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全生研全国大会「自主集会」
自主集会でしおちゃんマンは、「インターネットと私たちの研究運動」という集会を起ち上げました。
参加者は十数名で少なかったのですが、参加者が自分の実践や研究運動にインターネットをどのように利用しているのかの交流を中心に行いました。
最後には、実際にblogを作ってみる活動もしてみました。
◆書籍紹介◆
黒板メッセージのススメ
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全生研全国大会「特別講座」
全生研第47回全国大会が始まりました。2日まで、泊り込みで学習します。
1日目の最初は、「特別講座」です。以下の三つの特別講座が開かれました。
【今、教師でありつづけるために】
今、私たちが遭遇している事態は何か…。それをどう乗り越えていけばいいのでしょうか。
【中学校実践講座】
中学校実践をめぐる困難さを前提に、どのような考えと手立てで集団づくりを進めるのかを具体的に考えました。
【小学校実践講座】
子どもたちだけでなく、保護者も含めて「トラブル」が多発するような状況の中で、どのような考え方と手立てで集団づくりを進めるのかを実践的に語り合いました。
◆書籍紹介◆
気になる子ども気になる保護者 理解と援助のために
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女王の教室「いじめ」
まだ今日の「女王の教室」は見ていません。今日から研究会で宿泊なので、帰ってきてからビデオで見ることになると思います。ということで、ドラマとは直接関係のないところで「いじめ」について考えてみました。
最初に確認しておきますが、私はもちろん、いじめの行為は絶対に許さない立場です。
●「仲間はずし」や「いじめ」でつながる子どもたち
今の子どもたちは、仲間との信頼関係を築くことが苦手です。「自分は、一人ぼっちにされるのではないか」という不安と常にたたかいながら生活しているようにも見えます。
そしてそんな「不安」から逃れるために、ある個人を標的にすることで、他の仲間と「つながろう」とすることがあります。誰かが標的になっている限り自分に「攻撃」がくることはないし、攻撃することで「つながっている」ことの安心感(不安定な安心感)が得られるからです。
そしてそれは、具体的には「仲間はずし」や「いじめ」という形で表れることがあります。また、その「攻撃」の対象が日ごとにくるくる変わることもあります。
しかし最近では、こういった形での「いじめ」は、低学年から中学年にかけてが多いようです。高学年になると、自分を二重三重に「偽装」し、表向きは上手に付き合おうとする子が出てくるからです。さらに言えば、「いじめる行為」そのものをダサイと感じる子が出てくるからです。
しかし高学年でも、信頼関係を結ぶ「力」、共同する「力」が育っていないので、何か大きな力が加わったり(事件や暴力)、何かきっかけがあると、果てしない「いじめ」の世界へ突き進んでいくこともあります。
いずれにしても、子どもたちの中に、信頼をベースにして「つながる」ことの「力」を育てていかない限り、こういった問題を子どもたち自身が乗り越えることはできないのだと考えています。
●「仲良くしなさい」では……
女子の三人グループで、次のような事例がよくあります。
一見、仲良しに見える三人組が、常にそのうちの一人を「仲間はずれ」にしたり、「悪口」を言ったりするケースです。つまり、そういったことで残りの二人が、より親密になろうとするのです。このケースは「いじめ」の対象が日によって変わり、常に誰か一人が元気がないという状態が続きます。
さて、こういったことが起こると、担任や親は、得てして「三人で仲良くするように」と指導してしまいます。しかしこれは子どもたちにとっては無理な話なのです。
なぜなら、信頼関係がないところでの「仲良し関係」では、常に「一人ぼっちにされるのではないか」という不安がつきまとっており、そしてその「不安」から逃れるために、一人を標的にしているわけですから、「三人で仲良くする」ということは、その「不安」を増大させるだけで、解消することにはならないからです。
それではこういったケースの場合、どんな指導の視点を持てばよいのでしょうか。
一つは、「仲良くすること」を押し付けるのではなく、「仲間はずし」や「いじめ」の行為そのものを具体的に否定することです。
二つ目は、当事者の保護者同士の連絡体制を密にし、保護者同士の中でも、そういった行為について共同して指導できる体制を作ることです。
