« 消防署の雑学 | メイン | 「要支援教員」という名づけ »
子どもと遊ぶ時間の保障
小学校の教師は子どもと遊ぶことが「仕事」だと教えられてきました。
子どもと遊べない教師がどうして子どもとの信頼関係を結べるのか…、ということです。
授業にしても、子どもとの信頼関係がなければ成立しません。逆に、どんな下手な授業をしてしまっても、子どもとの信頼関係があれば、子どもたちは一生懸命考えてくれるものだと。
ゆえに「子どもと遊ぶ」ことは、時には「事務仕事や会議よりも優先されるべき」であるし、その時間は保障されなければならないと考えています。
しかし残念ながら、今の現場は、そういったこととまったく逆な方向に動いています。
授業にしてもその方法や技術ばかりが研究されています。そういった研究はもちろん大切ですが、最優先されるものだとは今も考えていません。
机上(会議)でのみ話し合われる子どもの「問題」(実は私たち教師の問題であることが多いのですが)は、子どもたちを分類し、その分類にそった解決方法を見つけようとばかりしているので、リアル性に欠け、真の解決にいたりません。
私も含めて、教師は、親は、そして大人は、もっと子どもたちの生活現実を知るべきだと思います。
「ねばならない」と主張する前に、子どもや保護者のみなさんと一緒に悩むことのできる教師でありたいです。
そのためには、教師はもっと子どもと遊び、教師の方からちょっかいを出し、そして対話していく必要があると最近強く思います。(最近そうなっていないという反省の意味も含めて)
そしてその時間は最優先で保障されなければならないと。
wrote by しおちゃんマン
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://shiozaki.info/mt/mt06-tb.cgi/1022
このリストは、次のエントリーを参照しています: 子どもと遊ぶ時間の保障:
» 研究授業の怪 from THE義務教育-保護者が感じる「今の学校ちょっとヘン」
七星来人さんのブログに「学校公開週間」というエントリーがありました。学校公開週間なので、保護者はもちろん、先生同士もお互いの授業を参観すればよいと思うのだ... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年02月04日 11:50
» 足りない… from I CAN BE...
年度末が近づいてくると、学校の中で、1年間を振り返ったりまとめたりします。
先日は、職員による [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年02月04日 13:37
» なわとび(体育) from 散歩日和
学年での合同体育はなわとびを行っています。
短なわと長なわ(8の字)両方やっています。
Oくんの先々週の日記に
「二重跳びで158回飛びました。」
... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年02月05日 16:58
» なわとび(体育) from 散歩日和
学年での合同体育はなわとびを行っています。
短なわと長なわ(8の字)両方やっています。
Oくんの先々週の日記に
「二重跳びで158回飛びました。」
... [続きを読む]
トラックバック時刻: 2006年02月05日 17:50
コメント
>授業にしても、子どもとの信頼関係がなければ成立しません。逆に、どんな下手な授業をしてしまっても、子どもとの信頼関係があれば、子どもたちは一生懸命考えてくれるものだと。
同感です。本当にすごくそう思います。
まだまだセンセとして未熟なボクが、毎年センセとしてやっているのも、こんなセンセでもついてきてくれる、一緒に楽しんでくれる子ども達がいるからだと思っています。そして、そのためには、子ども達とできるだけ遊んだり、話したり、バカなことやったりすることが大切だと思っています。
だから、朝は早くに来て、校門で挨拶して出迎え、休み時間には遊うことを心がけているのですが…
子どもと関わる時間がホント削られてきました。物理的に難しい状況になってきました。特に休み時間はアレやコレやと仕事があったり、放課後はボクのガッコは、子どもを残してゆっくりと補習したり話したりできなくなっているので、(安全対策で必ず下校です)自分でもはがゆいところがあります。
子ども達と一緒に汗をかいて、そこから気づいたことや感じたことを日々の実践にいかしていきたいものです。
時間が欲しい。
投稿者 Be honest : 2006年02月04日 12:35
子供に問題があるのは、親が勉強よりも遊びを優先させて来たからだと思います。それに対しての先生の影響力は残念ながらあまり多くないのですが(だからいつまでも解決できない)、でもゼロではないと信じています。
先生の言葉に響く子供もいるかもしれない。なので、せめて先生だけでも「遊びよりも勉強を」と子供たちに伝え続けた方が良いと思いますよ。。。
投稿者 Y : 2006年02月04日 13:15
> Be honestさん
子どもとつながることって大切ですよね。そのことぬきには、学力向上はないのではないかと最近強く思います。
>Yさん
んっ?
