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2005年07月25日

保護者からの無理難題

私は読んでいなかったのですが、少し前に朝日新聞で「保護者の無理難題」というテーマで記事が書かれ、話題になっているとのこと。さっそく記事の中身を教えてもらいました。

「無理難題」の中身を紹介してみると、

管理職が挙げる「保護者の要求」(小野田正利教授の調査から)
【小学校】
○「私学受験の勉強のため1カ月休ませてほしい」
○学校からの給食費などの徴収金催促に「そんなにお金のことを言うならもう学校に行かせない」。
○校外学習中のすり傷を消毒し、学校に連れ帰ったら「なぜ医者に連れて行かなかったか」と苦情。
【中学校】
○「(任意の)検定試験に合わせ学校行事の日程を変えてほしい」
○教師の罷免要求の署名運動を自分の子どもを使い校内でさせる。
○校内でけがした生徒の通学用タクシー代を請求。
○「家で風呂に入らない。入るよう言ってほしい」
○担任発表後「あの先生は気に入らない。変えてくれ」。
○授業中に読んでいたマンガを取り上げたら、「すぐに返してやれ」と来校。
【高校】
○欠席数が規定を超えているのに、進級・卒業を要求。
○原級留置(留年)に納得せず、議員、教委に言いつける。

他にも、以下のような事例を紹介。

●教諭宅に抗議の電話
 首都圏の私鉄沿線の小学校に勤める女性教諭は夜、自宅の電話が鳴ると布団をかぶる。「あ、また、あの親だ」と思うからだ。
 昼休み、男の子たちのけんかを注意した日。1人の子の母親から激しい口調で電話があった。「なぜ、うちの子だけしかるんですか」。「他の子も指導しましたが……」と伝えると、「平等だったのですか」。以来、毎日のように深夜、電話が鳴る。「宿題が少ない」「通知表のつけ方が変」……。教諭は体調を崩し、病院に通う。「私がまるごと否定されているようで」
 初めて会った父親にいきなり校長室のテーブルにテープレコーダーを置かれたのは、都内の中学校の男性教師だ。授業中の私語の指導をめぐって「異論があります」と切り出された。その親は教師対応のマニュアル本からチェックリストをコピーしてきていた。「教師は悪と決めてかかっていて、やりきれない」
 関西の住宅地の小学校に勤務する教諭は、母親から1枚の紙を示された。見ると「1年1組 ~先生」「2年1組 ~先生」……。全学級の担任配置案だ。母親の子の学級には、力のある教師の名が書いてある。「この通りでお願いします」と親は屈託ない。
 「うちの子を~先生のクラスにと希望されたことはあったが、全担任案とは」と教諭は驚きを隠せない。

最近のこういった「無理難題」に聞こえるものはめずらしいものではなく、私のまわりの事例をあげろと言われれば、この5倍くらいはあげられるわけで、学校によっては「事例集をつくろうか」などと、笑えない冗談が出るほど増えてきています。また、教師個人が、訴えられたときのための損害保険への加入も広がってきています。

ゆえに、この特集が組まれたことに全国のほとんどの教師は「やっと、とりあげてくれたか」と大きな拍手をおくっているわけで……。

でも……、なんか変だなあ……、と、しおちゃんマン的には考えてしまいました。(などと書くと、全国の教師仲間から一斉に批判をあびそうですが…)

この件は、もう少し慎重に考えたほうがいいのではないかと思ったわけです。下手をすると、教師と保護者との関係がますます希薄になってしまうことにつながるのではないかと心配しているのです。

さて、こういった保護者について、朝日新聞は次のように報道しています。

○学校や教師の社会的地位の低下。
○今の保護者の世代は上の世代と比べて、自分の子どものことしか考えない傾向が強い。
○親自身、批判されることに慣れておらず、傷つきやすい。教師から子どものマイナス点を指摘されると、逆ギレしてムキになることもある
(諸富祥彦・明治大文学部助教授:教育臨床学)

○地域で孤立し、悩みを打ち明けられない。子どもとの距離は少子化で短くなり、子どもの問題を我がことと重ねがちだ。
(嶋崎政男・東京都福生市教育委員会指導室長)

さらに現場の声として、

○問題を抱え込んでも解決しないのに、校長の裁量が大きくなり、教師が話し合う時間がなくなった。家庭訪問も消えつつあり、親とのコミュニケーションがとりにくい。
(東京都の中学校教諭)

