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2005年12月17日

教師の生きづらさ

最近特に、教師としての「生きづらさ」を感じています。

いつから文科省が「教育内容や方法」まで立ち入ることが認められたのだろうか。学校教育法が文部省(当時)に定めてもいいと認めていたのは「教科に関する事項」だけだったはず。

教育基本法第10条で教育行政が教育内容にまで立ち入ることはきびしく禁止していたのではなかったのか……。

それがいつからか、「教科」と「教育課程」は一緒だ…と、ごまかしながら、教育方法・内容まで踏み込んだ「学習指導要領」なるものを錦の御旗のごとく掲げながら私たちを縛っています。

学習指導要領にどれだけ忠実に仕事をしているのを報告し、それが評価されていく毎日。

自分の意思でやったことについて評価されるのはいいけれど、自分の意思とは違うところでやらなければならなかったことについては評価されたくないのです。ましてそんなことのために時間を使い、自分を見失いたくありません。

だから教師は甘い、民間ではあたりまえのこと、みんなそういったストレスを抱えながら生きているんだ、と言われるかもしれません。

しかし私が教師になったのは、そういったことから一番遠い位置にある職業だと思ったからなのです。つまり、個人としての「夢」や「誇り」が持てる仕事だと思ったからこそ教師になったのです。

そして私が教師になった当時は、まだまだそういった「夢」や「誇り」が持てた時代でした。

それがいつからか、夢も誇りも持てない仕事になってしまいました。

保護者による学校・教師評価についても同様です。

最近全国の学校であたりまえのように進められている「保護者による学校評価制度」ですが、私は教師の仕事は「数値による評価」や「無記名での意見表明」はなじまないとずっと訴えてきました。

足りないことや疑問があったら、その場ですぐに連絡をとりあい、「対話」によって解決していくのが私たちの仕事であり、子どもたちにとっても大切なことなのです。

それを、教師の仕事について定期的に数値で評価し、無記名で学校・教師について意見を述べるといった「保護者による学校評価」からは、相互不信が生まれるだけなのです。

「そんなこと思っていたんだったら、あの時に言ってくれればよかったのに」
と感じている教師が多いのではないでしょうか。

そういった時代だからしかたがない…、と多くの教師はつぶやきながら、いつしか自分の仕事に「夢」や「誇り」が持てなくなってきています。

私たちがそれを取り戻す時代はやってくるのでしょうか。

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仕事は終わっていないけれど…

どうも最近納得がいかいなことが続いているので、学期末の仕事はまだまだ終わっていないのだけれど、友人と飲みに行ってしまった。

三次会まで飲んで、最後は息子が働いている店に。

そこで終電まで飲んでしまって、今日は二日酔い状態。

最近特に、教師としての「生きづらさ」を感じている。

そう感じているのは、おそらく自分だけじゃないと思うけど。

その「生きづらさ」については、別の機会に書いてみたいと思っています。

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