まで学校があるからかな?以前は、普通に土曜日まで学校があったのに、体は完全に五日制に慣れてしまったようです。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
いじめる側に立つイメージを
連日のいじめ報道で、親としては子どもを守るためにはどうしたらいいのかにとても敏感になっています。
しかしここでよく考えてほしいのは、いじめられる側になるよりも、いじめる側になってしまう可能性の方がはるかに高いということです。
いじめられるイメージは持てていても、いじめる側のイメージ、さらには、直接いじめていなくても、自分の子どもがいじめに同調していたり、無関心であったりのイメージを持っているのだろうか?という疑いを持っています。
そのイメージを持って子どもたちを指導していかなければ、いじめはなくならないという当たり前のことが最近盲点になっているような気がしています。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
塩崎義明OnlineOfficeのページをリニューアル
塩崎義明OnlineOfficeのページをリニューアルしました。
ここに、小さな雑談掲示板を作ってみました。
★しおちゃんマンCafe
この掲示板は、画像もアップできます。
また、アイコンは、子どもたちが考えてくれたキャラクターを使っています。どうぞお気軽にご利用ください。
しかしこれだけでは、アクセス数を維持できません。このページを使って、どんな活動・更新をしていくのかを考え中です。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
リンクバナーいろいろ
手作りリンクバナーをいくつか作りました。
どのページもリンクフリーですので、リンクしていただける時は、どうぞご利用ください。まずは、このblog(「ザ・教室blog」)から。
▼ザ・教室 blog 教師からのメッセージ
[リンク先]
http://shiozaki.info/mt/
【468×60】
このblogの本文枠に入りきらないので、こちらからどうぞ。別ウィンドウで開きます。
【120×60】
小さめなやつも、作りました。
次に、最近リニューアルした「塩崎義明OnlineOffice」のリンクバナー。世界標準規格の【88×31】です。
最後に、お気に入りのリンクバナーです。
▼しおちゃんマンの本屋さん「舞来夫(まいらいふ)堂」
【234×60】(世界標準規格)
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
一人で抱え込む前に……
★校長が自殺、児童のたかり行為を正確報告せず…北九州
(2006年11月12日20時45分 読売新聞)
管理職は教育委員会や世論との関係で、子どもはいじめ・友達関係で、教師は職員室の人間関係で…それぞれ命を自ら絶ってしまうニュースが続いています。
一人で抱え込まずに相談すれば…といった声がありますが、他と相談できる関係がつくれていたなら、ここまで追いつめられなかったのかもしれません。
だとしたら、管理職も教師も子どもたちも、一人で抱え込む前に、日常的にそういった関係をつくっていくことが大切なのかもしれません。
私も現場の教師として、同じように悩み、苦しんでいます。ただ、幸いにたくさんの相談できる仲間がいることに助けられています。
そして、私自身も子どもたちや職員室の仲間の相談にのれるようなスタンスを忘れてはいけないのだとあらためて思いました。
コメント (3) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
教育と子どもを語る市民集会
昨日は、千葉県八千代市の教育と子どもを語る市民集会に行ってきました。
教師や市民、約500人が参加しました。
しおちゃんマンは午後の分科会「若い先生のための学級経営」で講座をしてきました。その分科会の参加者は、若い先生を中心に30名。
教育は、教師・子ども・保護者の三者が共同して取り組むものであるにもかかわらず、それぞれがそっぽを向いて時には対立し、そしてそれぞれが悩んでいること。
それをどのように共同の関係につくりかえていくのかを具体的な実践を通して話してきました。
いつものように、しおちゃんマンの実践は失敗ばかりです。
しかし、一緒になって頭を抱えることはできますし、そのことこそ大切なのだと思っています。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