そして国や教育委員会にとってほしい対応策としてアンケートであがってきた声は(アンケートに答えたのは管理職です)

●保護者の声を受け付け、対応する窓口を
●学校に顧問弁護士を
●保護者対応の研修を

さらに小野田教授は、以下の2点を提案しています。

(1)学校、保護者双方の言い分を聞いて調停する第三者機関の設置
(2)拡大しきった学校の守備範囲の明確化。

そして記事は、以下のように締めくくっています。

◆第三者の知恵借りる態勢を
 「こうしてほしい」と求める親と、「なぜ、そこまで」という教員と。一部とはいえ、そのズレが摩擦になり、過熱して、トラブルとして発火する場合が増えている。
 今の保護者は「先生は敬うべきだ」という上の世代に比べ、学校不信を抱いている人が多い。親同士や地域のつながりが薄く、我が子と向き合い、ストレスをためる。その受け皿の一つが学校になっている。これは教育問題にとどまらない。社会問題である。
 保護者対応を扱った本の多くは、教員が親の気持ちに共感するよう説いている。だが、寄り添うだけでは解きほぐせない事例が増えていることも、また事実だ。そのままにしていては教員も保護者も消耗し、肝心の子どもが置き去りにされる。
 トラブルを受けとめる「保水力」が学校も保護者も弱まりつつあるいま、学校医のように弁護士やソーシャルワーカーらに依頼しておき、ともに考えてもらう。両者の関係は、そうした仕組みづくりが求められる時代に入ってしまっているのかもしれない。

う~ん、さすがに新聞記者さんは文章が上手だなあ…と感心してしまいました。まさにその通りだとは思うのですが、なぜか私にはこの記事に違和感があるのです…。なぜだろう??

その違和感を一生懸命考えてみてやっとわかりました。

記事は、保護者からの声をすべて「無理難題」として一緒にしてしまっているからだと思いました。そして、保護者からの声を第三者機関にゆだねることで、教師と保護者との関係がますます希薄になってしまうのではないかという懸念が私の中にわいてきたのです。

ということで、保護者からの声をすべて「無理難題」として処理するのではなく、一つひとつ吟味していく必要があるのではないかと考えました。

たとえば、

○「私学受験の勉強のため1カ月休ませてほしい」

というのは、本市では毎年たくさんあるわけですが、それは進学塾がそのように指示しているからであって、学校はその声の出どころの進学塾にこそ相談するべきではないでしょうか。

また、

○校外学習中のすり傷を消毒し、学校に連れ帰ったら「なぜ医者に連れて行かなかったか」と苦情。

というのは、本当に「苦情」だったのでしょうか?家に帰ってから医者に連れて行ってみたら、けっこう大変な傷だったのではないでしょうか。だとしたら、学校に文句の一つも言いたくなる気持ちもわからなくはありません。あっ、苦情ですね。(笑)

だとしたらそういった声は、たとえば、養護教諭(保健の先生)の数を増やしてほしいという声にして、教師と一緒になって自治体に要求していくという方向も考えられます。

さらには、

○「家で風呂に入らない。入るよう言ってほしい」

これって、学校に対する無理難題としての要求だったのでしょうか?中学生にもなると親の言うことなどはなかなかきかないわけで、風呂に入れ、という問題だけでなく、この話題をきっかけに、思春期の子どもとどう向き合っていけばいいのか、教師は親と一緒になって頭を抱えて悩めるチャンスだったのではないでしょうか。そしてこういった悩みが多くの保護者にあるとしたら、そういったテーマで保護者会で話題にしてみる方法もあると思います。

きりがないので、事例についてはここらへんにしておきます。大切なことは、これらの声をすべて「無理難題」として片付けるのではなく、よく吟味して、逆に保護者と一緒になってその解決策をさぐっていくことだと思っています。

さて、誤解のないように書いておきますが、教師が人格丸ごと否定され、体調を崩すような、それこそ「無理難題」に対してはそれなりの対策と「仕組みづくり」が必要であることには賛成です。同時に、子育ての悩み(地域のおつきあい含む)相談のような機関があってもいいと思っています。

しかしこの記事によって、保護者の学校や自治体に対する真っ当な要求が無視され、保護者バッシングになっていかないことを願っています。

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