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さわらぬ神にたたりなし
最近の子は(もしかしたら大人も)、「強い力には従うが、弱くて正しい力には従わない」といった傾向があるような気がします。ゆえに、「それはおかしい」「あんなことをしてはいけない」と思っていても、それを口に出せなかったり、時には同調したポーズをとってしまったりします。そして最終的には、無関心ということに落ち着くようです。
先日、地元の喫茶店で仕事をしていたら、父親と息子(話の内容からおそらく6年生)が二人で私の後ろの席にすわりました。そこで、いじめについていろいろ話をしていたのですが、
子「いじめはたくさんあるよ」
父「その時はどうしてるんだ?」
子「何もしない。何もしないのが一番。あたらぬ神に罰はなしって言うだろ」
父「………」
それを言うなら、『さわらぬ神にたたりなし(または、参らぬ仏に罰は当たらぬ) 』だろ!と、心の中で強くつっこみを入れながら、どうしてこの父親は何も言わないのかが疑問でした。
ところで、「さわらぬ神にたたりなし」というのは、本当に「無関心が一番」という意味で使われていたのでしょうか?そこで調べてみると……、
「さわらぬ神にたたりなし」というのは、神様を信仰しないと、利益がない代わりにたたりもない…、という意味で、つまり、無関心をではいけない、つまらない、というまったく逆な意味で使われていたような気がするのです
今の時代ほど、子ども、おとな一人ひとりの小さな勇気が求められている時代はないのかもしれません。
wrote by しおちゃんマン
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コメント
いじめがわかっても、親は、何かしてあげられるのでしょうか?本当に、先生が、話を聞いちゃった親子のこと、なんとなく気持ちがわかるというか。いじめられている子を、かばってあげる、いじめている子に間違ってるといえる、そんな人間になってほしい、って、そう思いたいけど、そう思ってるけど、今の時代、そんなこと言えない気がします。そんな強い人間になって欲しいけど、かばったことで、間違いだって言ったことで、今度は、いじめられっこになるかもしれないですよね。ホントは、いじめがあっても何もしないなんて…って思うけど、何かしなさいって、今の時代、言えないような気がします。悲しいけど。
投稿者 みや : 2007年02月02日 19:25
>みやさん
それでも、とめるように…、それができなかったら教師に伝えるように話をしてあげてほしいです。いじめられている子のためだけじゃなくて、自分のためにも。しかし一方で、とめるかどうかを最終的に判断するのは本人にまかせてあげてほしいです。そしてそれができなくても、責めないでほしいです。
投稿者 しおちゃんマン : 2007年02月04日 21:45
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