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2007年10月08日

教師は「量」より「質」なのか?

教育再生会議メンバーの渡邉美樹氏(ワタミ株式会社代表取締役社長・CEO、学校法人郁文館夢学園理事長)が昨日の報道番組で、「教師の数を増やすことには反対」「今は教師の量よりも質を高めなければならない」と発言しました。

この発言は、札幌市の小学校教頭の事件に関するコメントであったのでそのような言い方をしたとも言えなくもないのですが、あいかわらず、論のすりかえというか、ごまかしの論理を展開していると感じました。(彼の主張は公教育再生ではなく、実は教育の民営化であることが私にもわかってきました)

まずは、教育再生に関わって、教育の問題を教師の質の問題としてのみでとらえていることが問題。

百歩譲って教師に「質」があるとしたら、その「質」は、現場環境によって変わることに触れていないことが二つ目の問題。

たとえば、40人の子どもを一人の教師で教える環境の教育の「質」と、20人にわけて二人で教える教育の「質」は、後者の方が高いことは誰でもわかることです。(あえて「質」という表現を使ってみました)

つまり、教師や教育内容に「質」があるとしたら、それは教師個人の資質の問題だけでなく、その現場環境に大きく影響されるということです。

ゆえに、「教師は量よりも質であって、量は増やさずに、質を高めるために個々に競争させるべきである」という彼の以前からの主張は一面的であると言わざるを得ません。

あえて量と質の問題で私の意見を述べるのであれば、教師の数を増やしながら、個々の力量を高めていくことが大切なのです。そして教師個々の力量を高めるためにその環境の整備(研修のあり方の見直しや、指導に専念できるような教師の仕事内容の見直し等々)を私たち現場の声に耳を傾けながら推し進めていく必要があるということです。

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wrote by しおちゃんマン

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コメント

教育を製造業の理論で語ると教員の量を増やさず質を上げるという結論になるのでしょうね。
それはあたかも「生産性の高い機械に変えたほうが、人件費も削減できて収益性が高まる」という言葉のように聞こえます。
そこには「教員を育てる」という意識は欠落しています。どこかで完成された「質の高い教員を安い賃金で雇え」というようにも聞こえます。
これは企業の論理というよりも「自由経済」のやり方です。
教育は、今まで個々の学校で「教員を育てながら質を上げていく」という方法をとっていました。育てるだけの時間と余裕が現場の職員にあったからです。
これはまた、その現場に合った技能を育てることにつながり、短期に教員の質を高めることができました。
民営化というと美辞麗句のように思っているかもしれませんが、教師はある意味「職人的な部分」があります。それを無視しているような発言に聞こえて仕方ありません。
製造業ではうまく行くでしょうけれど、教育にはその論理は通用しないと思うのですけれど。

投稿者 七星 来人 [TypeKey Profile Page] : 2007年10月10日 00:15

●七星 来人さん
日本の教師は捨てたものではないと今でも思っています。世界的に誇れるとも思っています。一方で、ここ数年の教師に対する文科省の方針を見ていて、これでは若い教師は育たないと、とても危機感を持っています。

投稿者 しおちゃんマン [TypeKey Profile Page] : 2007年11月19日 19:13

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