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2007年06月23日

子どもの側に立つ覚悟

金曜日は、組合と生活指導サークルが共同で取り組んでいる講座学習会でした。

この日は、神奈川の中学校の実践家、柏木修先生を招いて、荒れる中学校の中で、いかに実践してきたのかの話を聞きました。

柏木さんは語ります。

「今、子どもの立場に立とうとすればするほど、"浮く教師"にならざるをえない状況が広がっていくに違いない。しかし、揺らぐことなく子どもの立場に立てば、子どもや親たちが支えてくれる。それを私の一年間が証明してくれている。現場で苦しんで、辞めようと思っている教師ほど、実は求められているのだということを肝に銘じてしなやかに生き延びてほしい」

ではいったい、子どもの側に立つということはいったいどういったことなのだろうか。どうすれば、子どもの側に立つ教師として生きていくことができるのだろうか。

そんなテーマを持って、学習会にのぞみました。そして話を聞いていて、ようやくわかりかけてきたもの。

それは、子どもの側に立つということは、子どもの悩みや思いを、教師が共に頭を抱えることができるのかということ。そのために、ギリギリまで、自分を追いつめる覚悟が持てるのかということ。

荒れる子を切り捨てることは、もしかしたら簡単なことかもしれません。しかしその時に、どうしてこの子はこういった行動をとるのだろうか、そしてその行動を通して何を私たちに訴えているのだろうか。そんなことが考えられる教師に自分もなってみたいし、若い人たちにもそういった教師になってほしいと思いました。

私たちは目の前の結論に急ぎすぎているのではないだろうか。子どもたちのこれから長い将来を見据えたとき、その場の結論を出すことよりも、一緒に悩むことの方が先なのではないだろうか。

しかし、そういったことが今後ますますできなくなる時代になっていくのかもしれません。子どもの問題を教師の力量の問題として評価され、その評価におびえながら、いつのまにか子どもを切り捨てているのではないか。そんなことも思いました。

少なくとも、そういったことを乗り越えるためには、これからの時代、「子どもの側に立つ覚悟」が必要なのかもしれません。

まだまだ学んだことがたくさんあったので、これから自分の中で整理してみたいと思っています。

wrote by しおちゃんマン

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