教員養成研修への疑問
授業の技術向上のために、様々な名称や形で、教員養成が取り組まれています。授業の進め方はもちろん、板書の仕方、ノートのとらせかた、子どもたちへの目配り、エトセトラ…。
確かにそういった授業技術も必要でしょう。そういった研修を全否定するつもりはありません。ただし、それだけでいいのか。いや…、そっちにばかり力を入れていいのか?といった疑問を常に持っています。
なぜなら、そういった技術は、すべての子どもたち、すべての学級の授業に通用しないからです。
「こっちのクラスでは同じ授業の流れでもうまくいったのに、こっちのクラスではうまくいかない」
「去年、同じ学年のクラスでうまくいった授業が、今年はうまくいかない」
といったことが、たくさんあるのが教育現場だからです。
なぜでしょうか。簡単に言えば、子どもが違うからです。
授業や、学級づくりというのは、子どもたちの分析なしでは、なしえないのです。
これは「児童の実態」などという単純な問題ではありません。そういった実態を作り出している子どもたちの生活背景、さらにはその生活背景を生み出している社会情勢の分析がなければ、真の子ども理解ができないということです。
しおちゃんマンは、20年以上、そのこと(子ども論)に、とことんこだわってきたつもりです。
なぜこの子は、こういった発言・行動をするのだろう。なぜ何度言ってもわかってくれないのだろう。その分析にこだわってきたということです。
ただ、その答えが明確に出ることはなかなかありません。しかし、それを見つけようとする教師のスタンスに子どもたちや保護者のみなさんが信頼と理解をよせてくれているのだと思っています。
子ども論、社会情勢分析が欠けている授業技術優先主義は、さらなる教育荒廃(子どものせい、親のせいにして終わらせてしまう)を生み出してしまうのではないかと心配しています。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
「供養」という漢字の意味
お通夜の最後に、お坊さんから話がありますよね。その時に、「供養」の漢字の意味を話してもらいました。
お坊さんの話は、とかく説教くさいなどと言ったりします。説教なのだからしかたがないじゃないかと思いつつ、今まではあまり聞いていないことが多かったのですが(ばちあたりですみません)、今回ばかりは、しっかり聞いてきました。
「供養」というのは、「人」が、「共に」、「養う」という意味であるということ。
お坊さんが言うには、故人をなぐさめるという意味ではなくて、どちらかというと、生きている私たちが成長することの意味でとってほしいということでした。
へ~、お坊さんらしくないな…、とさらに耳を傾けていると、故人を供養することで、私たちが悲しみを忘れ、前向きに生きていくこと……、そういったことを故人と共同で行う作業が「供養」だということでした。
他者にはたらきかけることで共同が生まれ、そこから新たな生き方を見つけ出したり、身につけたりしていくことは、以前から私も教育論として主張してきたことなので、今回のお坊さんの話は、すんなりと入りました。
こりゃ、漢字の「共」がくっついている言葉には、今後注目しなければならないな……、と思いました。
漢字というのは、こういったおもしろさもあるわけで、子どもたちにも、こういった視点での漢字のおもしろさを知ってほしいと思いました。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
敬語・宗派・家紋
父の葬儀では、喪主をつとめましたが、出棺の挨拶の文例を読んで、日本語の敬語の難しさをあらためて感じました。
たとえば、
× 本日は、ご多忙中にもかかわらず
○ 本日は、ご多忙中にもかかわりませず、
「かかわりませず」などという言葉は、使ったことがないので、とまどいました。また、
× おかげさまをもちまして
○ おかげをもちまして
なんでも丁寧に言えばいいのではないことも知りました。
また、しおちゃんマン家は曹洞宗でお経をあげてもらうことを知りました。日本史で、道元、曹洞宗…などと暗記はしていても、それがなんなのかを知ろうとするのは生活の中でなんですね。
家紋もそうです。しおちゃんマン家は、[丸に抱き茗荷]だったことをあらためて知りました。それで、家紋ってなんだろう?? 茗荷の意味は?? などと、興味がわいてきました。
本当の学習というのは、こういったことからスタートするのかもしれません。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
