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2005年11月05日

母親毒殺未遂事件から

静岡の女子高校生が起こしてしまった事件。この事件についてのコメントを求めるメールが何通か来ているのですが、正直…、この事件そのものについては、しおちゃんマンにはよくわからないのです。

ただ、最近は「キレる」対象が親に向いていることに危惧を感じています。少し前に中学生が親を殴り殺してしまった事件もありましたし……。

子どもは本来、親を「心の杖」「心の相談相手」として内面にとりこむもの…、つまり自分のありのままを共感的に受けとめてくれる他者として、また自己を実現していくことを支え、はげましてくれる他者として親を内面に取り込もうとするのだと思うのです。

ところが最近は反対に、親は自分を支配するもの、その支配にしたがわないと、かならずなんらかの罰を加えるもの、さらには、自分を心理的に捨て去るものとして親を内面に取り込んでいる疑いがあるのです。

そのために子どもたちは、自己を表現すると、親の期待に反するのではないかという罪悪感や不安を抱え込むことになり、自分の自発性をよこしまなものとして疑い、自分をも信頼できないでいるのではないでしょうか。

そしてそのまま思春期に突入し、親をのりこえながら自立を試みようとした時に、子どもの中にパニックが発生するのではないかと……。

もちろん親はそんなつもりはないのですが、幼児期からの過干渉や、理屈っぽく干渉してしまう子育てが子どもの自立への試みを結果的にねじふせてしまっていることがあるのではないかと心配しています。

幼児期や少年期初期の子どもの権利である、甘えや依存に対して、理屈でわからせるのではなく、失敗も含めてそれらを大きく受けとめて、子どもの自立の試みをはげましていく必要があるように思うのです。

タリウムを使ったことや、blogに記録していたこと等々、異常な行動して報道されていますが、私たちはもう一度、今の「学力向上」や「技の取得(スポーツ含む)」を軸とした子育て、そしてそこから発生する親子関係について、見直す時期に来ているのかもしれません。

この事件もまた、私たち親や教師に対する多くの子どもたちからのメッセージとして受けとめなければならないのだと思っています。

<参考にした本>
学級集団づくり入門小学校 全生研常任委員会編

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grassとglass

本校では全学年(1~6年生)、週に1時間英語の時間があります。と言っても教科として取り組んでいるのではなく、総合的な学習の時間の中で「国際理解教育」の一環として取り組んでいます。実際にALTが来てくれています。

昨日は「grass」と「glass」の違いを学習しました。

まず、ALTが二つの言葉を言って、その違いに気づかせます。最初は違いがわからなかった子どもたち(小3)でしたが、しだいに聞き取れるようになってきました。

次に、子どもたちが実際に「RとL」の違いに気をつけながら発音してみます。舌の使い方を教えてもらいながら発音していました。しかしこれはさすがに難しかったようです。

これからの時代は、海外に出る機会も多いだろうし、外国の人と接する機会も増えるのでしょう。ゆえに小さい頃から英語に親しむことが求められているのでしょう。

さて、学校では英語しか使わない学校が話題になっていますが、しおちゃんマン的には、その学校の子どもたちの中にどんな「文化や価値観」が生み出されているのかに興味があります。

つまり、言葉というのは「やりとりをする」ということにとどまらず、そこに「遊び」であったり「流行・約束事」であったり「ユーモア」であったり……、そういった「文化」や「価値観」を子どもたちの中に生み出すものだと考えているからです。

簡単に言えば、日本語でやりとりする友達関係と、英語でやりとりする友達関係の「関係の質」は当然違ってくるのだと思います。集団であれば、「力関係の質」も違ってくるでしょう。

これからの「英語教育」はどこに向かっていくのか…、注目していきたいと思います。

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