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先生を選ぶこと
ヨミウリウィークリー(9.25)で「102人の親に聞いた『学力低下』の真犯人」という特集が組まれていたので、読んでみました。
「学校への不満」「学校教育に望むこと」など、首都圏と関西圏で学研の「科学」「学習」を定期購読している小学4~6年生の両親102人にアンケートをとってその結果が集計されています。
首都圏・関西圏であることと、「科学」「学習」を定期購読しているという限定された「層」なので、これらが一般的な「声」だとは思えませんが、中身はいろいろ考えさせられるものがありました。
特に注目したのが、「先生を選べるように」という章です。
この特集のコメンテーターの教育アナリスト戸田忠雄氏の主張は、
教師を聖職視していてはダメです。学校を改革していくためには、保護者による教員評価が必要です。
さらに、記事によると、
戸田さんの構想は、校長が、保護者の評価を50%以上入れて教員の勤務評定を行うことで、給与や昇進にリンクさせる。さらに、学級担任や教科担任は、子ども側が毎年度、選べるようにする-というものだ
ということでした。
ところが、戸田氏の主張とは違って、アンケートでは「教師に望むこと」の第一位は「教師は人格者であってほしい」が95.1%で圧倒的に高く、「保護者が教師を評価する」は、42.2%という低い数字にとどまっています。
つまり、教師個人に対しては「人格者であってほしい」と願いつつ、それを自ら評価し、場合によっては「先生を選ぶ」ことについては非現実的であり、それがそのまま「学校改革」につながるとは多くの人は考えていないということです。(小学校の教科担任制を望む声も、42.2%と低い数字でした)
小学生が自ら「先生を選ぶ」ことは、その判断基準の問題も含めて、うまくいくとは思えません。「子ども側が選ぶ」と言いながら、結局は「親」が選ぶことになるのではないでしょうか。そしてその親の判断と子どもの思いが一致するかどうかも、また大きな問題があると思います。
また、保護者による教師評価や、管理職による一元的・一方的な教師評価は、教師をサラリーマン化・営業化させ、ますます子どもたちから目が離れていくでしょう。
むしろ学校は、教師一人ひとりの個性が発揮できる方向で自由化し、「名物先生」をたくさん生み出すようにした方がいい、というのが私がずっと言い続けてきたことです。
そのことが学校を活性化させ、結果的に学校に集団的な教育力を高めることができるのだと考えています。
コメント (8) /トラックバック (2) /wrote by しおちゃんマン