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2006年03月16日

学級を「子育て共同」の基地に

今年度もいよいよ来週で終了です。

今年度もまた私は、たくさんの間違いと失敗、そしてこの歳になってもあいかわらずの要領の悪さで、子どもたちや保護者の皆様にはご迷惑とご心配をおかけしてしまいました。にもかかわらず、広くあたたかい心で受けとめ、支援していただいた保護者の皆様には、本当に感謝しています。

私は、公教育というのは、教師と子ども、そして保護者のみなさんが手を結んで共同で取り組んでいくものだとずっと思っていました。行政のサービスと教育とは、そこが決定的に違うものだと今でも思っています。

教師一年目からずっと日刊で学級通信を書き続けているのも、共同で取り組むために情報を公開し、交換するためなのです。

教室で子どもがこんな様子ですよ…と書くことで、家庭でそのフォローをしていただき、逆に子どもや保護者のみなさんからの声を紹介しながら、自分自身の仕事を修正し、豊かにしていくこと、そういった共同にこそ日刊通信の意味があると思ってきたわけです。

しかしながら時代は、学校教育を「サービス」としてとらえ、その「サービス」の質によって評価し、場合によっては選択していくものに変えてしまいました。そこには「共同」ではなくて、「おまかせ主義」「責任転嫁主義」そして、教育というのはその性質上「完全なサービス」を提供できるものではないので、当然そこに「相互不信」もうまれてくるでしょう。

私も含めた今の教師の苦悩はまさにそこにあるのだと思うし、これからの若い教師たちは私たち以上に悩む時代に突入してしまったのかもしれません。

ただ私はこれからも、「共同の子育て・教育」のスタンスを変えるつもりはないし、変えてはいけないのだと考えています。なぜなら、教師だけではなく、多くの保護者のみなさんもまた、子育てに悩む時代になっていると考えているからです。

さきほど私は、学校をサービスとしてみる時代は、相互不信を生むのではないかという懸念を書きましたが、簡単に言えば、このままでは「学校・教師が悪い」「親が悪い」という結論で終わってしまうのではないかということです。

今の時代は、子どもたちにとってけっしていい環境とは言えませんので、子育て・教育はなかなかうまくいきません。したがって、学校や家庭の足りないところをわかりあい、一緒になって子どもたちを育てていくスタンスがない限り、残念ながら子どもたちは育たないのです。

一緒になって子育てをするということはそんなに難しいことではありません。まず悩みをわかちあえる関係・つながりをもつことです。もっと言えば、それだけでもりっぱな「共同」です。

しかしながら今は「子育て競争主義」「子育て自己責任時代」ですので、どうしてもまわりに悩みをうちあけられません。親は自分が責められるのではないかという恐怖を感じてしまうからです。時には、誰かの子育てを責めることでつながっているケースもあります。残念なことです。

しかしよく考えてみると、みんながみんな悩んでいるのですから、
「いっせいの、せっ!」
で悩みをうちあけてしまえば一気に共同できるのではないかと思うのです。そしてそれができる場所、保障されるひとつの場所が「学級」だと思っています。

幸い私の勤務する学校は六年間同じクラスです。むずかしい面もありますが、それをプラスに考えて、学級を「子育て共同」の基地にしていきたいものです。

コメント (6) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン