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便利であるがゆえの不安
いろいろな雑誌の原稿が三本もたまっていて頭を抱えていたのですが、ようやく一本目ができました。
「ちばー教育と文化」66号(発行予定2004年12月)という雑誌で、地元のメンバーの方からの依頼でしたので断れなくて……。
この66号のテーマが「ネット社会に揺れる子ども」で、私が書くのが、「インターネットを使ってみて、そのよさ怖さなど体験的に書いてほしい」ということでした。
私はインターネットを利用していますが、上記のような問題意識があまりなかったので、かなり苦しかったです。
できあがった文章も誤解を受けるような部分があるかもしれませんが、「まあ、いいや!」っていう感じでさきほど送りました。
以下の場所に公開しています。blogですので、簡単なコメントも書けますので、よろしかったら読んでみてください。
▼便利であるがゆえの不安
http://shiozaki.info/mt/archives/2004/11/post_3.html
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あて字
校内音楽会のステージ装飾で、私のクラス目標を「共力」にしたことを以前書きました。実はその校内音楽会の日の午後、学校評議委員の方から、「『共力』は誤字であるから、注意してほしい」というご意見をいただきました。
すぐに、「共に力を合わせることとして、この表記がピッタリだったので…」と説明したのですが、「子どもが間違えて覚えてしまうので、やめてほしい」というご意見でした。
小学生に「あて字」を読ませることについては賛否両論あると思うので、そのことに対しての意見はひかえます。ただ、日本では文芸者を中心に昔から自由に「あて字」が使われていたことだけは書いておきたいと思います。たとえば、「溜息」を(歎息 嘆息 嗟嘆 太息)、「寂しい、淋しい」を( 寞しい 寂寞しい 寥しい)などですね。
いや、上記については平行線だと思うのでここまでにしますが、それより私が重視したいのは、「『共力』って間違いじゃないの?」と気がついた時に、「こんな簡単な漢字を間違えるなんて、まったくしょうがない。」と考えるのか、それとも「きっと考えがあったに違いない。こんど聞いてみよう。」と考えるのかの違いです。
今回は残念ながら前者のスタンスに立たれたご意見だったようです。このことは今の学校と地域のみなさんとの関係がわかりやすく出たケースだと思っています。つまり簡単に言えば、学校・教師はあまり信頼されていないということですね。
これは学校・教師が大いに反省しなければならないことであると思うので、肝に銘じておきたいと思います。
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