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教師 最後のプライド
子どもたちによって教師の人間としての尊厳までが傷つけられる…。そんなケースが全国的に広がってきている。
勝手に教師の持ち物がのぞかれたり、机の引き出しが平気であけられる……。
子どもたちのためにと用意した教材もその日のうちに壊される。
教師の給食は準備されず、勝手に先に食べだす子どもたち。
目が合うたびに「キモイ」を連呼し、つま先で教師を蹴飛ばす子どもたち。
デブ、ハゲ、奥さんに逃げられただろ…エトセトラ。
気に入らないことがあると、「死んでろ」と教師に向かってはきすてる。「死ね」ではない。「死んでろ」である。まるで、「死ぬことさえもお前にはもったいない」といった意味にも聞こえる。
指導の過程でその教師とすれ違いがあったわけではない。最初の状態がここからスタートしなければならないケースが増えてきているのである。
そんな中で教師たちの精神的な疾患が急増している。それを「教師の力量」の問題として済ませていいのだろうか。
しかし、そんな中でも教師としての最後のプライドがある。
たとえば私の場合は、これらの状態をけっして「子どものせい」「親のしつけのせい」にしないことが最後のプライドである。
たとえその原因が、子ども自身や家庭にあったとしても、それを責めずに一緒になって解決していこうとするスタンスを持ち続けたいと思っている。それが私にとっての教師としての最後のプライドなのである。
その最後のプライドを捨てなければならない時…、つまり、うまくいかない時に「子どものせい」「親のせい」にしてしまうことが続いた時が、自分が教師を辞めなければならない時なのかもしれない。
※そんなプライドを持っているから苦しいのかもしれません。
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コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン