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這いずり回っている現場からこそ
福島でどんな話をしようかと考えていて、今さらながら気がついたこと。
ここ数年のしおちゃんマン実践というのは、小手先でゴマカシたり、逃げている実践なのではないかという反省。
否定の中にこそ肯定面を見るとか、厳しさを笑い飛ばして前向きにとか、そんな話をよくするのですが……、それはそれで大切なことだけど、けっしてそれが一番大切なことではなかったのではないかと…。
笑い飛ばすという言い方……、なんか傲慢で、はなもちならなくて…、最近ずっとそうやって自分をごまかしてきたのではないかとも思い始めています。
厳しいとき、うまくいかない時には、素直に、そして正直に落ち込むことがまず大切だったのです。
誤解を恐れずにもっと言えば、子どもに腹がたったら、キレることも大切だし……。にもかかわらず今の自分は、子どもの気持ちをわかっているフリをして、「いい教師」を気どっているだけの今の自分。
「オマエたちが繰り返す間違いは、先生には絶対に理解できない」と、経験を重ねれば重ねるほど言えなくなってきている自分。そして、なんでもわかっているフリをしている自分。
そんな教師は、けっして子どもたちや保護者のみなさん、そして職員室の仲間と「共同」などできないでしょう。
以前、「教師にはカリスマはいらない」「教師はかっこ悪い方がいい」ということを書きました。
もう一度、そう考えていた自分を思い出して、這いずり回って傷つき、ボロボロになっている多くの教師の視点から話をしてこようかと思っています。
今の自分なら、そんな話ができそうな気がしています。
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