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2008年04月30日

子どもとの呼吸・目線

月刊「生活指導」誌の原稿の中で、以下のような、ちょっと今まで気がつかなかったことについて触れてみました。それは、子どもとの「呼吸」の問題です。

私は個人的にこれを『目線の先取り』とも言っています。実は、誰にも言ってはいないのです。どっかの講座に呼ばれた時にちょっと口走ったかもしれません。

たとえば、子どもたちが指示をしてほしい時、または評価してほしい時に、スッと、一瞬ではあるがこちらに目線をおくる瞬間があるのです。その目線を感じたとき、私は「子どもたちと呼吸が合った」という表現をします。教師はその「呼吸」を見逃してはいけないのではないかと思うわけです。

やがて、その目線が送られてくるより一瞬早く指示と評価がおくれるようになります。つまり「目線の先取り」です。そうなった時に指示と評価が子どもたちに、リズム良く、そしてスッキリと伝わっていくのです。

実は、自分では気がついていないだけで、多くの教師はこれができるのです。そして失礼なのですが、社会人講師(外部から専門的な知識を持っているという理由で学校に教えにきてくれる人)の方たちは、これができない人が多いのです。

ただ、最近の若い人たちにはこれができない人が多くなってきました。自分の呼吸で、しかも上からの呼吸・目線で子どもたちに接している人が多いことが気になっています。

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wrote by しおちゃんマン

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コメント

こんにちは。
漫才師や落語家が、お客さんの笑いや感動をとるときに、間 を感じて話をするとお客さんと一体感を感じるとか言いますよね。そういう感じですかね。自分よがりだと、面白くないですよね。自分の知識を押し付けるので無いのがいいですよね。間と呼吸同じかな?

投稿者 とんきち [TypeKey Profile Page] : 2008年04月30日 10:33

たびたび。
呼吸とか目線ということで。
私の住む市の近所の町の中学の校長先生の指示で、この3月に卒業生した生徒の秘密書類を教員が、学校から離れた人気の無い畑で火をたいて燃やしたと言うお粗末な問題が新聞に載りました。
昨今は、野焼きは ご法度です。
廃棄は難しいかもしれませんが、子どもに指導すべき教員が野焼きをしたという事で話題になりました。自分さえ良ければ良いは、今の時代の目線、呼吸から外れると思いました。

投稿者 とんきち [TypeKey Profile Page] : 2008年04月30日 10:49

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