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2005年03月30日

讀賣新聞の取材

●取材の意図を問う

 昨日、讀賣新聞の取材を受けました。学級崩壊と教師の「力」について取材したいということでした。

 学級崩壊を「教師の力量」とつなげていくこと事態がおかしいし、そういった記事を書くからよけいに教師を追いつめたり、教師と保護者との関係を断ち切ることになってしまうので、こういった取材は嫌だと思ったのですが、逆にそういったお話を聞きたいということだったので、夕方、一時間半ほど取材を受けました。

●学級崩壊のとらえ方

 まず、「学級崩壊」をどのようにとらえているのかを逆に聞いてみました。すると、席をたったり、おしゃべりがやまなかったり…といったことだったので、それは単に一側面にすぎないことを話しました。

 つまり、シーンと教師の話を聞いているクラスでも、かげで女の子同士がいじめあっていたり、自分のホームページに友達の悪口を書きあっていたりといったこともあるわけで、ガチャガチャしている現象だけをとらえて「学級崩壊」と表現することはあまりにも考え方がせまいことを話しました。

 つまり、今の教室の問題点は、子ども同士がバラバラにそれて孤立し、どうしようもない孤独感と焦燥感の中で生活していることにあるわけで、それが現象として、いじめや、ちゃかしや私語、立ち歩き…、といったことにつながること(も)ある、ということなのです。

 だから、学級崩壊は「立て直す」のではなくて、「つなげて、育てる」という表現の方がいいと考えています。

●子どもだけでなく

 さて、孤立の中で、孤独と焦燥感の中で生活しているのは子どもだけではありません。実は、保護者もそうだし、私たち教師もそうなのです。

 今のお母さんたちは、いわゆる「公園デビュー世代」の方が多いです。つまり、地域の中でいかに上手におつきあいをしていくのかで、とても苦労したり悩んだりしてきたみなさんが多いのです。私たち教師はまず、そういった保護者のおつきあいの「大変さ」に共感することが大切だと考えています。

 一方教師は、生活科導入、五日制導入、総合的な学習導入、学力低下問題、といった流れの中で、ずっとずっと教師の質の問題として批判され続けてきています。つまり「いじけ世代」なのです。

 「いじけ世代」の教師は(私も含めて)、保護者の意見に対して真正面から受け取ることが苦手です。「また文句を言ってきた」「こんなにがんばっているのに、わかってもらえない」と考えてしまうのです。そして「文句」を言われないように「言い訳・アリバイ作り」ばかりしてしまう傾向があります。

 ということで、子どもだけでなくて、みんながみんな一人ぼっちなのです。

 そういった意味で、子ども、保護者、教師(学校)の三者が共同して子どもたちを育てていくといった視点がないかぎり、今の「教室の問題」は解決しないし、真の意味で、学級崩壊の「解決」にはなりません。

●時間をかけた対話こそ

 さて、そういった一人ぼっち状態をいかにして乗り越えていけばよいのでしょうか。

 結論から述べると、これは「時間をかけて対話」していくことから始めるしかないのです。

 ・子ども一人ひとりとの対話、子ども同士の討論・討議
 ・保護者との対話、懇談会での協議
 ・職員会議の正常化と民主化

 これらをじっくりと時間をかけて進め、そこから、共同の道をみつけて、自治する力を育てていくしかないのです。

 さてここまできて、学級崩壊問題というのは、実は教室だけの問題ではないことに気がつかれた方が多いのではないでしょうか。
 
 実は、教育問題の矛盾がすべて集まってくるところが「学級」だということなのです。

コメント (0) /トラックバック (1) /wrote by しおちゃんマン