« 前向きになれない原因 | メイン | 千葉マリンマラソン5km完走 »
教育を受ける権利は国が保障するべき
昨日の学習。
1980年代の臨調・行革路線により、教育は市場化・自由化され、学校はスリム化されてきた。
そして、1990年代~の構造改革路線で、教育はいっそう市場化され、複線化されてきた。
国の責任においてなされ、その権利が保障されなければならない教育が、自己責任化され、市場化されてきた歴史。
学力低下も、親とのトラブルも、この延長線上にあると考えれば見えてくるものがある。
そう言えば……。
先日の授業で子ども(小5)が、「やりたくない人はやらなくてもいい」と発言しました。アメリカでドッジボールが禁止されたという記事をめぐっていろいろ話し合いをしていた時の発言だったと思います。
いつのころからか、子どももこんな発言をするようになりました。少なくとも私はゾッとします。今までの子どもは、やりたくないと言い張る仲間をなんとか仲間に入れようと悩んでいたはずだからです。
やりたい人はやる。
やりたくなければやらなくてよい。
そして、それはすべて自己責任で。
こんなせりふを子どもに言わせるようになったしまった社会をどうにかしなければならないのではないでしょうか。
少なくとも「教育」は、自己責任ではなく、国がその権利を保障するべきなのです。
--2/3浦安シティマラソン(ハーフ)完走目指して--
1/19 9.5〜11km/h 5km/195km 30分
⇒ ゲストブックはこちら。右サイドバーのしおちゃんマン_7からも開けます。
wrote by しおちゃんマン
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://shiozaki.info/mt/mt06-tb.cgi/1795
コメント
おはようございます。
先生は教育問題の最先端に立って戦っている人なんですね。今頃気が付いたのかと笑われしまいそうな感じです。
勝ち組、負け組みと言う言葉は嫌いですが、
勉強の成績が良い人が勝ち組で、その反対の人は負け組みと言うか、勝ち組になるのに関係ないことは、「やらない」 という風潮があるような。それと違って、苦手な事、恥と思うことを人前でやると、「生きていけない」 という極端に考えて、自分に自身が無い子が増えていて「やらない」になるような。難しいですね。
自分は安心して、ここに居て良いんだと思えないから問題が多くなっているのかな?
考えながら書き込みました。
昨日の夜私は、息子と同じ自立学級のお母さんと懇親会でした。
お酒を飲まなければ話せないような子供の様子の話が出ました。
クラスの女の子にいじめられてリストカットしてやっと自分の子に大変なことが起こっているとわかり相手の親とけんかをしているという話が出ました。リストカットした女の子なんですが、不登校中だそうです。いじめていた女の子は、家ではとても良い子で学校に行くといじめっ子に変わるようです。学年問題に発展して今度虐め体験を語る人の講演会が学校であるようです。親対象なのが残念です。
残酷な話らしいので聞かせたく無いのかな?線引きがよく解らないです。
サイン・インを確認しました、 さん。コメントしてください。 (サイン・アウト)
(いままで、ここでコメントしたとがないときは、コメントを表示する前にこのウェブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)