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2006年03月14日

物に感謝すること

3年生もあと数日の登校を残すのみとなりました。

今日は大掃除の予定。一年間お世話になった教室をきれいにします。

学年末の大掃除は、学期ごとの大掃除と違って特別な思いがあります。掃除をしながら、この一年間のことをぜひ振り返ってほしいと思います。

また、自分が使った机やロッカー、みんなで使った大きなロッカー、合唱の歌詞や習字が貼ってあった壁面、そして窓や床、黒板……、一年間のお礼もこめてきれいにしてほしいです。

さて、イチロー選手が、グローブやバット等々、まず道具を大切にすることが、野球がうまくなるための第一歩、と言っていることは有名です。彼は試合・練習終了後必ずグローブを磨きます。

そのことを彼がアメリカの子どもたちに話をしたところ、「自分が使いやすいように大切にする」といったことは理解できたようですが、「感謝する」といった意味はなかなか伝わらなかったそうです。

どうやら「物に感謝する」というのは、日本人独特の感性のようです。これは大昔の日本人の信仰と関係しているそうです

私たちの世代は、そういった感性は自然に身についていますね。大人たちが、したり言ったりしていたことを自然に自分のものにしていったのかもしれません。

しかし今の日本の子どもたちは、あらためて教えなければ理解できないようなのです。

これは他のことについても同様です。そこに今の子どもたちのしつけや指導の難しさがあります。

wrote by しおちゃんマン

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コメント

物に感謝するってのは、日本独特かもしれませんけれど、私も大切にしたいことの一つです。
使い捨てってのはここ10年ぐらいのことで、それまでは「壊れたら直して使う」が当たり前だったような気がします。
それぐらいの気持ちの方が、なんだか深い理解が得られるような気がしています。
古いタイプの人間だと思いますけれど、古い=悪いではないと思っています。
私も子どもに結構「物を大切にしなさい」って教育はしていますけれど、最近は子どもにも親にもあまり通じなくなっているのが哀しいです。
アメリカナイズされているのかなぁ?

投稿者 七星 来人 : 2006年03月14日 01:03

ぼくも古い人間です。ぼくは「物を大事にする気持ち」が身についているかな、というと、実はそうでもないかもしれません。

お金持ちではないから、必要性から、電気を消すように、”人参のかけら”を捨てませんが、それと物を大事にすることは、少し違うかも。

イチローのグローブを大事にすること、ぼくはラグビーやってましたが、ボールを大事にするという気持ち、そういうものを、”ぼくは”どうやって身につけたら良いのだろう、まして、子どもたちが!!

投稿者 高橋りう司 : 2006年03月14日 07:02

こんにちは。なんだかピピピと来てしまったので、おしゃべりさせてください。
「ものを大事にする」を超えて「ものに感謝する」というのは、私も日本の美風のひとつだと思います。八百万の神様とかアニミズム、御霊信仰などが背景にあるという意見を読んだこともあるのですが、個人的には、もうひとつ「それを作った人に感謝する」ということもあったのだろうと思っています。
例えば、お米。自分の体を養ってくれる命だから、命に感謝=お米に感謝という発想もあるだろうとは思いますが、それだけでなく「お米を作るのには、八十八の手間がかかってるんだよ。だから粗末にしないようにしようね」という考え方を聞いたことがある人は少なくないと思います。そんな風に語られるのはお米ぐらいかもしれませんが、考え方自体はなんにでも通じていたところがあったのではないでしょうか。
一時は、第一次産業の従事者やものづくりをする「職人さん」を軽んじるような風潮がありました。最近は少しそれが減って来ているように思いますけれども、それがいっときの物珍しさなどだけでなく、「ものを大事に」という気持ちともう一度結びついていくといいなあと思います。
そういえば、「粗末(にする/しない)」っていうのもあまり聞かなくなった言葉ですね。言葉もペア(大切にする⇔粗末にする)で廃れていくのかもしれませんね。言葉が失われると、それが表していた感覚も失われていくようにも思います。新しい本やネット上の文章ばかりでなく、ときにはちょっと古めの本を読むと、忘れていた言葉と再会できるんだろうな。

投稿者 ダディ三鷹 : 2006年03月14日 08:48

イライラすると物に当たる正確な物ですから、
今日のお話は非常に身に染みました。

物を大事にしないといけないですね。

投稿者 スモッカ : 2006年03月14日 09:49

ものに感謝する気持ち、おっしゃるとおりだと思います。私は物を大切にするほうではありませんが、物持ちはいいです。筆箱は高校生の時から使っているスヌーピーの缶のものです。カーディガンはボタンを付け替えて20年ぐらい着ています。靴も入社試験で履いたものを今でも履いています。(底を2度張り替えました)
だから、子供たちは一年生のときに買った筆箱を当然6年まで、もしくはそれ以上使うものと思って欲しいのです。6年間使うことでその筆箱はただの筆箱ではなくなるからです。それぞれの小学校生活へのオマージュにさえなるから。

一方、百円ショップのおもちゃとか、マクドナルドのおまけとか、そういった類のものは大っ嫌いです。部屋にあるだけでもイヤなので見るそばから捨てます。穴の開いた靴下も嫌いです。穴を糸でふさいではくと言う方法もありますが、しません。すぐに靴磨きの布に変身します。

難しいことはわかりませんが、子供たちにはずっと使い続けることから生まれる愛着とか物に対する愛おしさとか、そのもの自体が持つストーリーとかそういったものを徐々に感じて言って欲しいです。

投稿者 ドロシー : 2006年03月14日 23:32

>七星 来人さん
リサイクルの精神「もったいない」の原点を考えてみたいなあと、ふと思いました。

> 高橋りう司さん
「必要性」の視点から、「大切」「感謝」の視点に発展させていくのは確かにむずかしいですね。その切り口をさがしてみたいと思っています。

> ダディ三鷹さん
なるほど、「物」の背景にある「人」、という視点ですね。一方で言葉の問題…、奥が深くて、かつ広い問題ですね。ぜひ考えてみたいです。

>スモッカさん
物は、それこそ物は言わないですからねえ。ついつい私も……。

> ドロシー さん
物を大切にしない子は、自分を大切にできないと教えられたことがあります。人は物とのかかわりの中でも、生きるストーリーを描き続けているのかもしれませんね。

投稿者 しおちゃんマン : 2006年03月15日 22:16

韓国の教師です. 資料を捜してから入って来ました. 教育と育児に対する考えは国籍が違っても共感する内容です.

コンピューターを利用した翻訳なのでトルリンブブンがあります.

手紙を通じて教育話ができれば良いです.

jazzin_37@hotmail.comです.

投稿者 : 2006年03月18日 22:37

こちらこそよろしくお願いいたします。

翻訳ソフトを介してのコミュニケーションはやったことがないので、機会がありましたらいろいろ教えてください。

また気軽にお越しください。

投稿者 しおちゃんマン : 2006年03月19日 11:49

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