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「学級」を教師評価の道具にしてはいけない
最近の傾向として、子どもの問題をそのまま教師評価に結びつける傾向がある。
しかもそれが「学級」を単位として進められ、担任教師への精神的な苦痛へと結びついている。
たとえば、忘れ物の数を学級ごとに数値化し、それを全体に公開しながら、教師の実践的な力量として評価することもその一つ。
確かに、忘れ物に対する指導が教師の力量によって左右されることも否定できない。しかし、忘れ物に限らず、年々子どもの問題が重くなってきている中、担任教師の力量だけではどうしようもない問題が増えてきていることもまた事実である。
だとしたら、それらを教師一人の力量の問題にせず、学校…、または地域の課題としてとらえ、みんなで取り組んでいく視点が必要ではないだろうか。
「学級」は、学校における子どもたちの基礎的な生活の場。
教師評価の道具にしてはいけない。
wrote by しおちゃんマン
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コメント
本当にその通りです。以前はそんな感覚は全くなかったのですが,このごろ子供がうるさいとか,行儀がわるいとかいったことも,私の評価の材料になっているようで,居心地が悪いのです。前は,子供のいいことも悪いこともオープンに話してきたのだけれど,今それがしにくいのは,やはり私自身の評価になると感じるからでしょうか。
投稿者 rusie : 2007年02月19日 23:13
> rusieさん
自分自身の評価になると感じてしまうのが最近の強い傾向だと思いますし、実際にそのようにする指示が「上」からも出ていることも確かなようです。担任一人に責任を負わせて、学校全体として共同で指導するイメージがなくなっていくことは、子どもたちにとっても悲劇だと思っています。
投稿者 しおちゃんマン : 2007年02月21日 00:01
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