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【書籍】それでも警官は微笑う
実はまだ読みきれていません。警察物は好きなのですが、この本は私には文章がくどく感じて、テンポが合わないのです。ということで、途中まで読んで、すでに本棚です。
にもかかわらずここで紹介するのは、以下の文章に目がいったからです。
登場人物の聡子が保母の仕事を辞めることにした理由が書かれたところです。少し長いですが、書き出してみます。
『子供達は聡子が考えていたように素直でも従順でもなかった。それに園長は教育者ではなく、経営優先の事業家だった。その二つに関しては、自分の甘さに、聡子は現実を自覚するよりなかった。』
『だが何より聡子のやる気をそいだのは母親達だった。自身が大人になりきれないまま、無自覚なまま親になってしまった母親が多いことに、驚きよりも失望してしまった。』
『常に自分を優先し、子供のことは後まわしにする。自分の人生をやり直しさせるように子供を扱う。彼女達は何か起こればすべて他人のせいにして、自分に非があることは可能性すら考えない。そんな母親は珍しくなかった。』
『まだ強い自我を持たない子供は、往々にして母親のミニチュアだ。子供たちもまた母親と同じくからっぽで、その瞳には何の未来も感じられなかった。』
おそらく多くの教師が「うんうん、そうそう」と頷いているのではないでしょうか。などと書くと、この十倍以上の教師批判が帰ってきそうですが…(苦笑)
確かにそういったマイナスの面もあると思いますし、一方私たち教師にもそれ以上にだらしなさというか、いいかげんさというか、非常識と言うか、保護者の方はそういった面を感じているのだと思います。
つまり私が言いたいのは、お互いに苦しんで、悩んでいるのに、その責任を押し付けあっているところに今の教育・子育ての大変さがあるのだと思うのです。
これからは、それぞれがそれぞれの責任を果たしつつ、それでもうまくいかない時はそれを素直に公開しながら、その弱い部分を補い合っていくことが大切だということです。
たとえば、ぞうきんがしぼれない子がほとんどなわけですが、これでは学校の掃除がなりたちません。その時に、「ぞうきんがしぼれない」ことを家庭の責任にするのではなく、きちんと事実として知らせて、学校と家庭で一緒になって指導していきましょう、と呼びかけていくことが大切だということです。(あまりにも簡単な例で申し訳ない)
仲良し関係の中で「いじめ」があったとしましょう。これを担任の指導責任の問題にだけにするのではなく、担任も含めた保護者間の話し合いですぐに解決できるばかりか、解決する過程で、子ども同士も親同士もより親密になることができたという経験もたくさんあります。
学校が悪い、家庭が悪いと言ってしまう前に、一緒に何かができないかと考えてみると、今までモヤモヤしていたことが、かなりすっきりしてくるはずなのです。
コメント (0) /トラックバック (0) /wrote by しおちゃんマン