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2006年09月01日

社会と和解できない子どもたち

この数ヶ月で、どのくらいの親子が「殺人・放火」という形で亡くなったのでしょうか。どの事件がどこで起こったのかが整理できないほど親子の事件が多発しています。

子どもたちの「荒れ・暴力」に関わって竹内常一先生が「社会と和解できない子どもたち」という表現を使っていたような記憶があります。

思春期を迎える時期、誰しもが社会と対立的な思いがふき出します。しかしそれらは新たな自分づくりの苦しみであり、そんな苦しみの中でも他者との関わりの中で新たな自分を発見し、社会と折り合いをつけていくものだと思います。ところがそれがうまくできない……。

いや、思春期をむかえる以前に、すでに暴力的な傾向をしめす子どもたちも増えてきています。

まず大切なことは、ああいった事件は遠いところでおきている…、自分とは関係のない特殊な事件だと考えてはいけないということです。

一瞬にして事件の当事者になってしまうのが最近の事件の特徴です。

私たち大人はアンテナを高くして子どもたちの信号をしっかりと受けとめなければならないと同時に、子どもたちの中に自分づくりの場を、地域で、学校で保障することを考えていかなければならないのだと思いました。

wrote by しおちゃんマン

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コメント

事件を起こしてしまった子どもたちは、決して社会との間に問題があったのではなく、親子の間が煮詰まってしまっていたような印象があります。

共通しているのが「勉強ができるいい子」。要するに、「被害者」となった親たちは、そうした「学校的」な「いい子」という物差ししか持てず、それを子どもに押し付け、支配していたということでしょうか。

それはまた、家庭がその奥深くまで学校に支配もあると思います。学校はあまりにも大きくなりすぎました。

投稿者 Tossy [TypeKey Profile Page] : 2006年09月02日 00:14

●Tossyさん
どの事件も、親子関係しか見えてきませんね。

かろうじて、30万円で母親を殺す依頼をしたという事件に親子以外の関係が見えてくるだけで。

今の子どもたちは、親子関係の他に、どんな世界をもっているのだろうかと考えさせられます。

投稿者 しおちゃんマン [TypeKey Profile Page] : 2006年09月02日 09:25

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