« 2005年01月08日 | メイン | 2005年01月10日 »

2005年01月09日

北海道生活指導研究大会(5)

hoku-9.jpg
【分科会】:小学校中学年分科会

 中学年の実践レポートを分析する分科会に参加しました。レポートは2本提案されていて、今日と明日の2日間かけて分析します。ただ、私は翌日の朝に帰らなければならないので、最初の1本の分析にだけ参加しました。

レポートの具体的な中身については書けませんが、最近のテーマとして「中学年の女子の指導課題」というテーマが出てきていると考えています。

高学年の女子の問題?(これらを「問題」としてだけ見ているわけではありませんが…)、たとえば、私的なグループの問題や、学校に持ち込んでくる文化の問題等々、それらの指導テーマが中学年におりてきています。そしてそれは友だち関係においてわかりやすく表れ、しかも靴をかくしたり、物をとったりといった、ゆがんだ形で表出してくることが多いです。

それらの指導テーマが低年齢化している原因としては、体の成長が早くなっていることや、習い事、塾など、それらの競争が低年齢化してきていることとも無関係ではありません。

また、家庭の問題に敏感に反応したり、その問題を背負い始めたり、背負いきれなくて「体で表出」(腹痛等)したりすることも、この頃から特に女子に表れることが多いです。

私たちはこれらの状況に対して

1)不安と孤立の中にいる保護者との連携を密にすること。
2)教室に居場所や活躍できる空間を意図的につくること。そしてそれらを公的な取り組みとして広げていくこと。

の、二つの構想を持つことが大切であることを1本目のレポートで学びました。そのためには、子ども一人ひとりとしっかりと向き合い、対話を広げたり、それを保障する学校づくりが大切であることは言うまでもありません。

コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン

北海道生活指導研究大会(4)

hoku-8.jpg
【分科会】:問題を抱えている子と保護者との対話をどう進めるか

 ずいぶんと大きなテーマを掲げた分科会だなあ…と思いました。

また「問題を抱えている」という表現にも少しひっかかりました。ここで言う「問題」というのが、えてして「教師にとって都合が悪い」という意味での「問題」になってしまっていないかということです。

子ども自身が、自立に向かうときの壁として「問題」がたちはだかっている、という意味での「問題」としてとらえなければなりません。そう考えると、子どもたちにとって「学校」もまた、自己の自立を妨げる「問題」になっている場合もあるのではないでしょうか。

さて、分科会でまず話題になったのは、保護者に専門機関への相談を進めることの難しさです。ADHDやことばの遅れを持つ子が増えています。そういった時(学校・教師だけでは抱えきれない問題に直面したときに)、保護者にどのように話をするのかという問題です。

私は、次のようなことを考えてみました。

1)まず教師が、専門機関に出向き、事例を相談する。
・教師がその子を正確にとらえる。
2)保護者に、その子を指導するときの、教師としての悩みを打ち明ける。
・場合によっては教室に来てもらう。自分の子ばかりでなく、他者との関わり方を見てもらう。
3)「相談をうけるかどうかの相談」を担任が一緒に出向く。
4)あとは、保護者の判断に任せる。結果的に相談しないことになってもマイナスとしてとらえない。引き続き、一緒に悩むことができる教師でいることが大切。

次に、教師の指導について保護者から批判が出てきたときの対応についてです。

一人の保護者からの担任批判が、どんどん大きな問題になってしまったり、話がこじれてしまったりする事例です。話し合いでは、不安と孤立の中で生きている保護者の思いをわかることが大切であることが出されました。

確かにそうなのですが、あえて挑発的な意見を出しておきました。

つまり苦しんでいるのは、教師もまた同様だということです。保護者から人権侵害に近い形で批判を受ける教師もいます。そのことによって精神的な疾患がでてしまっている仲間も少なくありません。確かに私たちは公務員ですが、それでもそういった批判を丸ごとうけいれなければならないのだろうか?ということです。(あえて挑発的な意見であることを考慮してここの部分は読んでください)

教師もまた不安と孤立の中で生きていることの自覚が必要ではないでしょうか。

さて、担任に対する批判が出てきてしまったときは、

1)絶対に個別に対応しない。
・第三者に入ってもらう。今は、すぐに訴えられてしまう時代です。
2)まず、直接意見を言いに来てくれたことに感謝すること。
3)具体的な要求を確認すること。
・感情的な話し合いに終始しないこと。
4)一方で、学校としての支援を自分からも要求すること。
・自分を責めない。学校の責任として支援・協力してもらうこと。
5)担任でいることにしがみつかなくてもいい。担任をおりることをマイナスとしてとらえず、前向きな選択肢として持っていてもいいのではないか。(これは問題提起として)

コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン

北海道生活指導研究大会(3)<講座>

1日目の講座。先にも書いたように、私のMacとプロジェクタの相性が悪くて、プレゼンテーションソフトが使えませんでした。しかたがないので、ビデオカメラでPC画面を直接映してスクリーンに反映させるという荒技を使いましたが、どうしても鮮明に映すことができませんでした。

さて、内容ですが、まず私たちのまわりには二つの「厳しさ」があることを話しました。

一つは「忙しさ」。

しかしこの「忙しさ」が本当に子どもたちのための「忙しさ」なのかをもう一度洗い直して見る必要があるのではないでしょうか。

二つ目は、「指導の難しさ」です。いろいろな子どもが出てきている中で、今までの発想だけで指導を成立させるのはほとんど無理です。また、保護者のみなさんとの関係も年々むずかしくなってきています。このことについても、今までの学校的な価値観で子どもや保護者のみなさんと対話をしていくのは無理があるのです。発想を変えて、子どもや保護者の悩みや思いに共感し、一緒になって悩める教師になりたいものです。

これらのことについては、具体的な実践例をあげながら話をさせていただきました。キーワードを箇条書きで書いておきます。ただ、これらについては、実際に話を聞かないとわからないと思いますが……。

★「一人はみんなのために、みんなは一人のために」をテーマにして

※今の時代「一人は自分のために、みんなは一人の責任に」になってしまっているので、上記のテーマは古くて新しいテーマだと言えるのではないでしょうか。

[そのため実践的な教訓]
1.事実から指導方針をたてる。(子どもが発信してくる「事実」を見逃さない)
2.子どもの世界の中で指導的なヘゲモニーを握ること
3.保護者に、勇気を出してヘルプし、一緒になって学級づくりを進めること
4.「つながる」とは「自分発見」への旅立ち
5.子ども自身が、要求で組織する仕方を教えること
6.子どものとらえなおしは、教師自身の「自己の再発見」

会場では、しおちゃんマン人形や、しおちゃんマンワールドシールの作り方も交流しました。シールは人気があって、ジャンケン大会で6名の方にさしあげました。

コメント (3) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン

北海道生活指導研究大会(2)

hoku-3.jpg
えっ!こんな広いところで話すの?
参加者は、100名を超えていました。

会場の後ろには、参加者の実践展示コーナーがありました。新しい試みだそうです。

hoku-4.jpg

hoku-5.jpg

hoku-6.jpg

hoku-7.jpg

コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン