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2006年07月23日

「生活指導」誌の原稿

全生研の機関誌でもある「生活指導10月号」(明治図書)の原稿の締め切りがすぎていることに気がついて、あわてて書き始めている。締め切りが20日になっていた。この時期に締め切りに間に合うように書くのはきつい。

テーマは「もめごと・対立・トラブルを突破する実践の8つのヒント」の中の一項目、「学年の先生とうまくいかない」に答える形の原稿のようだ。

昨年度まで単学級の学校で、今年度から4クラスの学年の主任になった。久しぶりの複数学級の学年である。

正直言って、学年主任としてのリーダーシップがとれずに、学年の先生達には迷惑をかけっぱなしの4ヶ月。リーダーシップどころか、慣れない大規模校の職場の中で、逆に足をひっぱってしまった。

さて、「学年がうまくいく」とはどういうことなのだろうか。単に仲良くするとか、そのために飲み会をするとか、レクをするとか、そういったことではないのだと思っている。もちろんそういったことも大切なことではあるのだけれど。

私の場合、以下のことをベースにして考えている。

一つは、一人ひとりの考え方の違いを保障すること。考え方が違うのだから、その教育実践方法も違ってくるのだけれど、そういった違いも含めて保障することが大切だと考えている。つまり実践の自由の保障である。

これは好き勝手にやっていいということではない。統一してやらなけれぱいけないことは、合意をとりつつ一緒になって進めていくことはもちろんである。しかしその中でも、それぞれの個性を生かした発言や取り組みを前面に出してほしいと思っている。

ここで注意しなければならないことは、最近ではグイグイと引っ張ってくれるリーダーシップもまた要求されているということである。実践の自由や話し合いを重視するあまり、こういった要求に目を向けられないと失敗することもある。私はグイグイタイプではないので、こういったことも今後考えていきたいと思っている。

二つ目は、一人の悩みをみんなの悩みにしていくことである。小学校の場合特に担任がすべてを抱え込み、うまくいかないと自分を責めてしまう傾向がある。そうならないために、学年会等でそれぞれのクラスの様子を積極的に交流していく必要がある。ベテランの教師は特に「うまくいかないこと」を自ら報告して、若い先生たちが失敗や悩みを言いやすいようにしていく配慮も必要であろう。

三つ目は、なんでも公的に解決していこうとしないことである。複数の学年の場合、学年会等の公的な場では言えないけれど、私的な関係だったら言える、ということもあるわけで、そういった関係を大切にすることである。そしてそういった私的な関係でのやりとりが、いずれ公的な場でも出せるようになればいいと考えればよいのである。最初からなんでもかんでも学年会で解決…、というのは違うのではないだろうか。

こういったことを原稿にしてみたいと考えている。

今日中に送らなければ……。

wrote by しおちゃんマン

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