親は勉強よりも遊びを優先させてきたのですか?ここでいう「遊び」の意味がよくわからないのですが……。もしかしたら私の言っている「教師は子どもともっと遊ぶべきだ」というときの「遊び」とはイメージが違うのかもしれませんね。
教師が勉強を指導するのは当然ですね。その勉強(ここでは授業と言い換えてもいいかもしれません)を充実させるために、教師は子どもとの信頼関係をつくっていくべきだと考えているわけです。
うまく伝わらないかな?ごめんなさい。
投稿者 しおちゃんマン : 2006年02月04日 13:57
私は、保護者ももっと子ども達と遊ぼーっ!!って、思います。
特別なことをしなくていいんです。子ども達と他愛ない会話をしながら、話を膨らませていくのでもいいし、時間があれば子ども達と一緒に公園で遊ぶのもいい。実は、子ども達とのそういった時間は、ホントに学ぶことが多いなあ・・・と、最近つくづく感じています。
でも、私みたいな保護者は、他から見ればただのヒマ人だと思われているのだろうナ・・・。(いわゆる、負け組ってヤツですね。トホホ。(TДT;))
投稿者 びろみマン。 : 2006年02月04日 14:37
子どもと遊ぶ時間はホントにここ数年で激減しましたね。単にこちらが年齢的に難しくなったという問題もあるかもしれませんけれど、それ以外の部分が肥大しているように思います。
信頼関係は遊びの中でという部分は確かにあるでしょうね。新任教師など遊ぶことで授業が成立している部分ってあるような気がします。
でも、授業で作る信頼関係の方が私は最近多いような気がしています。遊びは授業での不足を補うという部分だと思っています。
投稿者 七星 来人 : 2006年02月04日 14:38
子供の世界だけでなく、机上だけで動く世界が沢山存在します。現場を見ずに机上だけ。
私は薬剤師なのですが、薬剤師を育成する機関の大学でさえ、同じなのです。
現在の大学生は自分から学ぶことが出来ず、完全な受身。教えてくれない先生(学校)が悪いと。こんな考えの学生を改革するには、大学一年生からが肝要。更にそれを変えるには受験制度の見直し(受験は必要と思うが、テクニックだけで解けるのはナンセンス)。更に更にと考えていけば、一番理想は小学生の時から考える力を養うことと思います。与えられた限られた範囲の中でもやり方次第で何通りにもなる。これは遊びの中から生まれるものだし、その考え方が定着すれば、他のことにも応用が出来るはず。と私は考えております。今の大学生は、子供と一緒です。
投稿者 aksk : 2006年02月04日 22:27
若い頃は、校内研修をさぼって放課後子どもと遊んでいました。すげえおこられたけど、「うっかりしててすいません」なんてすっとぼけました。
そんなことはできなくなったけど、子どもと昼休み遊ぶのだけはずっと大切にしています。
最近、心理の畑に足をつっこんで、「遊戯療法」を学んで、自分がやってきたことはけっこう正しかったんだって思いました。
授業の中でも子どもの心は育てられる部分はあると思います。でも、子どもたち、特に適応に問題を抱える子どもたちにいやし、安定を与えられるのは「遊び」なんじゃないでしょうかね。
あと、最近感じていることなんですが、子ども同士の関係がとれない子は、親との安定した関係がしっかり作れてないことが多いように感じます。教師という大人が子どもと関わって、十分作れていない大人との信頼関係、安心感を「フォロー」してあげることがとても大切なように思うのです。
投稿者 donguri : 2006年02月04日 23:12
しおちゃんマンさん、そうです。勉強は学校でやるものだと思っている親が多いです。で、家でさせるものといえば、習い事、ゲーム、テレビ、友達と遊ぶ、、、全部遊びです。勉強は「学校での学び」と「家での練習」がないと身につきません。
宿題をやればまだしも、宿題忘れの子供も多いですしね。(つまり親がやらせていない)そうなると、学校も「家庭の事情を考慮して」宿題を少なくする。。。ますます勉強ができない→授業を受け身でしか聞けない→学校の授業が充実しない、となるわけで。
ということに気がついてから、我が家では勉強(学校の授業が身につく事)優先にするようにしました。おかげで子供は翌日の授業が楽しみみたいです。
投稿者 Y : 2006年02月05日 12:54
わたしも、放課後はできるだけフリーな時間にし、生徒と関わる時間にしたいと思っています。小中学校に比べて、高校は空き時間もあるのでその間にできるだけのことはしますし、先延ばしにできるのなら、それが持ち帰り仕事になったとしても、生徒から何らかの発信があったときにはそちらが最優先です。
小中学校の先生方は、空き時間もほとんどないでしょうから、つまらん書類の作成に時間をとられる現状では、本当に大変だろうなと思います。
子どもたちとふれ合う時間の大切さを、教育委員会や管理職は分かっちゃーおらん!そのことにめちゃくちゃ腹が立ちます。
投稿者 卯月 : 2006年02月05日 19:56
>びろみマン。 さん
親子の対話も、どうしても一方通行になりがちですね。教師も親ももっと子どもの話をじっくりきいてあげなければと、いつも反省しています。
>七星 来人 さん
授業での子どもとのつながり方って大切ですよね。「学ぶ」ということは、「つながる」ことに開かれていなければならないといつも思います。
>aksk さん
そういった意味で「遊ぶ」ことは奥が深いですね。生きる力も遊びの中で育つので。
>donguri さん
子どもに「居場所」がなくなってきたと言われて久しいのですが、子どもたち一人ひとりに安心できる場があることはその成長にとってもすごく大切なことなんですね。
> Yさん
翌日の授業が楽しくなるような家庭での学習という視点、学ばせてもらっています。そういった意味で、学校と家庭との敷居をもっと低くしなければと最近考えています。
>卯月さん
空き時間は本当にないですねえ。分きざみの生活です。時には、秒きざみ。廊下もスタスタと早足で歩いている職員が多いですね。子どもとすれ違っても声をかける余裕もないくらいです。どうにかならないものかと……。
投稿者 しおちゃんマン : 2006年02月08日 07:24
そうだね
投稿者 いいい : 2006年02月10日 16:37
サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)