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言葉遣いとコミュニケーション
ここでは、敬語の使い方等、国語的な「言葉遣い」の指導ではなくて、おもにコミュニケーションと言葉遣いについて考え始めてみようと思い立って書くものです。
「考え始めてみよう」という書き方をしたのは、まだ私の中でこの件で解決できないことがたくさんあるからです。
たとえば、子どもの教師に対する言葉遣いについて語るときに「教師と子どもの距離」を問題にする時があります
つまり、子どもと教師の距離が近すぎて、いわゆる「ため口」になってしまい、目上の人に対する言葉遣いができなくなっているという考え方です。
この考え方だと、正しい言葉遣いを教えるためには、子どもと教師の距離をある程度遠ざけたほうがいい、ということになりますが……、正直言ってそれで解決できるのかどうかは…、よくわかりません。
確かに、距離が近すぎて(大人や教師の権威がなくなって)、言葉遣いが悪くなっている「傾向」はあるのだと思います。しかし、距離が近くても遠くても、その場に応じた話し方ができる子もいるのです。
逆に、「ここではもっとフランクに話してほしい」のに、いやに丁寧な言葉を使って、心をひらいてくれなくて、こちらが苦労することもあります。
このように考えていくと、言葉遣いの指導というのは、言葉の指導や作法・マナーの指導だけで完結するものではないのかもしれません。
今後も、考えていきたい問題です。
wrote by しおちゃんマン
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コメント
子どもは、やはり家庭の躾による影響が一番大きいと考えています。生まれた時から「クラス替え」もなくずっと一緒に過ごすからです。
なので、先生が何も言わなくてもできる子、というのは何らかの家庭の躾(親が意識している場合も、無意識にやっている場合もあり)があるのだと実感しております。
そういう子どもの生活の一部である学校の、先生は、子どもに対して、ため口であったりフランクであっては困ると思います。かといって権威的でも困ります。
人間は自分が心の底から尊敬できる人間に対してはおのずとていねいな口調になります。だから、なるべく多くの子どもたちにすごいなあと思わせるような先生でいられるように、日々努力していただきたいと思います。
これは親である私にも言える事だと思っています。
投稿者 Y : 2005年10月23日 17:15
状況に応じて言葉をかえられるならいいのですが、それができない子は困りますよね。
少なくとも挨拶はきちんとするのは最低必要なはずです。先生との信頼関係ができれば、敬語を使わないと思いますが、授業中の発言ならきちんとしゃべれるなら問題ないと思います。
「先生、わかんないよ~~。ちょっときてよ!」のような聞き方はよくないと思うので、注意はしています。
また靴をそろえない子が多く、そろえていらっしゃい、というと、反対の向きにそろえる子もいて驚きます。他の子のもついでにそろえてあげたら?っていうと最初はいやがっていたんですが、だんだんできるように なってきて、いわれなくてもそろえることができるようになってきましたから、ちょっとした声かけですよね。
そんなことはたいしたことがなにのですが、公共の施設をきちんと使えないのはこまります。
本当に一部の子の問題だと思いますが・・。
投稿者 Pまま : 2005年10月23日 20:58
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