そして三つ目が、グループを外に向けて開きながら、信頼関係をベースにした新たな関係を作り出す集団づくりを進めることです。
もう少し具体的に考えてみましょう。
●行為そのものを否定すること
「いじめ」を事実としてつかむためには、日常的に子どもたち一人ひとりとパイプを持つことが大切です。ちなみに、そのパイプとは、顔をつき合せて話をするのではないパイプの方が事実をつかみやすい、というのが私の経験です。
なぜなら、教室でのおしゃべりの中では、子どもたちは多くの関係性の中で自分を保とうとしていますから、なかなか本音が出にくいという傾向があるからです。したがって私の場合、そういったパイプは、日記であったり、メールであったりします。
次に、出てきた事実に関しては、必ず複数のパイプでその事実に対して確認をとる必要があります。つまり、本人だけでなく、他者から見た「事実」ともつき合わせながらつかんでいく必要があるということです。
いじめの事実をつかんだら、私の場合は当事者ではない子から話しを聞くことが多いです。そういった立場の子の方が、その事実を客観的に、そして冷静に見ていることが多いからです。
正確に事実をつかんだら、次に個別に指導します。この場合、先に述べたように、「三人で仲良くしなさい」と指導するのではなくて、「いじめ」の行為そのものをまず強く否定します。そして一方で、いじめなくても大丈夫であること、つまりその子の「不安」に共感しつつ、解消していく方向で話をしていきます。
そして場合によっては、全体で話し合うこともあります。「いじめ」の構図は、当事者だけの問題ではなく、教室の全体の問題であることが多いからです。つまり、いじめの行為があるにもかかわらず、それに対して無関心であることを問題にしなければならないからです。
ただし、全体で話し合う場合、当事者達に十分に了解を得ることが大切であることは言うまでもありません。
●保護者同士の連絡体制を確立する
「いじめ」の事実が、いじめられている子の保護者から知らされる場合があります。その時にまず注意しなければならないことは、「いじめている」側に対しての批判に終始してはいけないということです。(いじめの行為はもちろん否定します)
そこではまず、子どもたちの「不安」について共感してもらい、相手の親ともそのことを共有し、連絡体制を整えることを呼びかけることが大切です。
しかし保護者もまた、なかなか他の保護者に信頼関係が持てないでいます。ましてや、自分の子が「いじめ」の対象になっている場合はなおさらです。ゆえに親同士のトラブルになってしまうことが多いのです。
そこで、こういった場合は私が間に入って、いじめた側の保護者に話をします。そしてその時も、その子や保護者を責めるのではなく、いじめの行為は否定しながら、一方で「不安」の中にいる子どものことを共感的に話します。
そして、その行為について家庭でもよく話をしてもらうことを約束してもらい、一方でいじめてしまった子の家庭に連絡をとり、いじめの行為について謝罪しつつ、今後の共同について呼びかけることを話してもらいます。
大切なことは、我々大人が子どもたちの「不安」を解消するために、共同して取り組むことであり、いじめの行為は否定しても、その子を批判することに終始してはいけないということです。
●外に向かってひらくこと
誤解を恐れずに書くと、いじめは「仲良しグループ」であるからこそ起きると考えています。
だとしたら、その「仲良し」の中身にこそ注目しつつ、その質を変えていく必要があります。
一つは、その仲良しグループに依拠しながら、何か共同して行動できるものを提起してみることです。つまり、「不安」の関係から「共同」の関係に、その関係性を転化していくのです。
具体的には、その子たちの共通の話題に注目し、それをサークル化したりするのも一つの実践だと思います。
そしてサークルが出来たら、さらに仲間を増やしていくように呼びかけてみたらどうでしょうか。さらには、そのサークルにクラスとしての役割を与えながら、公的な組織として認めていくといった実践の方向性も考えられます。
具体的なサークル実践については、別な機会で書いてみたいと思います。
さて、いじめの問題は、必ずしもこういった「不安解消型」ばかりではないことはもうおわかりだと思います。
しかし「いじめ」を許さず、それを乗り越えていくのは子ども自身であること…、つまりその「力」を育てることこそ、どのようなケースにおいても大切であり、その力を育てていくのが私たち大人の役割だと考えています。
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