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2007年11月29日

なめられないようにして噛まれてる

「子どもに、なめられないように」などという指導を、今でも平気で堂々とやっている管理職や指導主事の方たちがいらっしゃいますが、こういう人たちって、なめられないようにして噛まれてきた人たちなんだろうな、と思うわけです。

「なめる」というのは、バカにするという意味ですが、最近の子どもたちのああいった態度は本当に教師をバカにしているのかをもう一度考え直したほうがいいと思っています。私はそうではない(バカにしているのではない)と思っています。

※その場に応じたマナーは教えなければならないことは当然ですが、ここではこのことはひとまず考えないことにします。

子どもたちの思いや、その背景にあるものに心をくだかず、教師が、ただただ強がることばかりを考え、上から目線で子どもたちを見下ろす態度は、なめられるどころか、噛まれるだけではないかと思っています。

---ハーフマラソン完走に向けて------
11/28 8~10km/h 5km/89km 34分

この日は苦しかった。時速9.5kmで走り始めたものの、8kmに落ちたり、10kmまで上げたり……。最後はフラフラだったが、それでも35分以内で走れたことが成果だと思う。

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wrote by しおちゃんマン

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コメント


これは、私の考えです。

 自尊心を傷つけられると、落ち込むか、反撃に出るかじゃないですか。
 先生をに対して、それを攻撃的に出す子は、学校がそれを出しやすい場所なのではないでしょうか?家では、うさがはらせない
環境なのだとか? 先生方のほうが、親よりわかってくれと言うサインなのでは?


 

投稿者 とんきち [TypeKey Profile Page] : 2007年11月29日 06:56

一見生意気に見えて、攻撃的に見える子どもたちの心の背景をみることって、かなり厳しいことは事実です。時には私自身の人格を丸ごと否定されているようにも感じることさえあります。しかしそれでも見ていくことこそ、私たちの仕事なのだと自分に言い聞かせて毎日をすごしています。ともすれば、負けてしまいそうになりながらも。

投稿者 しおちゃんマン [TypeKey Profile Page] : 2007年11月29日 18:19

「 時には私自身の人格を丸ごと否定されているようにも感じることさえあります」拝借。

私も自分の子どもにそう思わされる事あります。子どもを置いて家を出たいと思ったことが、何度もあります。でも私の生んだ子です。泣いたり、怒ったり、笑ったりして寄り添って行こうと思います。
 先生たちは、職業とはいえ何人も子どもを看ているのには、頭が下がる思いです。

毎日お邪魔してすみません。
 
 

投稿者 とんきち [TypeKey Profile Page] : 2007年11月29日 20:13

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