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2005年11月13日

町田女子高校生殺人事件

静岡の母親毒殺未遂事件に続いて、また、やりきれない事件が起きてしまいました。

東京都町田市で15歳の女子高校生が刺殺されてしまった事件です。何十箇所も刺し傷があったとか…。

発見したお母様の気持ちを思うと……。

そして容疑者は、被害者と同級生の少年とのこと……。

動機は、報道によると「小、中学からの同級生だったのに、高校に入ると急に冷たくなったから」……。

なんなんだ……、この「動機」は?

こんなことが動機として認められるのか?と疑ってしまうほどの幼い価値観。

 そんなことでは人は殺せないはずです。

という、私たち大人の価値観の崩壊。

 そんなことで、人を殺してはいけません。

と、私たち大人が声をからして、繰り返し繰り返し叫ぶことの敗北感。

もう「この事件は、特殊な個人が起こした事件です」と片付けてはいけないと思います。「うちの子に限って」はもう通用しないのですね。今回の二人だって、つい最近までは普通の高校生だったのですから。

とりあえず深呼吸して、今目の前にいる子どもたちと、もう一度真正面から向き合っていく必要があるのだと思います。

親御さんたちはもちろん、私たち教師も、もう一度足元を見直そうではありませんか。

wrote by しおちゃんマン

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» なぜ人を殺してはいけないか from あなたの人生何かが足りない?――岡野守也の公開授業+α
 まだ容疑の段階だが静岡の母親毒殺未遂事件、そして11日の町田の女子高校生殺害事件と、若い世代による事件が続いていて、とても悲しくとても残念である。  昨日... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2005年11月16日 17:31

コメント

この少年は、親を亡くされてから様子が変わったそうです。
思春期に親が亡くなることは、どういう意味を持つのだろう。
我が家にも高校生の息子がふたりいますが、うちの子に限ってとはとても思えません。とても危うい精神状態。もし母親である自分がいなくなったら、しっかりと立って生きていけるのだろうか?父親が、子ども達に関心がない家庭では尚更だと思う。

投稿者 悠 : 2005年11月13日 20:00

>悠さん
思春期において親子関係をどうつくっていくのか、以前に比べてますます難しくなってきていますね。不安や悩みはつきませんが、情報を交換しながら、みんなで考えていきたいですね。

投稿者 しおちゃんマン : 2005年11月13日 21:05

思春期に、心のより所をなくした人間は、他人に依存し続けていないと立っていることも、息をすることも、できません。そんなとき、自分に少しでも関心を持ってくれる身近な人には、藁をもすがる思いでしがみついてしまうのでしょう。まるで水に溺れる人のように・・・。

自分と他人との距離を測ることができなくなったとき、自分と他人との区別がつかなくなるのだと思います。そして、思うようにならなくなったそのとき、考えられないような行動をおこしてしまうのではないか・・・と思うのです。

親として・・・そして一人の人間として、今の自分ができること・・・。
それは、自分の子、他人の子、関係なく、関わるからには、同じ目で見守っていてやりたい・・・。
そんなささやかな思いが、少しでも子供たちの心のより所になってくれるのなら・・・というのが、今の私の気持ちです。

投稿者 びろみマン。 : 2005年11月13日 21:08

今回の事件、だけとは言いません、
少しマクロな視点から見てみると、
家庭の個別化が要因の一つとなりうるのでは無いかと考えます、
昔なら地域住民が助け合って生活をして来て、子供のケアも地域ぐるみで行ってきたような物です、(怒ったり誉めたりして)しかし、現在の地域の多くは各家庭の繋がりが乏しく感じられ、こういった状況(親が亡くなる等)に陥った時、支えてくれる人の少なさが、このような事件を起こす結果になってしまうのかもしれませんね。

昔、と言いましたが昔も同じ様な事が無かった訳ではありませんのでご了承ください。

投稿者 としつぐ(仮名) : 2005年11月13日 21:26

 みょうに、女性に執着しているという理由が、分かったような気がします。

>この少年は、親を亡くされてから様子が変>わったそうです

 親がなくなって、誰も自分を認めてくれないアイディンディティの、崩壊の危険‥

 そこに、不幸なことに幼なじみからの、分かれの宣告‥

 彼の自我は、めちゃめちゃになったのかもしれません‥

 殺されたほうはたまったものじゃありませんが、殺した方の理屈も、ダメ教員としては聞いてみたいです。

 自分の生徒ならどうする?という、つらい傷を負いながら、この事件は考えたいです‥

投稿者 ダメ教員一号 : 2005年11月14日 01:11

 サインのない非行・犯罪なんてあり得ない。「どこにでもいる普通の子が、ある日突然犯罪者になる」なんて、あり得ない。「どこにでもいる普通の子」と、「犯罪を犯してしまった子」との間には、必ず何らかのサインがある。犯罪を犯してしまった子どもたちにかかわってきた経験からの確信です。そのサインに、事前に気付くことができる人がその子の近くにいるかどうかの問題です。「どこにでもいる普通の子が突然犯罪者に」とは、私を含めた周囲の大人たちのいいわけだと、私は思います。

投稿者 らしくないセンセ : 2005年11月14日 16:37

>びろみマンさん
「自分の子、他人の子、関係なく、関わるからには、同じ目で」ということ、今の時代、とても難しいですね。でもすごく大切なことだと思いました。今回の子にも、多くの大人が「声かけ」ができる環境にあったら、なにかが変わったのかもしれません。

>としつぐ(仮名)さん
「支えてくれる人の少なさが、このような事件を起こす結果になってしまうのかもしれませんね」というコメント、私たちは肝に銘じなければならないですね。そして「らしくないセンセさん」もおっしゃっていますが、子どもたちのサインをしっかりと受けとめることが私たちの責任だと思いました。

>ダメ教員一号さん
親をなくしたとき、彼を支えるものが突然なくなってしまったということかもしれません。本来は、もっともっと支える大人や仲間がいなければならなかったのでしょうね。

>らしくないセンセさん
子どもたちが発信しているサインをしっかりと受けとめなければならないということ、よくわかりました。そのために、まず大人が横のつながりをもって、みんなで(地域で学校で)、子どもたちを育てていかなければならないのですね。

投稿者 しおちゃんマン : 2005年11月14日 16:48

この事件でいちばんショックだったのは、夕方の集合住宅内で、30分も助けを呼びながら女の子が逃げ惑っているのを認識しながら、誰も助けに行かなかったことです。
日頃から争いが絶えなくて、というのではないのに・・・

投稿者 norico : 2005年11月15日 08:53

>noricoさん
まわりの人のことの視点まで気がつきませんでした。ナルホドと思いました。その地域だけでなく、地域のつながりが希薄になってきていますね。私も含めて、自分がかかわってしまうことを極力さけて生きているように思いました。

投稿者 しおちゃんマン : 2005年11月15日 22:57

はじめまして。
トラックバックさせていただきました。
ぜひ、一緒に考えていきましょう。

投稿者 コスモロジーちゃん : 2005年11月16日 17:30

>コスモロジーちゃん
TBありがとうございました。こういった事件は、風化させることなく、この国の教育・子育てに対してのなんらかのメッセージとして考えていきたいですね。

投稿者 しおちゃんマン : 2005年11月16日 18:56

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