父の葬儀が終わりました
先週の土曜日の夕方に父が他界しました。80歳でした。
日曜日が通夜で月曜日が告別式。 喪主をつとめましたが、ここにきてようやくひと段落です。
高齢で、しかも親戚はほとんど三重県にいるので、来てくれる人はいないのではないかと思って、お返しを50しか用意していなかったのですが、私の学校や妻の学校から、保護者の方も含めてたくさんの方が来てくれて、90名以上になってしまい、あわててお返しの数を増やしました。ありがとうございました。
大正15年(昭和元年)生まれです。大きな戦争をリアルタイムで体験し、戦後復興、高度成長期を先頭にたってひたすら走ってきた世代です。
家庭をかえりみず、子育ても母親まかせ。実は私も、父とはほとんど話をした記憶がありません。
最後は寝たきりになり、母の介護が続いていたのですが、土曜日に急変し病院で亡くなりました。最後は心筋梗塞でしたが、体中、あちこちが悪くなっていました。
母は、介護が大変だったので、これでホッとしたのではないかと思っていたのですが、やはり少し元気がなくなってしまいました。
職場は、サポート体制をしっかりと組んでくれましたが、職場の人たちにはもちろん、子どもたちや保護者の皆さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいです。
告別式が終わっても、これから役所に行ったり、銀行に行ったり、年金の処理をしたり、母の今後について相談したりで、まだまだ見通しがたたない状況です。
私の場合、祖父母が四人とも健在だったので、初めての経験です。いろいろ勉強させられました。
ということで、学校は、もう一日だけ休ませてもらいます。これ以上迷惑はかけられないので、木曜日から出勤します。
申し訳ありません。よろしくご理解ください。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
数日お休みします
身内に不幸がありましたので、しばらくblog、日記をお休みさせていただきます。
「非行」と向き合う親たちの会のサイト管理も滞るかもしれません。
ご迷惑をおかけいたします。
よろしくご理解ください。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
どっと疲れが出た~足立区の教育政策~
■小中学校予算に学力テストの結果を反映…東京・足立区
(asahi.com - 2006年11月04日08時01分)
最初は記事の読み違えかと思いました。
つまり、テストの結果が悪かった学校に予算がおりるのかと思いました。
しかし何度読んでも、その逆のようです。つまり、成績の良い学校に高い予算がおりるという記事。
今問題になっているいじめ、そしてそのいじめを認めなかったり隠したり、そういったことがさらに広がるでしょう。
さらには、職員室内のパワーハラスメント。千葉の教務主任が自殺してしまいましたね。そういったことも増えるでしょう。
さらにさらに、学力テストをめぐる不正やトラブルも増えるでしょう。なにしろお金がかかっていますからね。
そして小中学校も高校並みに授業時数のごまかしが増えるかも。
つまり、今問題になっていることに対してまったく目を向けようとせず、さらにその問題を広く、深く、重くしてしまう政策だと言わざるを得ません。
どうしてこんな政策を打ち出してしまったのでしょうか。何か背景に、私たちの知らない力が働いているとしか考えられません。
怒りを通り越して、どっと疲れが出ました。
コメント (0) /トラックバック (2) /wrote by しおちゃんマン
【本】バカをつくる学校
集中力を育てない「チャイム」、対立させる「クラス分け」、敗者だと自覚させる「競争」、階級を意識させる「成績評価」、そして他人に対して残酷になっていく子どもたち……。
日本の教育も、アメリカと同じ道を歩いていることがよくわかります。
全米覚醒のベストセラーだそうです。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
集まれなかったご苦労さん会
昨晩は、音楽会や研究授業、修学旅行などのご苦労さん会(飲み会)をしました。
学年教師と、音楽、家庭科の専科の先生、合計7名の予定でしたが、仕事が入って、それが遅くまでかかってしまったようで3名が欠席。4人しか集まることができませんでした。
今度、もう一度やらなきゃね……、という感じで別れました。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
薬常用・面談・取材
昨日の午前中は休みをもらって病院へ先日の検査の結果を聞きに行きました。結果はどうもかんばしくありませんでした。それでとうとう薬常用者になってしまいました。これからずっと薬を飲み続ける生活になってしまったことが悔しいです。
すぐにどうこうという病気ではありませんが、定期的に検診にも行かなければならないようで、そんなに休みをとらなければならないのだったら教師でいられるのもあと数年かなぁ…、と思いました。子どもたちに迷惑をかけるわけにもいきませんからね。(学級を持たない教務主任や管理職になるつもりは毛頭ありません)
しかし人生的にはまだやりたいことがあるので、体にはせめてあと20年はもってほしい。なんとか薬でごまかしながら生活していくつもりです。来年はもう50歳。歳をとるということは、こうやって生きていくことなのかもしれません。
午後は病院から学校へ。保護者面談の3日目でした。
昨日書いたように、資料をあえて用意しないで、自然な形で保護者の方たちと話をしてみました。子どもたちの伸びたところ、今後の課題をテーマにして対話させてもらいましたが、課題の方が多くなってしまった面談になってしまったこともありました。けっしてその子たちの課題の方が多いわけではなかったので、話をすることの難しさを感じ、反省しました。
夜はテレビの取材に応じました。
以前書いたように、私はテレビに出る気はありません。「顔を隠して声も変えて」ということでしたが、それでも今回も出演は断りました。番組作りのための情報提供としてなら、という条件で取材を受けました。
テーマは、このところ続いているいじめ事件と、それを隠す教育行政の問題。
文科省を頂点としたピラミッド型の学校制度の中で、「成果主義」が報告を遅らせたり、結果的に「隠す」ことにつながってしまっているという事実はあるのだと思いました。これは「特色ある学校づくり」が叫ばれはじめた時代から広がってきて、今日の学校間競争の激化と、学校・教師評価制度の副作用としてとらえてみました。
また一方で、「いじめ」というのは、その性格上、件数としてカウントしずらい…、報告しずらいという面もあります。直接的に暴力が続いていたり、お金をとられ続けていたりというケースならともかく、日常的に生まれては消え、消えては生まれ、その関係性も変化していくといった「いじめ」は、どのタイミングでカウントし、報告すればいいのか悩むところなのです。(もちろん教師たちはその都度指導しています)
ただ、自殺という悲しい出来事を目の前にして、いじめの事実をなかなか認めなかったり隠していたり…というのはどうも理解に苦しむこともまた事実です。
ちなみに、いじめというのは、いじめる側といじめられる側だけの関係だけでは完結していないということがあります。つまり、
○かげで同調していた層
○無関心でいた層
○いじめに対して批判的だったけど何も言えなかった層
といったように、集団全体の問題でもあるということです。ということで、どの時点でいじめが解消されたのかの報告も難しいです。
私への取材はおそらく大きく編集されてしまうでしょう。テレビというのはそういうものだと割り切って取材に応じました。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン
保護者面談3日目
今日は、午前中に病院に行って、検査結果と今後の治療方針を聞いてくる予定です。
午後から保護者面談(個人面談)があるので学校に駆けつけます。個人面談は今日で3日目になります。
今回の面談は、いろいろな資料(成績や行動の記録、時には子どもたちの作品)を用意することをあえてしませんでした。なんの資料もなしに、保護者の方と素朴に向き合い、話をさせていただこうと考えました。
その年によって、逆に資料を用意した方がいい場合もあるのですが、今年はそうはしなかったということです。
※資料や記録はたくさんあるのですが……。
この方法の方が、子どもたちの前進面や課題を、素直な形で話ができると考えたからです。そして今年はそういった話し合いの方が大切だと判断したということです。
つまり、成果を具体的に伝えるよりも、一緒になって子どもたちの成長を喜び、課題を一緒に悩むというスタンスでのぞみたかったのです。
ということで、もしかしたら物足りなさを感じた保護者の方もいらっしゃったかもしれません。しかし、資料にとらわれることなくお話ができているので、かなり本音のお話ができていると感じています。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン