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2007年05月21日

教師の生き方を問わない教育技術主義は崩壊する

昨日の横浜での講座のデキはあまりよくなかったです。たくさんの人に集まってもらったのに申し訳ない気持ちです。

喉の調子が悪くて語尾がはっきり発音できない→何を言っているのか伝わらなくて反応が弱い→反応が弱いので早口になったり話を省略したり→それでさらにわかりづらくなる…、の悪循環。

それでも伝えたかったのは以下の三つです。

一つは、子どもの側に立とうとすればするほど「上」からの縛りや、職員室の仲間との関係がうまくいかなくなってしまう時代になってしまったこと。

しかしそれでも私たちは子どもの側に立った実践をするべきであり、そうした教師のスタンスにこそ、子どもや親が支持してくれるということです。

二つ目は、教師も子どもも、そして保護者も生きづらさを感じて生きている時代であるにもにもかかわらず、みんながみんな背を向けて一人で悩んでいるのではないのかということ。

しかし、同じ悩みを抱えているのですから、それぞれが向き合ってみることで、そこに連帯がうまれ、思いもかけない教育力が生まれるのではないかということ。

この二つを具体的な実践例を通して話してきました。

そして実は、三つ目は言うのを忘れてしまったのですが、「教師の生き方を問わない教育技術主義は崩壊する」ということです。その場しのぎの教育技術がはびこっていますが、教育方法や技術は、教師の生き方(子どもに対する向き合い方)から生まれるものなのです。

技術があって子どもがいるのではなく、子どものリアルな現実があり、そこに教師がしっかりと向きあった時に初めて教育技術がうまれるのではないでしょうか。

その場しのぎや、授業が盛り上がればいいといった、教師の生き方を問うことのない教育技術は長続きしないし、教師の成長もないと思います。そしてもちろん、子どもたちも育たないのだと思います。

三つ目は、そんな話をするつもりでした。

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