教師、生き方を語れず
最近、自分の生き方…、みたいなことを語る教師が少なくなったことを聞きました。
原因はまず、社会の価値観が多様化し、一人の教師が自分の生き方を語ることに対して自信がなくなってしまったことがあげられます。下手なことを言ったりすると保護者から「それはおかしい」「そんなことは子どもに言わないでほしい」と言われることに対して過剰に警戒してしまう傾向があるということだと思います。
二つ目は、そのことと関連して、上からのしめつけがあります。「何も言うな」とは言わないまでも、下手なことを言って保護者から批判を受けることのないように、といったことはたくさんあるようです。
そんなこんなで、教師と子どもたちとの、人としての「出会い」がなくなってしまった気がしてしかたがありません。
「先生の言っていることはおかしい」と思ったとしても、それなりに熱く語る教師に対して信頼が持てた関係が以前はあったような気がします。
教師は教師である前に一人の人間です。その「人間」を子どもたちにぶつけないで、どうして教師として子どもの前に立てるのかと、私などは考えてしまうのです。
完璧でなくてもいい。子どもたちに教師自身が「自分」をぶつけることで、私たちは初めて教師になっていくのではないでしょうか。少なくとも、私が影響を受けた教師は、みんな、そんな生き方をしていたような気がします。
wrote by しおちゃんマン
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コメント
いつも拝見しております。
他の家庭は分かりませんが我が家について
お話させていただきますと。
私は常に個人(父親としてではなく)の夢を
子供たちに聞かせます。そして、現在の
子供たちの夢も一緒に聞きます。
長年の夢であった「少林寺拳法の指導者」が
現実の物となった経過や「少林寺拳法」に
対する私の思い、そして門下生たちに
目指して欲しい姿。
そして、「少林寺拳法の指導者」が私の生き方である。と
教師が夢を語らずに子供たちに何を伝えればいいのでしょうか?
「読み、書き、そろばん」?
多くの先生方がこのブログをご覧になっていると思います。
「教師」と言う「生き方」を選んだのであれば
ご自分の生き方にもっと自信を持ってください。
しかし、生き方を語るって「信念」がないと
語れないですよね・・・
そうですね。教師だけでなく、親もまた自分の生き方について語っていく必要があるのですね。
私などはいまだに信念がふらついていてなさけない限りですが、それでも子どもたちに語るエネルギーは持ち続けていたいと思っています。
投稿者 しおちゃんマン : 2007年01月28日 10:15
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