« 北海道生活指導研究大会(2) | メイン | 北海道生活指導研究大会(4) »
北海道生活指導研究大会(3)<講座>
1日目の講座。先にも書いたように、私のMacとプロジェクタの相性が悪くて、プレゼンテーションソフトが使えませんでした。しかたがないので、ビデオカメラでPC画面を直接映してスクリーンに反映させるという荒技を使いましたが、どうしても鮮明に映すことができませんでした。
さて、内容ですが、まず私たちのまわりには二つの「厳しさ」があることを話しました。
一つは「忙しさ」。
しかしこの「忙しさ」が本当に子どもたちのための「忙しさ」なのかをもう一度洗い直して見る必要があるのではないでしょうか。
二つ目は、「指導の難しさ」です。いろいろな子どもが出てきている中で、今までの発想だけで指導を成立させるのはほとんど無理です。また、保護者のみなさんとの関係も年々むずかしくなってきています。このことについても、今までの学校的な価値観で子どもや保護者のみなさんと対話をしていくのは無理があるのです。発想を変えて、子どもや保護者の悩みや思いに共感し、一緒になって悩める教師になりたいものです。
これらのことについては、具体的な実践例をあげながら話をさせていただきました。キーワードを箇条書きで書いておきます。ただ、これらについては、実際に話を聞かないとわからないと思いますが……。
★「一人はみんなのために、みんなは一人のために」をテーマにして
※今の時代「一人は自分のために、みんなは一人の責任に」になってしまっているので、上記のテーマは古くて新しいテーマだと言えるのではないでしょうか。
[そのため実践的な教訓]
1.事実から指導方針をたてる。(子どもが発信してくる「事実」を見逃さない)
2.子どもの世界の中で指導的なヘゲモニーを握ること
3.保護者に、勇気を出してヘルプし、一緒になって学級づくりを進めること
4.「つながる」とは「自分発見」への旅立ち
5.子ども自身が、要求で組織する仕方を教えること
6.子どものとらえなおしは、教師自身の「自己の再発見」
会場では、しおちゃんマン人形や、しおちゃんマンワールドシールの作り方も交流しました。シールは人気があって、ジャンケン大会で6名の方にさしあげました。
wrote by しおちゃんマン
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://shiozaki.info/mt/mt06-tb.cgi/544
コメント
ちょっと前に誰かが歌っていたような気がするセリフ。
元々は、演劇のスタニスラフスキーの言葉だとされていると記憶します。
>「一人はみんなのために、みんなは一人のために」をテーマにして
牧歌的にそれが歌われていた時代があったと思います。
それが、能力主義競争や管理主義の一般化のなかで、例えば、以下のような見方が広がる中で、あまりいわれなくなった。
かつて牧歌的に歌われた時代も疑義がもたれていたかも知れません。一つは、それが「連帯責任」のような意味で使用されることがあったからです。逆に、時代としては個人主義的な風潮があったからです。
当事の問いに欠けていたもの、それは、何について「一人はみんなのために、みんなはひとりのために」なのかという問いだと思います。それは本当に価値あるものなのかについては当然のこととされていたように思われます。
そんな歴史を越えて、さらにいまこれを恢復していくその基本をどこに見ておられるのか、いつか伺いたいものです。
>※今の時代「一人は自分のために、みんなは一人の責任に」になってしまっているので、上記のテーマは古くて新しいテーマだと言えるのではないでしょうか。
投稿者 KOYASU : 2005年01月09日 20:28
自己責任・自己負担に対置させるものとしてあえて出してみました。
上記に対置させるということになると、やはり公共性の問題がでてくるのですが、Pmlで、後日提起してみます。
投稿者 しおちゃんマン : 2005年01月11日 08:08
わかりました。
私のブログの本日の「犠牲の円環」というのは、このことを意識して書きました。また、そのつもりで、前夜の2号の記事を紹介しました。参照頂ければ幸いです。
投稿者 KOYASU : 2005年01月11日 17:54
サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)