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2006年11月02日

薬常用・面談・取材

昨日の午前中は休みをもらって病院へ先日の検査の結果を聞きに行きました。結果はどうもかんばしくありませんでした。それでとうとう薬常用者になってしまいました。これからずっと薬を飲み続ける生活になってしまったことが悔しいです。

すぐにどうこうという病気ではありませんが、定期的に検診にも行かなければならないようで、そんなに休みをとらなければならないのだったら教師でいられるのもあと数年かなぁ…、と思いました。子どもたちに迷惑をかけるわけにもいきませんからね。(学級を持たない教務主任や管理職になるつもりは毛頭ありません)

しかし人生的にはまだやりたいことがあるので、体にはせめてあと20年はもってほしい。なんとか薬でごまかしながら生活していくつもりです。来年はもう50歳。歳をとるということは、こうやって生きていくことなのかもしれません。

午後は病院から学校へ。保護者面談の3日目でした。

昨日書いたように、資料をあえて用意しないで、自然な形で保護者の方たちと話をしてみました。子どもたちの伸びたところ、今後の課題をテーマにして対話させてもらいましたが、課題の方が多くなってしまった面談になってしまったこともありました。けっしてその子たちの課題の方が多いわけではなかったので、話をすることの難しさを感じ、反省しました。

夜はテレビの取材に応じました。

以前書いたように、私はテレビに出る気はありません。「顔を隠して声も変えて」ということでしたが、それでも今回も出演は断りました。番組作りのための情報提供としてなら、という条件で取材を受けました。

テーマは、このところ続いているいじめ事件と、それを隠す教育行政の問題。

文科省を頂点としたピラミッド型の学校制度の中で、「成果主義」が報告を遅らせたり、結果的に「隠す」ことにつながってしまっているという事実はあるのだと思いました。これは「特色ある学校づくり」が叫ばれはじめた時代から広がってきて、今日の学校間競争の激化と、学校・教師評価制度の副作用としてとらえてみました。

また一方で、「いじめ」というのは、その性格上、件数としてカウントしずらい…、報告しずらいという面もあります。直接的に暴力が続いていたり、お金をとられ続けていたりというケースならともかく、日常的に生まれては消え、消えては生まれ、その関係性も変化していくといった「いじめ」は、どのタイミングでカウントし、報告すればいいのか悩むところなのです。(もちろん教師たちはその都度指導しています)

ただ、自殺という悲しい出来事を目の前にして、いじめの事実をなかなか認めなかったり隠していたり…というのはどうも理解に苦しむこともまた事実です。

ちなみに、いじめというのは、いじめる側といじめられる側だけの関係だけでは完結していないということがあります。つまり、

○かげで同調していた層
○無関心でいた層
○いじめに対して批判的だったけど何も言えなかった層

といったように、集団全体の問題でもあるということです。ということで、どの時点でいじめが解消されたのかの報告も難しいです。

私への取材はおそらく大きく編集されてしまうでしょう。テレビというのはそういうものだと割り切って取材に応じました。

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wrote by しおちゃんマン

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